毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖家族の祝日

20151227

⚫︎聖家族の祝日
(サムエル上1・20-22, 24-28/一ヨハネ3・1-2, 21-24/ルカ2・14-52)
                   2015.12.27(日)カトリック関口教会
ホミリア
 クリスマスの次の日曜日に、イエス、マリア、ヨセフの聖家族を祝います。聖家族というと温かで平穏な家庭を思い浮かべるかもしれませんが、聖書の伝える聖家族の姿は決してそれだけではありませんでした。
 クリスマスに読まれたイエスの誕生の場面では、幼子は家畜小屋のようなところに生まれ、飼い葉桶に寝かされました。最初に訪ねてきたのは当時さげすまれていた羊飼いたちでした。その誕生はどうしようもない貧しさの中での出来事でした。
 生後40日で神殿に連れて行かれたときには、シメオン老人から将来の受難を予告されます。マタイ福音書によれば、ヘロデ王が生まれたばかりの幼子のいのちを狙っていたため、ヨセフはマリアと幼子イエスを連れてエジプトに逃げなければなりませんでした。今で言えば難民生活を強いられたわけです。

 さらに今日の箇所では12歳のイエスが迷子になり、両親は必死でその子を探さなければなりませんでした。そしてやっと見つけたわが子からは「わたしが父の家にいるのは当然だと知らなかったのですか」とか憎たらしいことを言われてしまします。いや憎たらしいなんて言ってはいけないけれど、人間的にみれば子どもが親離れする感じ、親子の断絶のような感じもありますね。聖家族と言ってもいろいろたいへんだったのでしょう。だからこそ、今日の福音の結びの言葉にほっとさせられます。
 「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」。イエスはこの聖家族の中で「神と人とに愛され」て育ちました。これが一番大切なことですね。

 赤ちゃんは何ができるわけではありません。でもあなたがいることはうれしい、わたしたちの家族の一員であることは無条件にありがたい、という家族の愛に包まれています。だからこそ子供は成長できるのです。家族とは、無条件に「あなたがいてくれてうれしい」と言い合える関係です。聖家族はそういう家族だったのでしょうし、わたしたちの家族の一番大切な機能もそこにあります。人が愛を体験する場。「あなたがわたしたちの家族でいてくれることは本当にうれしい」と言い合える場。
 学校に行き、社会で働くようになると人間はぜんぜん違う世界に入っていきます。どれだけの成績をとるか、どれだけ仕事ができるか、そういうことを厳しく問われる世界に入っていかなければなりません。時には「あなたなんかいらない」と言われてしまう世界です。しかし、家族はそうじゃない。あなたが何ができるから、とか、わたしに何をしてくれるから、ではなく、無条件にあなたがいてくれてうれしい、そう言い合えるのが家族なのです。たとえ、病気で働けなくなっても、高齢になっていろいろ介護が必要になっても、「それでもあなたがいてくれてうれしい」そう言い合えるのが家族だ・・・

 いや現実はそう簡単ではありません。
 わたしは個人的に、アルツハイマーの父を見送った経験がありますので、非常に厳しいことを知っています。母が一人で介護していたので、共倒れになりそうでした。だからわたしは最後に父を、精神科の閉鎖病棟に預けるしかありませんでした。「無条件にあなたがいてくれてうれしい」それが家族だなんて、偉そうに言えません。
 でもわたしたちは、どこかで無条件に「あなたがいてくれることはうれしい」そう言い合える関係を求めています。そして家族とはその第一の場なのです。多くの人はやっぱり家族と一緒にいるのが一番安心だと言いますし、本当にそういう家庭を作っていくことができたらすばらしいことです。

 でも家族だけがそうであればいいというのではありません。
 イエスのメッセージは神が「父・お父さん」であり、わたしたちは皆、兄弟姉妹である。すべての人は大きな家族だということでした。
 教会はそのことをあかしする存在です。カトリック教会では去年と今年、家庭についてのシノドス(世界代表司教会議)が開かれました。そこでは家庭の大切さも語られましたが、同時に傷ついた家庭、破綻してしまった家庭のことも語られました。そしてフランシスコ教皇は、さまざまな傷を負った信者を排除してしまうのではなく、受け入れる教会を作ろうと本気で考えておられるようです。離婚して再婚した人、中絶せざるを得なかった人、同性愛の傾向を持つ人、これまで教会が遠ざけてしまっていた人を、本気で教会に招こうとしておられます。誰も排除しない教会、それがこの「いつくしみの特別聖年」の一つのテーマでもあります。大きな話ではなく、わたしたちの小教区、わたしたちの信者仲間の間で、お互いに「あなたがいてくれることは無条件にうれしい」そう言い合える、本当に安心できる共同体を作っていくということは身近で大切な課題です。

 教会だけではありません。今この世界は、本当に厳しい戦争やテロの世界になりつつあります。フランシスコ教皇はこの状況を、来年元旦の「世界平和の日」のメッセージの中で「散発的な第三次世界大戦」とまで言っています。「この国は味方であの国は敵、この民族は好きだけれどあの民族は嫌い」そんなところに落ち込んでしまっている世界の中で、ほんとうにすべての人が排除されず、尊重しあって、「あなたがいることはうれしい。あなたと一緒にこの地球上に住んでいることはうれしい」そう言い合える心を持つ、そういう関係を育てていくことが今こそ必要なのではないでしょうか。
 聖家族の祝日にあたり、わたしたちが共に生きる家族を、教会の仲間を、世界の隣人を与えられていることに感謝しながら、家族の共同体、教会の共同体、人類の共同体が神の望まれる共同体として成長できますように、祈りましょう。



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