毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活節第2主日のミサ



先週、相馬市の松川浦に行ってきました。
津波で大きな被害を受けた場所ですが、
相馬港も漁港も整備され、つい先日、松川浦大橋も車で通れるようになったそうです。

写真は早朝散歩のときのものです。
では毎度ですが、ミサの説教をどうぞ。

●復活節第二主日(神のいつくしみの主日)
 聖書箇所:使徒言行録2・42-47/一ペトロ1・3-9/ヨハネ20・19-31
               2017.4.23原町教会
 ホミリア
 今日の福音で、イエスは「見ないのに信じる人は、幸いである」とおっしゃいます。皆さんはどう思いますか?トマスも他の弟子たちも復活したイエスを見たから信じたわけで、「見て信じたから、幸いだ」と感じるかもしれません。「見ないで信じる」とはどういうことでしょうか?

 ヨーロッパ中世の哲学者や神学者は何とか神の存在を証明しようとしました。そして信仰を理性的に裏付けることができると考えていました。近代になるとその前提は変わっていきます。17世紀のフランスに生きた哲学者ブーレーズ・パスカルは、神の存在を人間の理性で証明することはできず、信仰を理性的に裏付けることはできないと考えました。その上で「信仰は賭けだ」と言いました。パスカルの賭けの内容は今日くわしくお話ししませんが、パスカルは神がいるほうに賭けた方が得をする、だから神がいるほうに賭けたほうがいいに決まっている、と言いました。まあこのパスカルの賭けそのものにはいろいろ問題もあります。しかし、多かれ少なかれ、近代・現代の人間はこのパスカルの立場を出発点としていると思います。それは、神を見ることはできないし、人間の言葉で証明することもできない、ということです。だとしたら、信じることはわたしたちにとっても、ある意味で「賭け」だと言わざるをえないかもしれません。

 わたしたちは「復活を信じます」と言います。復活を信じるというのは、2000年前、死んだイエスが立ち上がって墓から歩いて出てきた、と信じることではありません。そうではなく、あのイエスの歩みが十字架の死で終わってしまったのではなく、イエスは死をとおって、もっと大きないのち、神のいのちの中に入っていかれ、そこで永遠に生きる方となった、と信じることです。そういう意味で復活というのは本来、目に見えたり、人間の言葉で証明したりすることのできないことです。人間の経験のレベル、人間の理解や言葉での説明のレベルを超えた出来事だからです。イエスの弟子たちは、復活のイエスに出会ったと証言しますが、彼らの体験はほんとうに例外的なことでした。イエスは自分が死に打ち勝ち、永遠のいのちを生きるものとなったということを、ご自分の弟子たちに知らせるために、特別な期間、特別な仕方で弟子たちだけに姿を現したのです。ですから、その後の時代の人たちにとっては、「見ないで信じる」のがあたりまえなのです。

 見ないで信じるのはやはり「賭け」だと言わざるをえないかもしれません。なぜわたしたちは「信じる」ほうに賭けるのでしょうか。
  それは聖書を読んで、福音書をとおして伝えられたイエスの生き方を知っているからです。イエスは神を「アッバ、お父さん」と呼びました。イエスは生涯をかけて、その「アッバ」である神への信頼を生き、すべてをアッバに委ねて生きました。また、出会った人一人一人を例外なく、神の愛する子、ご自分の兄弟姉妹として大切にされました。あのイエスを見た時、わたしたちは、これが本物だ、これこそわたしたちの目指す生き方だと直感的に感じるのです(もちろん足元にも及びませんが・・)。わたしたちは皆、そういう心を持っています。それは聖霊がわたしたちの心に働きかけているからだという人もいます。わたしたちの心に直接働きかける神の働きかけ=聖霊の働きがあって、だから、わたしたちがイエスを見た時に、「これが本物だ」と感じることができる、確かにそうかもしれません。あるいは、イエスの生き方が、わたしたちがそれぞれ自分の人生の中で経験してきた一番素晴らしいもの、一番根っこにあるものを思い出させてくれるからかもしれません。それは小さいころから受けてきた親の愛かもしれません。あるいは別の人や出来事をとおして経験した、本物の愛かもしれません。
 もちろんそれは目で見ることも、証明することもできないことで、やはり賭けのような面があります。わたしたちキリスト信者は皆、イエスに賭けた者です。

