毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

四旬節第3主日のミサ



石巻教会の黙想会の後、昼食を一緒にいただきながら、震災と津波、その後の6年間のさまざまな体験を聞かせていただきました。
大きな津波被害の中で、信仰と愛を生き抜いてきた皆さんの話に心を打たれました。

●四旬節第3主日
 聖書箇所:出エジプト17・3-7/ローマ5・1-2、5-8/ヨハネ4・5-42
 2017.3.19石巻教会

 ホミリア
 わたしは昨年の12月から、福島県南相馬市の原町教会にいます。11月末で司祭がいなくなるというので、応援に来ました。ちょうどカリタス原町ベースが教会内に新築・移転し、カリタス南相馬となる時期でした。震災から6年。浜通りでは、まだまだボランティアの働きが必要とされています。同じ被災地と言っても、福島は原発事故の影響が大きいので、岩手・宮城とは少し事情がちがっています。この石巻では津波の被害が本当に大きく、家族を亡くされた方の話を昨夜も聞かせていただきました。福島県でも津波で亡くなった方がおおぜいいましたが、むしろこの6年の間に震災関連死が多くなっています。家があるのに帰れない、いつか帰れるかどうかも分からない。そんな避難生活が長引くことによって人は追い詰められていきます。

 福島第一原発から北へ25キロの原町教会にいて、やはり一番強く感じることは「分断」ということです。故郷に帰りたいと願う高齢者と、子どものことを心配して帰ることのできない若い世代の間の分断。いろいろな事情で福島に住むことを選んだ人(選ばざるをえなかった人)と、福島には住むべきでないという人の間の分断。福島から避難している子どもたちへのいじめに見られるような、福島とそれ以外の日本の各地との分断。
 原発から20キロ圏内の南相馬市小高区は昨年7月に避難指示が解除になりました。この3月末から4月にかけて、もっと原発に近い浪江町や富岡町の一部、そして全村避難指示が出ていた飯舘村の避難指示が解除されます。これは単純に喜べる問題ではないのです。帰る人と帰れない人がいます。「帰って住めますよ」ということになって、徐々に補償が打ち切られていく中で多くの人は苦渋の選択を迫られます。そのことはさらに分断を深めることになるのではないかという危惧があります。
 人と人とを隔てるどうしようもない壁があるように思います。

 きょうの福音は人と人との間にある壁をイエスがどのように乗り越えていかれたかを示しているように感じています。
 当時の人々の間にあった壁。まずユダヤ人とサマリア人との間の壁がありました。もともとは同じ民族でしたが、歴史の中で二つに分かれてしまいました。宗教的にもエルサレムの神殿を中心としたユダヤ人と、サマリアのゲリジム山に聖所を置いたサマリア人。超えることのできない壁が両者を隔てていました。
 また、当時の男性と女性の間には壁がありました。「ユダヤ人であるあなたがなぜサマリアの女であるわたしに声をかけるのか」彼女は不思議に思いました。当時は男性と女性は対等な人間同士として関わることはできない。家族でない男性と女性が道で声をかけるということは考えられなかったのです。ここにも壁がありました。
 さらに立派な人間と問題を抱えた人間の間の壁もあったのでしょう。この女性は正午ごろ水を汲みにきます。村に一箇所の井戸があり、女性たちは朝夕、ここに水を汲みに来ました。ところがこの女性はまるで人目を避けるように、正午ごろやってきます。イエスが見抜いたことによれば、彼女には過去に5人の夫がいて、今連れ添っているのは夫ではない人。どういう女性でしょうか。「男運が悪い」女性と言うべきではないかと思いますが、周囲からは「罪深い女」というレッテルを貼られていたことでしょう。

