毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

フランシスコ会助祭叙階式

keiimai

●フランシスコ 今井 慶 (O.F.M.)助祭叙階式
 2014.3.28 田園調布教会にて
 聖書朗読 エフェソ4・1-7, 11-13 ルカ22・14, 24-30

ホミリア
 助祭とは何をする人でしょうか。ミサの中で助祭は、福音書を朗読し、場合によっては説教もします。主の食卓である祭壇で司祭のかたわらで奉仕し、司祭を助けて聖体を信者に授けます。盛儀の洗礼式を行ったり、結婚式に立ち会って祝福を与えたり、葬儀を司式することもできます。でもそれは表面的に見える働きで、本当の助祭の仕事はもっと目立たないものです。病気の人を見舞う。貧しい人の世話をする。大人にも子どもにも、信者にも信者でない人にも福音のメッセージを伝える。信仰教育をする。実はこちらのほうが大切な仕事です。典礼はそれを目に見える形で表現します。ふだんの日々の生活の中で、愛と奉仕を生きているからこそ、典礼の中で主の食卓に仕えるという役割が与えられています。日々の活動の中で神のことばに仕えているからこそ、典礼の中で、福音を朗読するという役割が与えられているのです。典礼の中での役割が目につきやすいのですが、本当に大切なのは共同体の生活の中での隠れた奉仕です。このことは大切です。
 助祭・司祭・司教は聖職者と呼ばれますが、それは特権でも上に立つことでも何でもなく、共同体の中の奉仕の役割なのです。そのことは、聖書の中で強調されています。先ほどの第一朗読のエフェソの教会への手紙では、「一切高ぶらないように、いろいろや役目が与えられるのは皆が一つになるための奉仕なのだ」と言われていました。ルカ福音書の箇所でも、「仕える者、給仕する者になりなさい」と言われています。
 今日はその助祭叙階式ですが、この「叙階」というのはとんでもない日本語だと思います。明治時代の司祭のイメージから「位階」という日本語が使われるようになりました。「位と階級」ですね。その位階に叙する。一つ階段を上るとしか受け取れないような日本語です。本当はそうじゃないんです。むしろ、階段を下りること、降りて、降りて、人々に奉仕するのが教会の奉仕者の姿です。
 なぜならばそれがイエスの生き方だったからです。助祭も司祭も司教もそのイエスの姿に似た者になっていくのでなければ意味がありません。
 今井さんは幼児洗礼ですが、おじいさんが付けたという洗礼名はフランシスコです。もちろんそれはアシジの聖フランシスコから取られた名前でした。そしてフランシスコ会に入り、誓願を立てました。聖フランシスコは貧しさを愛し、貧しい生き方を求めました。今のローマ教皇も「フランシスコ」と名乗られていますが、降りて行く奉仕者の姿を示し続けておられます。今井さんも本当に降りて行く道をしっかり歩んでください。今のこの時代、偉そうにしている聖職者は必要ありません。どこまで降りて行けるか、がほんとうに問われているのです。
 きょうはフランシスコ会が担当する日本各地の教会から多くの若い人が全国侍者会に集まっているそうですね。皆さんはこのような生き方をどう思いますか?
 一生、結婚しないで、家族も持たないで、神と人々に仕える、淋しくてつまらない生き方でしょうか。そうではありません。独身で教会に奉仕する人は、人間が嫌いだからそうしているのではありません。むしろどんな人とも兄弟姉妹になり、どんな人とも友になるために独身を選んでいるのです。特に苦しむ人、孤独な人の兄弟になるためです。今井さんには、本当に豊かな神さまとの関係、イエス様との関係、そして人との関係を生きてほしいと思います。そうでなければ、司祭として生き、修道者として生きることは無意味です。
 そして、今日ここにいる若い皆さんの中から司祭や修道者になりたいという人が現れてほしいと思います。今の時代だからこそ、イエス・キリストという宝を多くの人に届ける人が必要なのです。
 わたしたちの教会が2000年間受け継いできた救いのメッセージは単純なことです。
 「神はその独り子を与えるほど世を愛してくださった」
 「イエス・キリストはわたしたちを愛し、わたしたちのためにすべてを与え尽くされた。そのキリストは今もわたしたちともにおられ、どんな人も例外なく、すべての人を支え、励まし、導いてくださる」
 この福音を必要としている人は、今もこの世界におおぜいいます。わたしたちの周りにはいっぱいいるはずです。
 日々の生活に必要なものも手に入れることができずにいる貧しい人々。
 差別されたり、いじめや暴力を受けて、孤立無援の状態になっている人々。
 病気やさまざまな苦しみの中で疲れ果てている人。
 お金や目の前のモノに振り回され、むなしく生きている人々。
 自分の生活を守るために人の苦しみへの関心を失ってしまった人。
 その人々に、キリストの福音を伝える人が本当に今こそ必要なのです。お金やモノ、地位や権力を求めるよりも、ずっと素晴らしい生き方がそこにはあります。今井慶さんはそれを発見して、そのために自分をささげようとして、今、ここに立っています。カッコいいですよね。是非、今井さんに続く人々が現れますよう、心から願っています。そして、今井さんの今日の決意を神が祝福してくださり、生涯導いてくださいますように祈りながら、この式を行ないたいと思います。



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