 トマスもほんとうは賭けたのだと思います。トマスは他の弟子たちにイエスが姿を現したとき、彼らと一緒にいませんでした。だから信じられませんでした。信じられないのですから、「イエスは死んだままで、生きていない」というほうに賭けることもできたでしょう。でも彼は「イエスが生きておられるかもしれない」というほうに賭けたのです。だから八日目の弟子たちの集まりに参加しました。
 もしかしたら、わたしたちもそうかもしれません。イエスは復活したというほうに賭けているというよりも、「イエスは復活したかもしれない」というほうに賭けている、それが実感かもしれません。イエスはトマスをいつくしみ、導いてくださいます。イエスはトマスをも信じるものに変えてくださいました。イエスはわたしたちをも導き、いつか必ず本当に信じるものに変えてくださいます。

 イエスの復活を信じるほうに賭けるということ。それは、どんなことがあっても光は闇に打ち勝つ、と信じることです。希望は絶望に打ち勝つ。信頼は疑いに打ち勝つ。愛は無関心や憎しみや暴力に打ち勝つ。そして最終的に、いのちは死に打ち勝つ。そう信じ、そのほうに賭けるということです。それは確かに賭けですが、本当は賭け以上のものです。信仰とは、わたしたちの生き方の選択の問題なのです。
 今日の福音はイエスの復活の日の出来事と、それから八日目、一週間後の出来事です。今日もわたしたちは八日目ごとのイエスの弟子の集いに集まりました。ここで復活の信仰を確かめ合いながら、愛を信じ、いのちを信じて歩んでいきましょう。


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復活の主日・復活徹夜祭



なぜかお墓の桜は美しい。
南相馬市小高区飯崎の墓地にある枝垂れ桜は、特にみごとです。

「願はくは花の下にて春死なむその如月のもちづきのころ」(西行)
という心境で、日本人はお墓に桜を植えてきたのでしょうか?

でも聖土曜日に見たこの桜が、わたしには
死に打ち勝ったキリストのいのちを表しているように見えました。


●復活徹夜祭
 聖書箇所:出エジプト記14・15〜15・1a他/ローマ6・3−11/マタイ28・1-10
                     2017.4.15原町教会
 ホミリア
 福音はマタイ福音書で、イエスが復活した朝の出来事が読まれました。
 復活されたイエスに最初に出会ったのは、女性の弟子たちでした。すべての福音書はイエスの復活の知らせを最初に受け取ったのが、墓に行った女性たちだったと伝えていますが、マタイ福音書とヨハネ福音書ははっきりと女性の弟子が最初にイエスご自身に出会ったと伝えています。
 男の弟子たちは最後までイエスについていくと言いながら、イエスが逮捕されると皆、逃げてしまいました。女性の弟子たちは違います。彼女たちはイエスの十字架に最後まで従い、イエスの死を見届け、三日目の朝、イエスの遺体の世話をするために墓に行きました。ローマ帝国に対する反逆者として十字架刑になったイエスの墓に行くということは、もしかしたら自分たちもとんでもない目にあうかもしれません。彼女たちは身の危険を犯してまでもイエスの墓に行こうとしました。

 イエスの時代、女性は弱い立場に置かれていました。当時の価値観では、律法をきちんと守った生活をすることが人間として最も価値あることでした。その律法は男性だけに学ぶ義務があり、男性だけに守る義務もありました。女性はその男性に従属する立場で、律法を守る主体とは考えられず、一人前の人間と認められていなかったのです。その中でイエスは女性も男性も神の前でまったく等しい尊厳をもった存在であることを教えました。それだけではありません。ある女性たちは病気によって、あるいは不幸な境遇によって、「汚れた女性」という烙印を押され、蔑まれていました。イエスの弟子となった女性たちはそのような境遇の中でイエスに出会い、イエスによって人間としての誇りや生きる意味を取り戻させてもらった人だったのではないでしょうか。そして、だからこそ彼女たちは、最後までイエスに付いていったのでしょう。

 そしてその女性の弟子たちにとって、イエスの死がどれほど辛く悲しいものであったかも想像できます。彼女たちは完全に打ちのめされていたはずです。そして彼女たちはせめてイエスの遺体に近づこうとしたのです。そこで安息日が終わり、夜が明けるとすぐにイエスの墓に行くのです。そこで彼女たちはイエスが復活したという知らせを受け取りました。

