毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

福島には夢がある

JP通信179

『JP通信』179号のための原稿です。 

 福島には夢がある
      幸田和生(東京教区補佐司教・カトリック東京ボランティアセンター代表)

 昨年12月の総選挙。原発問題はほとんど争点にならないまま、自民公明連立政権が返り咲いた。新内閣で環境大臣兼原子力防災担当大臣となった石原伸晃氏は就任直後に福島県を訪れ、「脱原発は現実的ではない」と語り、民主党政権が掲げた「2030年代までに原発ゼロを可能にする」という方針を葬り去った。
 「現実的ではない」という言葉は議論を封じるために大きな力を発揮したと思う。多くの人が「現実的でないことを議論しても仕方ない」と思わされてしまったようだ。それまで原発の是非やエネルギー政策のあり方をさかんに議論していたマスメディアからもほとんど議論が消えた。脱原発を主張する人間は「非現実的」な夢想家のように扱われ、何を言っても大多数の人は耳を傾けなくなった。「いくら理想を言っても、現実を直視しなければ・・・」そうやって、あの悲惨な原発事故をどんどん忘れ、ひたすら景気対策に人の心を向けて行く。今のところ、現政権の思惑は見事にあたっているようにも見える。
 「いますぐ原発の廃止を」と訴えた司教団の一員として、またキリスト者として、一人の日本人として、残念でならない。震災以来、特に福島の被災者・避難者に寄り添いたいと願って歩んできたCTVC(カトリック東京ボランティアセンター)の代表として、非常に悔しい。福島県の人々にあれほど大きな苦しみを与え、それが今もこれからもずっと続くのに、その元になった原発をただ「現実的」の一言で維持しようとするとは!
 そんな暗澹たる思いの中で、一つのフレーズが心に浮かんできた。
 「I have a dream.」
マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの有名な演説の中の言葉だ。今から50年前の1963年8月に、ワシントンD.C.のリンカーン記念堂の前で行われた演説である。
 この演説が行われたのは、1862年のリンカーン大統領による奴隷解放宣言から100年も経った時だった。しかし当時のアメリカには、まだ多くの面で人種差別が残っていた。バスの中に白人と黒人の席が別々に設けられていたり、学校やトイレ、プールでも白人用と非白人用の区別があった。この人種差別の撤廃を求めたのが、キング牧師らの率いた公民権運動だった。公民権運動の高まりの中、ワシントンへの大行進が行われ、集まった20万人以上の人々を前に行ったキング牧師の演説がこれである。以下、抜粋する。
 「私には夢がある(I have a dream)。
 それはある日、ジョージア州レッドヒルで、以前の奴隷の息子達と以前の奴隷所有者の息子達が、兄弟としてともにテーブルにつくことができるという夢だ。
 私には夢がある(I have a dream)。それはある日、不正と抑圧という灼熱に苦しんでいる不毛の州、ミシシッピーでさえ、自由と正義というオアシスに変わるという夢だ。
 私には夢がある(I have a dream)。それはある日、私の4人の子ども達が肌の色ではなく人物そのものによって判断される国に住むという夢なのだ。」
 キング牧師の夢は実現した。人種差別が完全になくなったとはいえないだろう。しかし今や50年前の夢を「非現実的」という人はだれ一人いない。
 なぜ夢は実現したのか? それは夢を持ったからだ。
 原発をなくすことによっていろいろな問題が起こるだろう。国民生活にマイナスの影響が出るのも事実だろう。だが目先の損得を計算して脱原発を「非現実的」と断じ、原発を続けることが正しいのか。子どもたち、さらにその子孫たちのことを考えたときに、今、何を現実的に選ぶべきなのか。大きな観点で原発をゼロにする、と決断した上で、そこから生じるさまざまな問題に真摯に取り組んでいくというのが、日本の、全人類の歩むべき道ではないのか。

 福島には夢がある。あきらめることのできない夢がある。
 それは、この世界から核兵器と原子力発電所がすべてなくなり、福島だけでなく世界中のすべての人が放射能の恐怖から解放されるという夢だ。子どもたちに放射能汚染のない世界を残すという夢だ。
 わたしたちにできることは、この夢を共有し続けることである。