 イエスは彼女に声をかけます。「水を飲ませてください」
 イエスは渇いていました。「イエスは旅に疲れて」とあります。この箇所の前には、イエスの活動が人々に誤解されるというような話があります。イエスの疲れと渇きは単に肉体的なものではなく、精神的なものでもあったのでしょう。そして彼女も水だけでなく、愛に渇いていたのでしょう。
 あなたは渇くし、わたしも渇く。その部分でイエスはこの女性に出会っていきます。
その共感と連帯の中では、ユダヤ人とサマリア人との壁は問題ではなく、男性と女性の溝も問題ではなく、人と人との壁は乗り越えられていくのです。
 人と人、民族と民族、国と国の間に壁を作ろうという動きが、今の世界のあちこちにも見られます。身近なところにもあるかもしれません。その中で、わたしたちはあのイエスの共感と連帯の姿勢に目を注ぎます。

 「イエスこそいのちの水の与え主である」
 これが今日の福音のテーマです。でも、それはただ一方的にイエスがいのちの水を与えるというのではなく、「共に渇く者」としての共感と連帯の中にあるいのちだと言ったらいいのではないでしょうか。このイエスのいのちの豊かさにわたしたちがあずかることができますように。このミサの中で祈りましょう。

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四旬節第2主日のミサ



写真は南相馬市・北泉海岸の南側の様子です。
津波被害を受けた後の現在の様子からは、昔の様子を想像することもできません。

さて、遅くなりましたが、日曜日の説教です。

●四旬節第二主日
 創世記12・1-4a/二テモテ1・8b-10/マタイ17・1-9
 2017.3.12カトリック原町教会

 ホミリア
 わたしたちは今年も、復活祭に向かう準備の期間・四旬節の歩みを始めています。四旬節第二主日のミサでは毎年、イエスの変容の場面が読まれます。受難に向かって歩み始めたとき、イエスの姿が山の上で真っ白に光り輝いたという出来事です。それはイエスが受難と死を経てお受けになる栄光の姿を一瞬ですが、前もって弟子たちに示すものでした。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」弟子たちはそう呼びかけられました。受難の道を歩むイエスの言葉に耳を傾け、イエスに聞き従うよう、招かれたのです。わたしたちも今日、イエスの栄光の姿を見ながら、そのイエスと共に歩むことができるようにと祈ります。

 ただ毎年不思議に思うのですが、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの弟子たちは、この栄光の姿を確かに見たのに、最後までイエスに従うことができませんでした。あれほどの栄光を見たのに。彼らは最後までイエスに従うと言っていながら、イエスが捕らえられた時、皆イエスを見捨てて逃げてしまいました。ペトロはイエスのことを知らない、と三度も言ってしまいました。ここに弟子たちの罪の問題があります。それはただ単に悪いことをしてしまったというようなことではなく、「自分なんか生きている価値がない。生きていてもしょうがない」と感じるような罪でした。
 でも物語はそこで終わりません。彼らはイエスの死から三日目に、復活したイエスに出会いました。イエスは彼らに向かって「あなたがたに平和があるように」と言い、「わたしはあなたがたを遣わす」と言います。イエスは彼らをゆるし、彼らを再び弟子として受け入れ、福音の使徒として全世界に派遣されました。そこからこの弟子たちは生涯をかけて、イエスに従う道をもう一度歩み始めることになりました。

 十字架の死でイエスの歩みが終わらなかったように、弟子たちの歩みも、罪という大きな挫折を味わいながら、そこで終わらなかったのです。
 物語は死で終わらない。罪で終わらない。悲しみで、苦しみで、破滅と虚無で終わらない。いつもそこからゆるしと喜びといのちへと向かう。これがキリスト教です。なぜなら、どんなことがあっても神がわたしたちを見捨てることはないからです。
 四旬節、そのことを深く味わいたいと思います。