 今日のマタイの箇所では、実際にイエスに出会ったと伝えられています。ごくごく短い記述ですが。
 ここでイエスは「おはよう」と言います。原文のギリシア語では「カイレテchairete」と言い、まあ普通のあいさつに使う言葉ですから、「おはよう」でもいいのかもしれませんが、元の意味は「喜べ」という言葉です。復活のイエスがそこにいて、「喜べ」とおっしゃってくださったとき、彼女たちは本当に喜びに満たされていったことでしょう。
 この女性たちは何を喜んだのでしょうか。もちろんそれは「イエスが生きておられる」ということです!あのイエスが生きている。自分たちを限りないいつくしみを持ってあわれみ、救ってくださったあのイエスは生きている。

 彼女たちの大きな喜びをわたしたちも感じることができるでしょうか。わたしたちにとって、イエスが生きているという喜びはどういうことでしょうか。それは「愛は死に打ち勝った」という喜びだと言ってもいいのではないでしょうか。イエスの愛は暴力に、憎しみや妬みに、罪と死の支配に、闇の力に打ち勝った!
 それが2000年前にイエスの墓を訪ねた女性の弟子たちの喜びであり、わたしたちの喜びでもあります。わたしたちは今日、イエスに出会った女性たちと一緒に、主イエスの復活を心から喜び祝いましょう。




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聖金曜日 主の受難



浜通りの桜シリーズ。第二弾。
富岡町の、有名な「夜の森」の桜です。
大半は帰還困難区域で、立ち入ることのできるのはわずかな区間でした。
でも桜並木はみごとです。

●聖金曜日 主の受難
 聖書箇所:イザヤ52・13~53・12/ヘブライ4・14-16、5・7-9/ヨハネ18・1~19・42
                      2017.4.14カトリック原町教会
 ホミリア
 世界がどんどん暴力的になっていると感じるのはわたしだけでしょうか。
 シリアや北朝鮮をめぐる状況は非常に厳しいものがありますし、イスラム国を名乗るようなテロもあとを絶ちません。今週の日曜日、エジプトの2つの町でコプト正教会(非カルケドン派の正教会)を狙ったテロが起き、47人が犠牲になりました。聖週間に合わせて実行されたテロの報を聞いて、わたしたちは悲しみに襲われます。ISだけではありません。アメリカ、ロシア、中国、そして日本なども、自国の利益を守るために軍事力に頼ろうとする傾向が強まっています。
 もっと身近なところでは、凶悪な犯罪、特に弱い子どもや女性、高齢者を狙った犯罪も日々報道されています。さらにいじめや虐待、DVやパワハラなど、本当にいやになるほどの暴力がわたしたちの周りにあります。

 もちろん昔からそうだったとも言われるかもしれません。昔から人間は暴力の連鎖から抜け出せずにいるとも言えるのは確かです。
 わたしたちはとにかくそういう暴力が暴力を生む、暴力の連鎖がいやというほど感じられる現実の中を生きています。
 歴史を振り返って見て、暴力が問題を何も解決しないことをわたしたちは知っています。暴力は憎しみを生み出し、憎しみはまた新たな暴力を生み出します。暴力は暴力の連鎖しか生み出しません。そしてそう知りながらも、この世界は暴力の連鎖から抜け出せずにいるのです。

 そんな中で今日、イエスの十字架を見つめます。
 イエスこそ、まさに暴力の被害者でした。マルコやマタイは、受難のイエスが無力でただ苦しむ人になっていった姿を伝えています。ルカはその中で最後までイエスが示した積極的な生き方を伝えてくれますが、ヨハネの伝える受難のイエスは、さらにもっと十字架の死に向かって自ら積極的に歩んでいくような雰囲気があります。
 イエスが逮捕された時に、ペトロは持っていた剣で大祭司の手下に打ってかかった。しかし、イエスは「剣をさやに納めなさい」と言って、それをやめさせた。そしてその後のピラトの取り調べの場面ではこう言いました。「もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない」この世は力関係で動いています。強いものが勝利を得る、それがこの世の原理です。しかし、イエスはそういう原理を認めません。この世の原理と違う神の原理によってイエスは生きているのです。そのことをはっきりと主張しています。この世の力がすべてではない。この確信をイエスは持ち続け、語り続けました。イエスは受難の場面で、武力で抵抗しませんでした。でもそれは単なる無抵抗ではありません。今風に言えば、「非暴力の抵抗」と言ったらいいでしょうか。