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原発再稼働について

matsukicho

 わたしの両親の故郷は福井県小浜市である。父方の家も母方の家も海に近かった。子どものころは毎年夏休みに祖父母の家に行って海で遊び、おいしい魚を食べさせてもらった。
 最近、大飯原発周辺の地図を見て愕然とした。祖父母の家は両方とも大飯原発から10キロ圏内だった。福島第一原発で言えば、浪江町役場や富岡町役場のような距離だ。事故が起きた場合の影響の深刻さは容易に想像できる。

 しかし、大飯原発再稼働の問題は、大飯だけの問題ではない。
 原発には絶対にリスクがある。これが福島第1原発事故以後の大前提である。それを考えたら、将来的に原発をやめていく、という方向を取るしかない。その上で、今、どこかの原発を一時的に運転再開するというのなら、まだ話は分かる。そうではなく「国のエネルギー政策」の方向性も決めないまま、とにかく目先の大飯原発を再稼働させようというのは、日本国民と世界の人々をあざむき、なしくずしで原発依存を続けようとする政界・財界の魂胆だと言わざるをえない。もう決してだまされてはならないと思う。

 報道ステーション(テレビ朝日)の「原発再稼働 わたしはこう思う」というコーナーで、3月23日に放映された吉岡斉さんの発言はとても明快で、分かりやすかった。この方は原子力政策が専門の科学史家で、九州大学副学長、政府の事故調査委員会の委員でもある。ぜひ、ご覧いただきたい。

報道ステーション吉岡氏の話

 なお、福島市・松木町教会の教会誌「アンジェルス」に寄稿したわたしの文章を載せておきます(写真は松木町教会の1年間の活動を振り返る展示の様子です)。

●「エマオの弟子たちのように」

 「福島市は原発から60キロ離れていますが、放射線量が高いのです。チェルノブイリの基準だと全員避難しなければなりません。でも福島市の人口30万人を避難させる場所がどこにもないので、わたしたちは今もここで生活しています」
 昨年の7月、松木町教会を初めて訪問したときに聞いた言葉です。福島の方々がどんな思いを抱えながら福島で生きているかを強烈に感じさせられた言葉でした。
 それから、松木町教会の方々との交流が始まりました。自分たちも放射線量を気にしながら、警戒区域から避難している方々のためのボランティア活動をしてきたことを伺いました。そして、仮設住宅でも「ふれあい茶の湯」を続けていきたいという話を伺い、東京からのボランティアがそれをお手伝いさせていただくことになりました。これまでに大勢のボランティアが首都圏から出かけ、福島市や浪江町の方々と出会う恵みをいただいてきました。わたし自身はあまり参加できていませんが、昨年10月9日には、イエジ神父様はじめ松木町教会の信徒やシスターの皆様に同行させていただき、南相馬市北泉海岸で津波の犠牲者のために祈りをささげ、原町教会では一緒にミサをささげることもできました。
 日本の司教団は昨年11月、「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」というメッセージを発表しました。あの重大事故が起こってしまった以上、人間の限界をわきまえ、将来の世代に対する倫理的責任を果たし、人間を守るためには原発をやめなければならない、という内容です。「でも原発はやめられない。やめるべきではない」と言う人が東京にはまだいます。その人たちに出会うたびに、わたしは次のようにお願いしています。「福島に行ってみてください。そこでどんなことが起こっているか、福島の人に聞いてみてください。家を失い、故郷を失い、仕事を失い、地域のコミュニティーを失い、大切な人間関係を失った人たちの声に耳を傾けてください。お金で換算できない苦しみも含めて、原発事故のもたらす悲惨な影響を知ってください。」
 放射能の問題はデリケートです。どの程度を危険と感じるかは人によって違うからです。「今の福島に住むべきではない」と感じて福島から避難している方が首都圏にも大勢います。その人たちの判断が誤りだとはだれも言えないでしょう。一方で、福島に住み続ける方々も大勢います。それぞれの方の事情を聞けばそれも理解できます。
 先日、福島放送と朝日新聞が共同で行なった福島県民意識調査の結果が東京の新聞に載っていました。「県全体で、もとのような暮らしができるのはいつごろか」という問いに対して、「3年以内」1%、「5年以内」4%、「10年以内」13%。そして「10年より先」と答えた方が78%でした。
 これから歩んでいく道のりが長く続くことは間違いありません。カトリック東京ボランティアセンター(CTVC)は、福島の方々に長く寄り添いながら、ともに歩ませていただきたいと願っています。一緒に歩む中で、必ず復活のイエスが近づいてきて、わたしたちと一緒に歩んでくれると信頼しています。ちょうどエマオに向かう2人の弟子たちが体験したように…


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