毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活節第2主日 東星学園創立記念ミサ

遅くなりましたが、復活節第2主日のミサの説教です。
東星学園は東京都清瀬市にあるカトリック学校です。
体育館に幼稚園の年長から高校生まで集まって、おおぜいでこのミサをささげました。

●復活節第2主日(ヨハネ20・19-31)
 2011.05.01東星学園創立記念ミサ

 皆さん、ご存じのように、3月11日に東北地方の太平洋沖で、マグニチュード9.0という巨大な地震が起きました。そして信じられないほどの大きな津波が東北から関東の太平洋側の広い範囲の地域を襲いました。津波は多くの人や家や車を飲み込みました。亡くなった方は昨日までに14,662人と発表されています。また、行方不明の方は11,019人だそうです。合計すると死者・不明者 25,681人。ものすごい数です。津波の被害は原子力発電所にも及びました。電気設備が働くなり、原子炉を冷やすことができなくなって、放射能が周囲に漏れだしています。これは今も続いています。地震や津波のために家を失い、また、放射能汚染を避けるために避難している人の数はいまだに127,076人もいます。本当に大きな悲惨な災害が起きてしまいました。
 なぜ?なぜこんなひどいことが起こるのでしょうか?なぜこんな苦しみや死が人間を襲うのでしょうか?神様がほんとうにいるのなら、なぜこんなことをゆるしているのでしょうか?そう叫びたくなります。
 簡単に答えることはできません。キリスト教はこの悲惨な災害を説明することはできません。でもわたしたちはイエスさまの苦しみと死を思い出します。2000年前に生きたイエスさまは、すべての人の父である神様のことをみんなに教えました。神様に信頼して生きるようにみんなに呼びかけました。もちろんご自分も神様に絶対の信頼を置いて歩みました。そして、神様がすべての人の父ならば、すべての人を兄弟姉妹だということを行動をとおして示しました。出会った一人一人の人を、特に病気の人や貧しい人、差別されていた人を兄弟姉妹として大切にして生きました。しかし、当時の社会の指導者たちから恨まれるようになり、何の罪のないイエス様が、ひどい苦しみを受け、十字架で殺されていきました。なぜ、そんなひどいことが?とても言葉で説明できることではありません。
 しかし、聖書はそのイエスさまが死に打ち勝って復活したと語っています。先ほど読まれた福音書の箇所は、イエス様が死んで三日目に弟子たちに姿を現した、それから1週間後にもまた姿を現したという箇所でした。信じられますか?イエスさまの弟子たちもなかなか信じられませんでした。でもその姿を見たから信じたのですね。わたしたちは誰も見ていません。しかし、今日の箇所でイエスさまはおっしゃいます。「見ないで信じる人は幸い」。どうでしょう?本当でしょうか?
 実は、イエスさまの復活を信じるというのは、復活したイエスさまを眼で見て信じるということじゃないんです。イエスさまの信頼と希望と愛が決して滅びるものではなかったということを信じることです。イエスさまが最後の最後まで神様にかけていた信頼と希望は、決して死によってむなしくなるようなものではなかった。イエスさまがすべての人を愛したその愛も、決して死で滅びるようなものではなかった。むしろイエスさまの信頼と希望と愛は、死を超えて神様のもとで完成した、そう信じるのが復活を信じることです。そして、そのことを思い起こし、確認しあい、祝うのがこのミサなんです。ミサの中で、イエスさまは目に見えません。でも、今日の福音のように弟子たちが集まっている中にイエスさまはいてくださるし、今日も聖書の言葉をとおしてわたしたちに語りかけてくださっているし、今日もパンとぶどう酒の食卓にわたしたちを招いてくださっている。そうやって今日、生きているイエスを祝うのです。
 いいですね。イエスさまが目に見えないように、愛も希望も目に見えません。目に見えないから信じられないですか?いいえ、わたしたちは目に見えなくても希望を信じたいし、愛を信じたいのです。
 きょう、このミサの中で東日本大震災の被害にあったすべての人のために祈ります。その方々がイエスさまと一緒に死からいのちへと立ち上がり、力強く歩むことができるようにと祈ります。希望は決してむなしくない。愛することは決して無駄じゃない。その信頼をもって、わたしたちは祈りたいと思いますし、わたしたち一人一人にできることを探していきたいと思います。
 「主は皆さんとともに」「また司祭とともに」ミサの中で何度も繰り返す言葉です。そうです。イエスさまが今も生きていて、わたしたちとともにいてくださいます。だから、信頼と希望と愛をもって歩んでいきましょう。

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