 ヨハネ福音書の受難物語でもう一つ特徴的なのは、母マリアと使徒ヨハネとのエピソードでしょう。息を引き取る前、イエスは自分の弟子を母にゆだね、母を弟子にゆだねました。13章のはじめに、「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」という言葉がありました。「この上なく」と訳された言葉は「最後まで」という意味にも取れます。この最後のぎりぎりのところでマリアを弟子に与えたのです。それは弟子に対するものすごい信頼だと言えるのではないでしょうか。また、「わたしの母があなたの母になる」ということは、「わたしたちは本当に兄弟なのだ」ということでもあります。イエスの弟子に対する極限までの愛とはそういう深い心の交流を意味していたのです。
 もう一つ、特徴的なのは「渇く」という十字架の上での叫びです。これは詩編の言葉と言ってもいいかもしれません。苦しみの中から神に祈った旧約の人々は「わたしは渇き果てています」と神に訴えました。イエスはすべての苦しむ人、暴力を振るわれている人、全てを剥ぎ取られている人。その人々とつながって「渇く」のです。

 この愛と連帯の姿がヨハネ福音書の受難のイエスの特徴です。だから最後の言葉は「成し遂げられた」なのです。イエスの十字架において、暴力は最高潮に達しました。この世の原理、力の原理、ご暴力の支配がすべてを覆っているように表面的には見えます。しかし、本当はそうではない。
 イエスが非暴力の抵抗を貫き、極限までの弟子たちへの愛と、苦しむすべての人への連帯を示された中に、そこにこそ、暴力と罪と死の支配を打ち破る道が開けたのです。だからヨハネ福音書のイエスは「成し遂げられた」と言って息を引き取られたのです。
 罪と死と暴力の支配に打ち勝ったイエスの十字架を今日、見つめ、あがめ、たたえましょう。


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主の晩さんの夕べのミサ



寸暇を惜しんでお花見に(?!)

浪江町の請戸川です。ここは先日も「コスモス宮代」の皆さんと一緒に行きました。
その時は5分咲きでしたが、今日は満開。
6年ぶりにこの土手の桜を見上げる人々、、、やはり故郷の桜は格別なようです。

浪江町の一部は3月31日に避難指示解除になりましたが、
帰っている方はまだほとんどいらっしゃいません。

●主の晩さんの夕べのミサ
 聖書箇所:出エジプト12・1-8、11-14/一コリント11・23-26/ヨハネ13・1-15
                      2017.4.13原町教会
 イエスは逮捕され、十字架にかかる前の晩、弟子たちとともに最後の食事をしました。イエスはいろいろな場面で人々とともに食事をしてきました。徴税人や罪びとと一緒に食事をすることをとおして、神のいつくしみとゆるしのメッセージを伝えました。5,000人以上の大群衆とわずかなパンを分かち合う中で、ほんとうの豊かさの世界を示されました。弟子たちとはもちろん、いつも一緒に食事をしていたはずです。でもこの食事は特別な食事でした。それはたまたま最後の食事になったというのではなく、どうしてもこれだけは最後に弟子たちと一緒にしておきたいという食事だったのです。

 マルコ福音書やルカ福音書によるとイエスは不思議な仕方で、その食事の場所を弟子たちに示しました。マルコによれば、イエスは使いの弟子にこう言われました。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」(マルコ14・13-15) どこどこのだれそれの家に準備しなさいと言えば簡単です。でもそうではありませんでした。「水がめを運んでいる男」についていけ。当時、水汲みは女性の仕事でした。だから男性が水がめを持っていれば特別なしるしになります。その人についていけば分かる。暗号のような指示です。イエスはどこで過越の食事をするかをちゃんと手配していて、それを自分の弟子たちにも分からないようにした、ということでしょう。イエスには受難のときがすぐそこに迫っていました。だからこの食事の場所が分かってしまえば、その時に捕まる危険もあったのです。イエスはそれを知っていて、弟子たちの中から裏切る者が出ることもわかっていて、だから弟子たちにも場所を知らせなかったのでしょう。すべてを受け入れながら、でもその前にこの食事だけなしておきたかったわけです。
 ルカ福音書ははっきりとイエスの思いを伝えています。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」(ルカ22・15)この食事をしないことには、言わば「死んでも死に切れない」。この食事にかけたイエスの思いを今日このミサの中で受け取りたいと思います。

