毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

山谷でのクリスマスミサ

20141223

時間が前後しましたが、12月23日に行われた神の愛の宣教会(男子)でのミサの説教です。山谷のブラザーたちを手伝っているボランティアの人たちが集まってクリスマスを祝いました。
(写真はぜんぜん関係ありません。ペトロの家のイエス君です)

●神の愛の宣教者会(山谷)クリスマスのミサ(ルカ2・1—11)

ミサのはじめに
 格差が広がり、戦争やテロ・暴力が世界中で繰り返されています。子どもが、女性が、マイノリティーの人々がたくさん殺されています。闇のような世界。その中にそれでも光を求めてわたしたちは集まっています。闇の中に輝く幼子イエスの光を見つめようとここに集まっています。「闇は光に勝つことはできない」そう信じて集まっているのです。クリスマスにあたり、神がこのわたしたちの信仰と希望と愛を強めてくださいますように。そして世界中のすべての人に、幼子イエスの光が届きますよう願いながらミサをささげましょう。

ホミリア
 町にはクリスマスツリーやサンタクロースがあふれていますが、これがクリスマスの一番大切なシンボルではありません。クリスマスの一番大切なシンボルは「飼い葉桶」です。2000年前に、天使から羊飼いたちに告げられたのは救い主誕生のしるしはこれでした。天使はこう告げました。
 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 母マリアは旅先で、宿屋に泊まる部屋がなく、牛やロバのいるようなところで赤ちゃんを産まなければならなかった。だから布にくるんで飼い葉桶に寝かせられたのです。ベトレヘムにはおおぜいの赤ちゃんがいたかもしれません。でもこんな赤ちゃんは他にいません。だからそういう赤ちゃんを見たら、それが救い主だと思え、天使が羊飼いに示したしるしはこの「飼い葉桶」でした。
 この知らせを受けたのは羊飼いでした。イスラエル民族はもともと皆、遊牧、あるいは半遊牧の羊飼いのような生活をしていました。神様が羊飼いにたとえられるほど、羊飼いという職業はなじみ深い職業でした。しかし、イエスの時代にはもうほとんどの人が町や村で定住生活するようになっていて、その人々から、羊飼いはさげすまれるようになっていました。人間として大切なのは、安息日にはきちんと労働を休んで、会堂に行って礼拝し、律法を学び、律法にかなう生活をすること。そういう価値観で人を見たら、草のあるところを求めて羊を追って旅をしている羊飼いは、律法を学ぶことも守ることもできない人として見られていました。そして当時の羊飼いは自分の羊を持っている人ではなく、多くは雇われ人で、貧しい人々でした。
 この人々にだれよりも先に、救い主誕生の知らせが届いたのです。

 この羊飼いたちに示された救い主のしるしが「飼い葉桶の幼子」でした。良かったです。もしこれが「絹の産着を着て、黄金のベッドに寝ている幼子」というようなしるしだったとしたら、羊飼いたちは会わせてもらえなかったはず。その子のいる家に近づくことはできなかったはずです。だから「飼い葉桶」は大切なしるしなのです。
 先ほど読まれた福音の続きの箇所で、羊飼いたちは実際に飼い葉桶の幼子を探し出します。マリア、ヨセフ、そして牛やロバと一緒にいる幼子に会うことができました。そして喜びにあふれて帰って行ったとあります。

 この羊飼いの喜びとは何でしょうか。幼子イエスは、パンを増やしてくれるわけではありません。病気を治してくれるわけでもありません。立派な説教をしてくれるわけでありません。羊飼いたちの貧しく辛い生活を何一つ変えてくれるわけではありません。町の人々の蔑みの目も変わることはありません。
 でも羊飼いたちは喜びに満たされました。その喜びとは何でしょうか。
 それは救い主が、神のひとり子が、こんなに近くに来てくださった、という喜びです。どこか遠いところの王宮や御殿で救い主が生まれたのではなく、こんなに貧しく、こんなにわたしたちの近くに生まれた、わたしたちとともにいてくださる方になった。神様はこのわたしたちとともにいてくださるというしるし、これが飼い葉桶です。

 今日、わたしたちはこの羊飼いたちの喜びを共にして、主イエスの降誕の祝いをします。そしてわたしたちはこの羊飼いたちの喜びを多くの人と、特に貧しい人々と分かち合いたいのです。どうしたらいいのでしょう?わたしたちの周りには、自分なんかいらない、誰も自分を必要としてくれていない、自分は何の役にも立たないと感じている人がいます。高齢の方、若い人、仕事のない人、孤独な人。たくさんいます。でも神様はひとり子をこんな飼い葉桶に寝ている乳飲み子の姿で示してくださって、どんな人も決して一人ぼっちじゃない、わたしはあなたとともにいる、と語りかけてくださっているのです。

 どうしたらわたしたちはそれを伝えることができるでしょう。それはわたしたちがその人々一人一人にどのように出会い、どのように関わるかということをとおしてしか伝わらないでしょう。貧しさや辛さや孤独のうちにある人々が、飼い葉桶のイエスに、ともにいてくださるイエスに、インマヌエルであるイエスに出会うことができますように、そのためにわたしたち一人一人の働きが役立つものとなりますように、今日、心から祈りたいと思います。



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