 わたしたちの一つのテーマは回心です。キリスト教では「心を回す」と書きます。心を神に向け直すのがわたしたちの回心です。自分の罪・いたらなさ・過ちを見つめますが、そこに留まっているのではなく、そこから神に向かって目を上げる。神に立ち返っていく。そのとき神は必ず私たちをわが子として迎え入れ、ゆるしの恵みで満たし、再び立ち上がって歩めるようにしてくださる。その神に出会うのが四旬節の回心です。
 具体的に四旬節に勧められていることとして、祈りや断食・節制があります。神の恵みによって生かされ、その恵みをすべての人と分かち合って生きる。それこそがわたしたちの生活の原点ですが、わたしたちはいつも神を忘れ、隣人を忘れてしまい、自分の力がすべて、自分がすべてというところに落ち込んでいく。でもそこからもう一度立ち上がって、神に向かって、隣人に向かって歩みはじめよう。これが祈りと断食の精神です。

 もう一つの大切なテーマは愛の実践です。マザーテレサは繰り返し、「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と語っていました。フランシスコ教皇も「無関心のグローバル化(地球規模に広がった無関心)」ということを何度も警告しています。わたしたちはたぶん皆、どこかで他者に対する無関心に陥っています。身近な人の痛みや苦しみ、あるいは遠くにいる人の苦境や困難、それを感じようとしない。その無関心を乗り越えるように呼びかけられています。もちろん、無関心だけが問題ではなく、わたしたちは誰かに対する恨みや憎しみの虜になってしまうこともあるかもしれません。このような「愛する」という点でも、わたしたちはいつも挫折しているのではないでしょうか。イエスのような愛を生きることはできない、マザーテレサのような愛をもって生きることはわたしにはできない。でもこの愛のない状態でわたしたちの物語は終わるのではなく、いつもイエスの愛に触れて、特に四旬節、イエスの十字架の愛に触れて、そこからまた愛に向かって歩んでいこうとするのです。憎しみや無関心から愛へ。その物語を今日も生きようとします。

 今から六年前、2011年の四旬節の最初の金曜日に、東日本大震災が起きました。それ以来、四旬節は特別な意味を持ったと思います。おびただしい数の人々の死。今も、そしてこれからも続く苦難。そのことを思わずに四旬節を過ごすことはできません。でもわたしたちキリスト者は死が死で終わるのではなく、苦しみが苦しみで終わるのではないことを信じています。「忘れない」で思い続け、「寄り添う」ことを続けながら、苦しみから喜びへ、死からいのちへという物語を信じて、その物語を出会う人々と共有していきたいと願います。


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3.11大震災犠牲者追悼・復興祈願ミサ



説教メモは3月11日の亘理教会ミサのものです。
わたしは説教だけ担当しました。
写真は説教の中に出てくる前日の「命の行進」の一場面です。
(日曜日の説教は次回上げます)

●3.11東日本大震災犠牲者追悼・復興祈願ミサ
 聖書箇所:哀歌3・17-26/ローマ8・18-30/マタイ25・31-46
 2017.3.11宮城県・亘理教会にて

 ホミリア
 東日本大震災から丸六年の3.11を迎えました。
 きょうのミサで読まれた福音書の箇所は、マタイ25章の有名な言葉です。
 「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」・・・「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」
 この福音の言葉は、被災されたすべての人の中にキリストご自身を見るよう、わたしたちに促しています。あの震災で大きな苦しみを受けた人々。津波で亡くなられた人、家族や親しい人を亡くした人、家や仕事の場を奪われた人、今もなお避難生活を続けている人、そしてわたしは今、南相馬にいますので、痛烈に感じますが、原発事故の影響を受け続けている人。故郷を奪われ、親しかった人間関係を奪われた人々。
 わたしたちの周りにいるすべての被災者を、キリストご自身と見るように。ただ単に苦しんでいる人がいるから手を差し伸べましょう、ではなく、その一人一人の中にキリストを見てお仕えするように。そのことをわたしたちは今日、呼びかけられていると思います。