 その中でイエスが何をなさったか。わたしたちはよく知っています。パンを取り、「これはあなたがたのために渡されるわたしの体」と言って弟子たちに与え、またぶどう酒の杯を取って、「これはあなたがたと多くの人のために流されるわたしの血、永遠の契約の血」と言って、弟子たちに飲ませました。このパンとぶどう酒の杯をとおして、ご自分と弟子たちのつながりを永遠のものにしようとなさったのです。
 イエスは永遠に弟子たちとともにいてくださる。そのことの目に見えるしるしとして、この食事を続けることが弟子に託されました。司教や司祭に託されたとも言えますが、教会全体に、すべての弟子に託されたとも言えるでしょう。イエスの弟子たちは、イエスをとおして神に賛美と感謝をささげるために、特別な場所を必要としません。ただパンとぶどう酒さえあれば、そしてあのイエスの死と復活を記念して食卓を囲めば、イエスとつながることができるのです。パンとぶどう酒を用いてキリストを記念することは、弟子たちの根本的な使命となりました。わたしたちはイエスの弟子となるために、まず洗礼を受けました。そしてイエスの弟子として生き続けるために、聖体祭儀を行うのです。

 もちろん、このパンを裂く式を儀式的に繰り返せば良いのではない。このことを行いながら、これの意味することを本当に深く受け取るように、これがイエスの思いでした。
 パウロは一コリント11章で、まさにこの問題を問いかけています。コリントの教会にあった問題は、ある人は食べて満腹し、ある人は食べ物がなくて飢えている、という問題でした。パウロは、そんな状態で本当に主の晩さんを祝うことになるのか、と問いかけるのです。主の晩さんとは、わたしたちのためにご自分のすべてを与え尽くされたキリストの愛の記念ではないか。それを行っているわたしたちに愛がなくていいはずがない、貧しい人に無関心でいいはずがない。パウロはそう力説しているのです。
 ヨハネ福音書は最後の晩さんの席での話を長く伝えていますが、その中で、パンとぶどう酒の話はしないで、まったく違うエピソードを伝えています。それはイエスが弟子たちの足を洗い、「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」と言ったエピソードです。さらに最後の晩さんの席での説教の中で「わたしの掟」「新しい掟」と呼ばれるあの掟を弟子たちに与えたことも。それは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という掟です。さらにイエスはこうおっしゃいました。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ13・35)つまり、イエスのように愛する者となることがイエスの弟子の特徴だということを、イエスは最後の晩さんではっきりと教えてくれました。

 イエスの弟子たちは、2000年の間、この食事を繰り返してきました。「パンを裂くこと」、「主の晩さん」、「エウカリスチア=感謝の祭儀」といろいろの呼び方があり、いつしか普通に「ミサ」と呼ばれるようになりましたが、この食事をずっと続けてきました。これなしにわたしたちはキリストの弟子として生きられないからです(Sine Dominico non possumus)。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」イエスの弟子たちに対するこの特別な思いを込めた食事がこれです。
 今日、わたしたち一人一人、イエスの弟子としてこの特別な食卓に招かれたことを味わい、イエスの思いを受け止め、イエスの愛に結ばれて生きることができるよう祈りながら、主の晩さんを祝いたいと思います。


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受難の主日(枝の主日)のミサ



田中正造が晩年、日記に書き記した言葉。

“真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし”。

今、福島にいて、この言葉が心にしみます。


●受難の主日
 聖書箇所:イザヤ50・4-7/フィリピ2・6-11/マタイ27・11-54
             2017/4/9カトリック原町教会
 ホミリア
 マタイの受難物語を読んで、田中正造という人を思い出しました。
 明治時代に始まる足尾鉱毒事件というのがありました。日本の公害問題の原点と言われる栃木県足尾銅山の公害事件です。明治時代、足尾銅山の精錬所から出るガスが付近の山々を枯らし、汚染水が渡良瀬川の下流に大きな被害をもたらしました。日本の近代化のために銅山は重要な産業で、国は公害対策よりも産業振興を優先していました。銅山を経営する古川鉱業に対して、抜本的な対策を求めることがありませんでした。
 これに立ち向かったのが田中正造でした。栃木県佐野市の出身で、1890 年から6期11年にわたって衆議院議員を務めました。彼は再三、国会で鉱毒の被害を訴え続けました。しかし彼の訴えはほとんど無視されました。被害を受けていた農民たちは陳情のため何度も東京に向けて出かけましたが、1900年、その途中で警官隊と衝突し、多くの逮捕者が出ました。これを川俣事件と言います。その後、田中正造は鉱毒問題については天皇に直訴するしかないと考え、1901年に衆議院議員を自ら辞し、日比谷で天皇の乗った馬車に駆け寄り、直訴を試みます。直訴は失敗しましたが、この出来事は大きく報道され、人々が鉱毒事件に関心を持つようになりました。正造は川俣裁判の裁判を傍聴中、あくびをしたとされ、この態度が法廷を侮辱した罪に問われ、1902年に重禁錮40日の刑を受けました。このときに獄中で聖書に出会ったそうです。彼はキリスト教の洗礼は受けませんでしたが、その後ずっと聖書を熱心に読み続けました。

