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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第11主日

 今日から金曜日まで定例司教総会が行われます。日本の司教団の上に、聖霊の力強い導きがありますよう、皆さまどうかお祈りください。

 さて、昨日は大森教会に行きました。ミサの中で初聖体と堅信の式がありました。そのときの説教です。

年間第11主日(ルカ7・36-50

 初聖体を受ける皆さん、おめでとうございます。皆さんは今日はじめて聖体のイエス様をいただきます。今までずいぶんお待たせしました。これまで意地悪であげなかったんじゃありませんよ。教会は、本当は小さな子どもにも聖体をあげたいんです。でも、意味が分かるようになるまで待っていました。そして皆さんは、聖体のことを勉強して、その意味をよく分かって今日初聖体をします。それは本当に大切なことですね。

 聖体の意味、それはイエスさまと一つに結ばれることです。
 先週の日曜日は聖体の祝日でした。5つのパンと2匹の魚をおおぜいの人に分けて、皆がお腹いっぱいになったという話でした。覚えていますか?知っていますか?「神さまからいただいたものを自分で独り占めしない、感謝してみんなで分け合う」、それがイエスさまの心でした。そして、きょうの福音の話。ちょっと難しいけれど、それは「誰も仲間はずれにしない」ということだと思います。この人はいいけど、あの人はダメ。人間に対してそういう見方がイエスさまの時代には強くありました。でもイエスさまの心はそんな心じゃありませんでした。みんな神様の子どもで、みんな兄弟姉妹なんだ、というのがイエスさまの心でした。聖体をいただく皆さんは、そのイエスさまの心をいただいて、そのイエスさまの心を大切にしてください。

 さて、堅信を受ける皆さん、皆さんは中学生以上ですから、ちょっと難しい話をします。
 ニュースで見た人もいるでしょうか。先週6月7日(月)、川崎市で中学3年生の男子生徒が自殺しました。家のトイレで薬品を混ぜ合わせて有毒ガスを作り、死んでいるのをお母さんに発見されました。遺書がありました。その中に「いじめられている友達を助けられなかった」ということが書かれていました。
 その子の心がどこまで追い詰められていたのか、想像を絶します。正直に言いますけれど、わたしも小学生や中学生のとき、苛められている子を助けることができませんでした。でも「ごめんね」ぐらいにしか思っていませんでした。でもこの子は、友達を助けてあげられない自分は生きていても仕方ないと本気で思ったんでしょう。どれほど優しい心をもった子どもだったことでしょう。本当に死なないでほしかった、と思います。
 その自殺した子ども自身がどれだけ孤独だったかということも思います。誰か一人でも相談できる相手がいれば、その苦しみを分かってあげれば、死ななくてすんだはずだと思うんです。本当に悲しいです。

 先ほど、きょうの福音のイエスさまの心は「誰も仲間はずれにしない」ことだと言いました。きょうの福音には一人の女の人が出てきます。その人は、今で言えば、いじめられていた人だと言っていいと思います。たぶん貧しくて、生きていくためお金が必要なので、本当はよくないと思っていること、自分でもしたくないことをしないわけにはいかなかったのでしょう。それで町の人たちから「罪深い女」というレッテルを貼られて、軽蔑されていました。男の人たちからは単なる遊び道具のように扱われていました。その女の人がイエスさまのことを知ります。彼女はこの人、イエスという人なら自分を助けてくれるのではないかという思いで、イエスさまに近づいていきました。立派な人(ファリサイ派のシモンという人)の家にイエスがいると聞いて、出かけていくのです。必死の思いですね。うまく忍び込むことができました。そしてイエスに近寄って涙を流しました。
 そのとき、イエスさまは何にもしませんでした。でも彼女には、何もしないで、ただ自分のすることをゆるしてくれているイエスさまの態度に、ほんとうに自分が受け入れられているのを感じたことでしょう。その態度を見ていた家の主人は、イエスのことを疑います。「預言者かもしれないと思って、家に招いたのに、こんな罪深い女を勝手にさせている!」心の中でイエスを疑うんですね。イエスさまもこの女と同列なんじゃないのか、そう見下しそうになります。そんな誤解をされるほど、イエスさまはこの女性のそばにいます。その人の苦しみや悲しみを感じ取って、一緒にいようとします。
 これがイエスさまの心でしたね。そして、だから最後の最後、自分もいじめ抜かれて、十字架にかかってしまったのでした。

 いじめられている人に何ができますか? 何にもできないように思えるかもしれません。でも、いじめられている人、苦しんでいる人、一人ぼっちで心細い思いをしている人、その人に寄り添うことはできます。一人ぼっちゃじゃないよ、と言葉や態度で伝えることはできます。そのことを今日の福音のイエスさまの姿をとおして、深く感じたいと思います。
 堅信の秘跡を受けられる皆さん、この秘跡は、聖霊をいただく秘跡です。聖霊というのは目に見えない神様の力です。何のためにその力をいただくかと言えば、イエスさまの弟子になるためです。イエスさまの愛に結ばれて、イエスさまの愛を生きるためです。辛い思いをしている人がたくさんいます。その人たちのために祈ってください。身近に淋しい思いをしている人がいたら声をかけてあげてください、病気で寝ている人がいたらお見舞いしてあげてください、苦しい思いをしている人がいたら話を聞いてあげてください。わたしたちがイエスさまの弟子として、できることはたくさんあります。わたしたち皆が、少しでもそうできますように、祈りながら今日のミサをささげます。

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