 イエスはなぜ「わたしにしてくれた」とおっしゃったのでしょうか?
 四旬節にこの箇所を読むたびに思うのは、ここに述べられている人々の姿はある意味で受難のイエスご自身の姿だということです。
 受難に向かうイエスは飢え渇いていました。福音書によれば、生涯の最後、エルサレムに入るとき、飢えを感じていちじくの木に近づいたとあります。もっと切実なのは、十字架の上で「渇く」とおっしゃったことです。
 イエスは旅をしていました。「人の子には枕するところもない」とおっしゃったイエスはエルサレムに向かって、十字架に向かって歩み続けました。
 イエスは裸にされました。十字架にかけられるとき、衣服を剥ぎ取られ、裸ではりつけにされました。
 イエスは病気でした。病気というよりも、むち打ちと十字架刑で苦しみ、弱り果て、最後に息を引き取りました。
 イエスは牢にいました。逮捕され、一晩でしたが、大祭司の屋敷の牢屋で、囚人として過ごされました。
 だからイエスは、これはわたしだとおっしゃったのでしょう。この苦しむ人、痛みを抱えて生きている人、そのすべての人はわたし自身なのだ。
 四旬節を過ごすわたしたちはこのイエスのことを見つめています。すべての苦しむ人と一つになったイエスです。そこから逆に、すべての苦しむ人は、イエスの受難にあずかっているのだとも言えます。亡くなられたあの人も被災されたこの人も皆、イエスの受難にあずかっている。だからキリストの復活のいのちにもあずかることができる。そう信じて被災された方、お一人お一人のことを思い続けたい。

 昨日、わたしはカリタス南相馬のスタッフ・ボランティアと一緒に「命の行進」に参加しました。日本山妙法寺という仏教の団体が主催で、南相馬市小高区の曹洞宗同慶寺から海岸までの行って帰ってくる十数キロの道のりを祈りながら歩くのです。東日本大震災で亡くなられたすべての人のことを思い、原発事故のことを思いながら歩き、海岸まで行きました。海岸といっても今はほとんど巨大な防潮堤(海岸堤防)の工事が行われていて、その隙間からようやく二箇所、砂浜に降りることができました。そこで仏教の祈り、アメリカ先住民の祈り、そしてわたしたちカトリックの「被災者のための祈り」をおささげしました。
 わたしが感じたことはやはり宗教者がその違いを超えて、できることがあるということ。それはいのちの大切さを分かち合うこと。巨大な工事が行われています。小高の海沿いに低レベル廃棄物の巨大な焼却場がありました。一基5百億円だそうです。そういう利権が、お金が動いています。そんなことばかりに振り回される中、「でもいのちが一番大切」との思いを抱き続け、分かち合うことが宗教者の役割だと感じました。
 同時にこの世のいのちにはすべて終わりがあるというのも現実です。でも宗教者はこの世のいのちを超えるものを信じる。だからなくなった人のために、この世を超えた世界で安らかに生きることを祈ることができる。それも宗教者として大切なことだと思いました。

 話が飛んで申し訳ないのですが、先日、福者と呼ばれるようになったユスと高山右近は、高槻の領主だったとき、貧しい領民の葬儀を行い、みずから棺桶をかついだと言われています。それは当時の人々を驚かせたことでした。当時のキリシタンは「慈悲の所作」を大切にしていました。肉体に関することと霊魂に関することがありますが、肉体に関することというのは、マタイ25章の今日の箇所にある6つのこと。それともう1つ、「死者を弔うこと」を合わせた7つの行いでした。高山右近はこの慈悲の所作の1つとして死者の埋葬を行ったのでしょう。でもそれだけでないとも思うのです。信仰者として、死を単に忌まわしいものとして遠ざけるのではなく、肉体の死をも超えて神の与えてくださるいのちの恵みに対する信頼を持っていたからこそ、なくなった人を大切にしたのだと思います。
 きょうわたしたちも、亡くなられたすべての人、今も苦しみを抱えているすべての人のためにこのミサの中で心を合わせてお祈りしたいと思います。