 その後、鉱毒を貯める巨大な貯水池が作られることになりました。現在もある渡良瀬遊水池です。鉱毒の元である銅山はそのままにして、被害を減らそうというのです。鉱毒をその池に沈殿させるため、というのが池を作る理由でしたが、田中正造たちが住んで鉱毒反対運動の拠点になっていた群馬県下都賀郡谷中村を潰すためでもありました。谷中村は池の中に沈むため強制廃村となり、住民に立ち退きが命じられました。田中正造は1907年の家の強制破壊の日まで谷中村に住んで抵抗を続けました。その後も抵抗を続けましたが、次第にこれまでの支援者たちも田中正造を離れ去っていったそうです。
 田中正造の最期は支援者の家を訪問する旅の途中、病で倒れ、しばらくして息を引き取ったというものでした。1913年9月4日、71年間の生涯でした。鉱毒反対運動に私財をすべて投じ、最後は無一物になったと言われています。苦しむ人々、見捨てられた人々のためにすべてをささげた生涯でした。

 彼が最後に持っていたものは布製の袋たった1つでした。中には書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ福音書を一つに綴じた小さな本だけがあり、これが全財産でした。
 その日記の最後のページに書かれていたのは、「何とて我を」という言葉です。この言葉が何を意味するか諸説あるようですが、わたしは何年か前、田中正造の遺品を展示してある佐野市郷土博物館でその言葉を知り、すぐにこれは十字架のイエスの言葉だと気づきました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」文語では「何とて我を見捨て給ひしや」ということになります。
 田中正造の生前、どんなに訴えても古川鉱業は加害責任を認めませんでした。国もそうでした。それを認めたのはなんと1974年のこと、田中正造が世を去って60年以上経った後のことでした。田中正造は無念のうちに世を去りました。「何とて我を」この言葉は田中正造の無念さをよく表しています。しかし、正造はただ無念さを感じてこう書いたのではないとわたしは思います。彼は自分自身の思いをあの十字架のイエスの思いと重ね合わせていたのでしょう。イエスもまた自分と同じように、神からも人からも見放される苦しみの中で死んでいった。自分の苦しみはあのイエスの苦しみにつながっている、と正造は信じていたと思います。

 イエスご自身はどうだったでしょうか。確かにイエスは弟子たちから裏切られ、群衆から見放され、最後は神にも見捨てられたようになって十字架で死を遂げました。その中で、イエスはあの「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉を発せられました。ただイエスは(そして田中正造もおそらく)、これが詩編22の冒頭の言葉であることをよく知っていました。
 第22編はどうしようもない苦しみの中からの叫びです。
 「2わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」
 「7わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。8わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。9『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。』」
 「17犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。18骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め19わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。」
 イエスは、「わが神、わが神」というこの詩編を唱えることによって、過去から未来へと何世代にもわたる人々。理不尽な苦しみを受け、苦しんでいるすべての人々の群れの一員となったのです。十字架のイエスはいつも苦しむ人とともにいてくださる方です。

 もう一つ大切なことがあります。詩編22の苦しみの中からの叫びは次第に神への賛美に変わっていくのです。なぜなら、詩編作者はこう確信しているからです。
 「25主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。」
 神は必ずこの叫びを聞いてくださる。人に捨てられようと、周囲から蔑まれようと、どんなに痛めつけられようと、すべてのものを奪われようとも、神は必ずこのわたしの叫びを聞いてくださる。ここにわたしたちの希望があります。
 わたしたち自身、どうにもならない苦しみを体験することがあります。その自分自身の苦しみの中で、共にいてくださる十字架のイエスを見つめましょう。そして、わたしたちの叫びを必ず聞いてくださる神に信頼を置いて、イエスと共に歩んでいきましょう。



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