毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の降誕 夜半のミサ



皆さん、主イエスのご降誕おめでとうございます♪

上の画像は本郷教会の祭壇前のプレセピオです。
昨晩はここでミサをささげました。その時の説教原稿を載せておきます。

●主の降誕の夜半のミサ(福音:ルカ2・1-14)の説教

 司教になってから毎年、800枚ぐらいのクリスマスカードを出しています。普段、手紙の返事を書くこともなかなかできないので、せめてクリスマスぐらいと思って出すとだいたい800枚です。「えっ、そんなに出しているのにわたしのところに来ていない」なんて言わないでください。東京教区の信徒みんなに出したらその100倍は必要になります。
 毎年、ほとんど、絵柄は一緒です。でも、中に掲げる聖書の引用はなるべく毎年変えることにしています。今年は、

   「闇の中を歩む民は大いなる光を見
   死の陰の地に住む者の上に光が輝いた
   ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた
   ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」(イザヤ書9章1,5節)

です。今日のミサの第一朗読から採った言葉です。実は去年と同じなんです。ある方が、去年このカードの聖句を見て、本当に励まされたと言ってくれました。そして、今年になってから去年のカードの聖句に励まされたという方に何人も出会いました。だから今年も同じにしました。
 それくらい「闇の中を歩む」人々が多いのだと感じています。病気だったり、仕事や職場の苦しみだったり、自分の生き方や家族の中の人間関係の悩みだったり、本当に光を見いだせずに、日々生きているのが精一杯という方々が多いと感じています。そしてわたしたちはその深い闇を感じながら、幼子イエスの中に、本当の確かな光を見つけたいと思って、今日、ここに集まっているのです。それはどんな光でしょうか。

 わたしたちは毎年毎年ルカが伝えるイエスの誕生の物語を聞きます。劇や音楽や、さまざまな飾りでこの誕生の物語を再現します。それは不思議な物語です。偉大な人間の誕生の物語にしては、あまりにも貧しくみすぼらしい光景ではないでしょうか。旅先での出産で、まともな部屋にも泊めてもらえず、家畜小屋のようなところで生まれてきた幼子。牛やロバのえさを入れる飼い葉桶がベビーベッドでした。そしてその誕生を祝いにやってきたのは、町の人々ではなく、ベツレヘムの近くで野宿をしながら羊の群れの番をしていた羊飼いたち。町の人たちから見れば、住所不定の流れ者で、ほとんど罪びとのように見られていた貧しい人々でした。これがルカの伝えるイエスの誕生の物語です。
 降誕の物語は、象徴的な物語です。もちろんそれはフィクションではなく、誰かの記憶をもとに伝えられてきた物語でしょう。マリア様の記憶でしょうか。でも、ただイエスの誕生の事実を伝えているというよりも、成長して、人々に神の国を告げ、最後は十字架にかかって死んだイエスという方の生涯全体の意味を表すシンボリックな物語だという読み方も大切です。

 イエスは成人してから、神の国の到来を告げ知らせる活動を始めました。「父である神はわたしたち一人一人を決して見捨てることなく、わたしたちを愛してくださっている。神はわたしたちに救いをもたらすために、わたしたちのところに近づいてきてくださっている」これが神の国の到来のメッセージでした。イエスはこのメッセージを言葉で伝えました。しかし、言葉だけでなく、むしろ行動をとおして伝えました。病気の人、特に汚れた病気と考えられ、人々から見放されていた人。悪霊にとりつかれていると言われて人との交わりを断ち切られていた人。貧しさのために立ち上がることができなかった人。職業的な差別のために隠れるように生活していた人。その人々に近づき、その人々に「あなたの苦しみ、あなたの貧しさをわたしは知っている。わたしがその重荷をともに担おう。だから諦めずに、もう一度立ち上がって歩いていきなさい」そう呼びかけていったのです。人々はイエスのまわりに集まってきました。イエスを中心にした集いの中に、神への信頼と愛が生まれ、育っていきました。そこにある意味で、もう神の国が始まっていたのです。しかし、イエスはある人々の反感を買い、受難の道に追いやられていきました。その中で最後には、苦しむすべての人と完全に一つになり、人々の苦しみを一身に背負って、十字架上でいのちをささげられました。イエスの生涯とはそういう生涯でした。すべての人の無力さを、貧しさを、苦しみを共に担ってくださったのです。
 幼子イエスの誕生の物語はそのことを象徴的に表しているのです。なぜ飼い葉桶なのですか、なぜ羊飼いなのですか。それは救い主が最も貧しく、最も無力な人々の一人となり、人々の貧しさや弱さをご自分の身に負うことのしるしなのです。マタイ福音書は同じことを「インマヌエル=神はわたしたちと共にいる」という言葉で表します。ヨハネ福音書は「みことばは人となり、わたしたちの間に住まわれた」と言うのです。これが降誕のメッセージです。どんなに闇が深くても、どんなに死の影がわたしたちを覆っていても、神が共にいてくださる。そこに光がある!

 わたしたちもその光をほんとうに信じたい。そして、それを一人でも多くの人に伝えたい。「それでも神様はわたしたちとともにいるよ。イエスは今もわたしたちとともにいてくださるよ」ということを伝えたいのです。どうやって伝えますか。それはイエスと同じやり方しかない。わたしたちが、病気の人、貧しい人、孤独な人、つらい思いをしている人のそばにいて、その人の重荷を共に担おうとすることをとおしてしか、伝わらない。具体的にできることは人によって違います。ある人は祈ることしかできないというかもしれません。それでいいんです。本当にこの世界で苦しむ人、特に孤立して、希望を見失っている人々のために祈ってください。
 幼子イエスは今年もわたしたちのところに来てくださいます。2000年前のベトレヘムの人々のように、今の時代の人々が拒否しようと、無関心であろうと、世に来て、それでも「ボクはここにいるよ。あなたと一緒にいるよ」そう語りかけています。その幼子イエスの光を見つめながら、わたしたちの世界に信仰と希望と愛の光がともりますように、ご一緒に心を合わせて祈りたいと思います。


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