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四旬節第1主日のミサ



原町区にも除染ゴミを詰めたフレコンバッグの広大な仮置場があります。

●四旬節第1主日
 聖書箇所:創世記2・7-9, 3・1-7/ローマ5・12-19/マタイ4・1-11
 2017.3.5原町教会にて

 ホミリア
 四旬節のはじめに思い起こすのは、40日の期間の原型となったイエスの荒れ野での40日間。イエスはご自分の活動を始める前の40日間、「荒れ野」にいて悪魔から誘惑を受け、それを退けました。この出来事のさらなる原型として、旧約聖書の「荒れ野の40年間」があります。紀元前13世紀にイスラエルの民はエジプトで奴隷状態に陥っていました。そのイスラエルの民の苦しみを見、叫び声を聞いて、神がモーセを指導者として、エジプトの奴隷の地から自由の地、約束の地に向けて救い出された、これが「出エジプト」の物語です。
 エジプトを出て、パレスチナの約束の地に入るまで、イスラエルの民は40年間、荒れ野をさまようことになりました。荒れ野は人が生きていくには厳しい場所です。水も少なく、食べ物も少なく、毒蛇やサソリのような危険な生物もいる場所。エジプトから脱出した民は、たびたび神とモーセに向かって不平を言います。なぜこんなひどいところにわれわれを導いたのか、こんなことならエジプトの奴隷状態のほうがまだましだった。そういう不平を言うわけです。その民のために、神は岩から水を湧き出させ、天からマナという食べ物を降らせて養い、導き続けたと伝えられています。そしてこの荒れ野の旅の途中、シナイ山で神は民と契約を結びます。神とイスラエルの民は特別な親しい関係を持って歩むことになります。

 40年間の荒れ野の旅の終わり、モーセはヨルダン川の東、ネボ山(ピスガ)の山頂に立ち、ヨルダン川のかなたに約束の地を見ながら、民に向かって説教をしました。実はモーセは約束の地に入れずこの地で死ぬことになっています。自分でもそのことを知っていて、これまでの荒れ野の40年を振り返り、約束の地に入ってから民がどう生きていくべきかを、遺言のように語るのです。これが「申命記」の中心部分にある長い説教です。今日の福音で、イエスが悪魔の誘惑を退けるために引用する旧約聖書の言葉は、すべてこの申命記からとられています。
 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という有名な言葉は申命記8章3節の引用です。これは「マナ」について語られた言葉です。マナは天からのパンとも呼ばれます。マナという天から降ってきた不思議な食べ物によってイスラエルの民は荒れ野の旅の間養われました。

 このマナがもともとどういうものなのか、諸説あるようですが、聖書によるとこの不思議な食べ物には2つの特徴がありました。一つは平等であるということ。皆がそれぞれに毎朝このマナを集めるのですが、「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた」(出16・18)というのです。もう一つは、その日とったマナはその日一日しか持たなくて、翌日になると腐ってしまう。これもマナの特徴です。その日、その日、一日分だけ与えられる。日々神に養われて生きる、ということでしょうか。ギリギリの生活です。でも神から与えられた必要最小限のものを、日々、皆で分かち合って生きる、荒れ野の生活の特徴はここにあります。
 そしてモーセは申命記でこの食べ物のことを語るのです。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(申命記8・3)。あのマナが与えられたのは、マナという不思議な食べ物によって生きるということではなく、神によって生きるということを教えるためだったのだ。イスラエルの民は約束の地に入るとそこで定住生活をはじめ、農耕をするようになる。作物を蓄えるようになります。すると今日、神のことを思わなくても生きていられるようになる。そうなったときに、神を忘れる。いや、たとえそうなっても神を忘れないように。これがモーセの言いたいことです。あの荒れ野で、神は日々、マナを与えて、民を養い続けたではないか、そのことの意味を忘れないように。
 農作物を作り、それを蓄えることにはもう一つの問題が起こります。ある人はうまくいって作物をどんどん蓄えるようになる。しかしある人はうまくいかずどんどん貧しくなる。貧富の差が生まれるのです。そして持っている者が持っていない者を虐げる、ということが起こります。これも大きな問題です。

 そこから振り返ったときに、荒れ野の生活の中にこそ、本当の意味で神との親しい関わりがあり、人と人との分かち合い、支え合いがあったと気づくのです。荒れ野は神との出会いの場であり、人と人とが平等に生きる場なのです。
 さて、長い話ですね。四旬節の話をしたいのです。
 四旬節とはわたしたちが自分を、この荒れ野に置いてみるときだと言ったらいいと思います。満ち足りて、神のことを忘れ、困っている隣人のことを忘れている、人に対して無関心になっているところから、あの荒れ野に自分を置いてみる。そこからもう一度、神に向かい、隣人に向かっていこうとする。これが四旬節です。わたしたちが自分の罪を見つめて回心するのも、節制や祈りや愛のわざに励むのも、すべてそのことを目指しています。

 ただもう一つ、現代の荒れ野のことも話さずにいられません。
 震災からしばらくして、福島からバスに乗って原町に来る途中で飯舘村をとおったとき、わたしはそこに荒れ野を見ました。人が住まず、田んぼには雑草が生い茂っていました。無残な姿でした。その後、除染が始まり、雑草はなくなり、フレコンバッグが畑の中に積まれていきました。その光景は、小高でも、浪江でも、富岡や楢葉でもすごいものがありますね。これが現代の荒れ野です。人間が作り出した荒れ野です。何年も人が住まず、これからも厳しい生活が待ち受けている場所です。
 でもだからこそ、こうも言えるのではないか。神なしに生きられない。本当に人間の頑張りだけでどうにもならず、神の助けなしに、祈りなしに生きられない。同時にそこで人は一人一人孤立していては生きられない。どうやって人と人とがつながり、支え合っていくか、そのことの中でしか生きられない。荒れ野は確かに厳しいです。でもこの荒れ野の中でこそ、わたしたちはもっと神と親しい関係を生きることができ、もっと人と人との親しい関係を生きる可能性がある!

 避難指示の地域だけの問題じゃないかもしれません。仕事、家族、人間関係、病気などわたしたちはいろいろな面で、荒れ野のような現実を経験しているかもしれない。ならば、この現実の中にこそ本当の神とのつながり、本当の人とのつがりがりが生まれるかもしれない。そう信じて、そう祈りながら、この四旬節の日々と過ごしたいと思います。


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年間第8主日のミサ



「野の花」じゃなくて「カリタス南相馬のプランターの花」ですが・・・

●年間第8主日
 聖書箇所:イザヤ49・14-15/一コリント4・1-5/マタイ6・24-34
                   2017.2.26カトリック原町教会        
 わたしは大学生のときにキリストを信じるようになりました。わたしを信仰の道に導いてくれたのは、知的ハンディのある人だったと思っています。
 わたしは高校を出て大学に進学しましたが、そのころ人生の目的が見えませんでした。サラリーマンになる道に魅力を感じませんでしたし、かといって他に特技や才能があるわけでもなく、何か資格をもった職業につくのも無理だと思いました。本当に何のためにどうやって生きていったらいいか迷い続けていました。すべてに自信がなく、人付き合いも苦手でした。いろいろな本を読み漁る中で聖書に出会い、教会にもちょっと通うようになりましたが、神やキリストを信じることはできませんでした。

 たまたま教会の司祭に誘われて、栃木県の那須にある「光星学園」という知的障害者の施設に行くことになりました。山奥の広大な敷地を持つ施設です。30人ぐらいの青年のグループで、学園の外れにある宿舎に泊まりながら、いろいろな作業を手伝うボランティアでした。実はわたしたちが行った日に、落雷のため、わたしたちの宿舎部分は停電となり、都会から行った青年たちはずっと電気と水道のない共同生活をすることになってしまいました。
 わたしはそこで初めて、知的ハンディのある人たちと出会いました。障害の軽い人たちとは一緒に作業をすることがありました。今でもよく覚えているのは那須教会の聖堂を作るための整地作業でした。那須教会は今でもそうですが、光星学園の広大な土地の一角にあります。当時、新しい聖堂を建てることになり、斜面を削って平らな土地を作るという作業を人海戦術で行なっていました。もちろん機械を入れてやれば簡単でしょうが、その施設では、機械を入れれば入れるほど知的障害者から仕事を奪ってしまうことになるので、あえて手作業の部分を残していました。特に聖堂を建てるという仕事ですから、みんながそれに関わることができるようにと、人海戦術で行われていたのです。
 休憩時間に一緒にお茶を飲みます。「あんたたちどっから来たのー?」「東京から来たんだー」「どこに泊まってんのー?」「ずうーと向こうの宿舎に泊まってんだけど、電気もないし、水道も出ないからたいへんなんだー」すると彼はこう言いました。「なーんだ。じゃあオレたちのほうがよっぽど恵まれてんなー」

 わたしはこの言葉を聞いて衝撃を受けました。そう言った彼の顔がきらきらと輝いていたからです。軽度とはいえ知的な障害を持ち、こんな山の中の施設で、不自由な生活をしていながら、この人はなんでこんなに生き生きと生きているのだろう。
 それに引き換え、自分は特に障害があるわけでもなく、東京で大学生という身分を与えられながら、まったく生きる意味を見いだせずにいる。本当にこの人のほうがよっぽど恵まれている。そう思いました。そして彼がそうできているのは、与えられたいのちをただ精一杯生きているからではないかと思いました。人と比較したら、できないことだらけかもしれない。でもスコップで土を削り、一輪車で運ぶことは彼にできることで、かれはその仕事に誇りを持っている。だからこんなにキラキラと輝いて生きていることができるんだ。わたしがそうできないのは、人と比較して、この程度の大学で、この程度の成績で、自分は社会から相手にされないんじゃないか、そんな人との比較の問題だということに気づかされたのです。

 わたしは東京に帰って、聖書を開き、きょうのこの箇所を読みました。「空の鳥を見なさい」「野の花を見なさい」「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
 本当にそうだと思いました。あの知的ハンディの青年がそうであったように、わたしも生かされたいのちを精一杯生きればいいのだ。何を食べようか、何を飲もうかではなく、神はわたしたちにいのちを与え、必要な恵みを注ぎ、生かしてくださっている、その神の愛に応えて生きればいいのだ。
 わたしはこれを福音の真髄だと思っています。皆さんにとってそうかどうか分かりません。でもわたしにとってはそうです。今日生かされたいのちを、今日精一杯生きる。それだけでいい。40年前のわたしはそこから出発することができました。

 今、わたしたちの社会には恐れと不安が満ちています。いったいこの先世界はどうなるのか、日本はどうなるのか、この地域はどうなるのか。わたしの生活はどうなるのか。「明日のことを思い悩む」、悩んで不安になるのが当然な状況でもありますね。
 でも、だからこそ、根本にある神への信頼を取り戻したいのです。大きなところで神はわたしたちを必ず支えてくれる。空の鳥一羽一羽を養い、野の花一輪一輪を装ってくださる神はこのわたしを、このわたしたちを決して見放さない。第一朗読にあるように、「女が(子どもを)忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」その神に対する信頼のあるところ、そこに安心感と平和が生まれます。そこからわたしたちは前に向かって歩み始めることができる。
 これが福音の真髄だ、とわたしは本気で思っています。


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