毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第22主日 堅信式のミサ@三軒茶屋教会

20160828

渋谷・三軒茶屋・瀬田3教会の合同堅信式で28人の方が堅信の秘跡を受けられました。
対象者は中学生以上、ということで、中学生・高校生が多かったのですが、
この年代の子どもたちに伝わる話をするのは難しいです。
少しでも何か感じてほしい、その思いだけでも伝われば・・・

●年間第22主日・玉川通り宣教協力体合同堅信式
 聖書箇所:シラ3・17-18、20、28-29/ヘブライ12・18-19、22-24a/ルカ14・1、7-14
                      2016.8.28三軒茶屋教会
ホミリア
 今読まれた福音書のイエスの言葉。前半のほうは分かりやすいと思います。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。」
 
こんなこと普通にありそうですね。だから聖堂でも後ろの席に座りたがる人が多い?皆さんイエス様の教えに忠実?・・・いや、ただ単に目立ちたくないのかもしれません。だってミサに遅れてきて空いている最前列に案内されるの、あまり嬉しくないですから。気恥ずかしいだけ?・・・今日は幸い堅信式で「上席」が埋まっていますが・・・まあどこの席に座るかっていうことは人が結構気にしていることではあります。
 
さてこの話の結びでイエスはおっしゃいます。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」どうでしょうか。「へりくだる」。「謙虚になる」「謙遜になる」と言ってもいいですが、普段あまり聞かない言葉かもしれません。ここで使われている言葉の元の意味は「自分を低くすること」です。
 でもこれって今どき流行らないのではないでしょうか。先日までリオデジャネイロでオリンピックがありました。これからパラリンピックも始まります。人よりも少しでも強く、少しでも速く、少しでも高く。上へ上へということを求めていて、それが良しとされている世界ですね。知らず知らずのうちに、上に行くことがかっこいい、と感じさせられている。でもイエスさまの教えは逆です。へりくだって下に下に。そんなの格好悪いですか。

 ただイエスが言うのは、ほんとうは人に対して低くなるということではない。結果的に人に対してへりくだるという面もありますが、もともとは神に対してへりくだるということが根本にあります。使徒パウロが書いたフィリピの信徒への手紙に有名なキリスト賛歌があります。そこでイエスご自身が「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(2・8)と言われています。神の前にへりくだること、神の前で自分をまったく小さく、低い者として認め、神に徹底的に従った。それがイエスの生き方でした。

 分かりやすく言えば、「垂直のへりくだり」です。どんぐりの背比べみたいな人間同士の世界で「どうぞお先に、わたしは遠慮します」。そんな水平の世界のへりくだりではないんです。神様の世界・垂直の世界、その中で本当に自分は神の前に低い。そういう感覚です。自分は神の前に取るに足りない人間。でも神様はこの自分に目を注いてくださっている。だから神に信頼し、少しでも神のみ旨にかなうように生きていこう。これが垂直のへりくだりの世界です。これがわたしたちキリスト信者の信仰の世界です。
 今日堅信の秘跡を受ける皆さんには、やはりその垂直の世界のへりくだりということをずっと感じて行ってほしいと思います。

 オリンピックじゃないですけれど、今の世界は水平の世界の中での競争があまりにも目立ちます。「垂直の世界なんていらない、水平の世界のほうが平等でいい」という考えもあるでしょう。でも垂直の世界(神との関わり)を忘れた水平の世界に本当の平等はないのです。そこにあるのは人間同士の力関係で、結局強い者が勝ってすべてを手に入れてしまい、弱い者、貧しい者には何も残らないという世界。格差が広がり、弱い者・小さい者が排除されてしまっている。フランシスコ教皇は先日、日本語でも出版された『ラウダート・シ』という回勅などで、このことを何度も指摘しています。

 だからどうか垂直の世界、神様との関わりの世界を忘れないでください。
 その中でまずわたしたちは本当に自分自身を肯定することができるようになります。人と比較してまあこの程度だからいいだろう、というのではなく、神様の前にまったく取るに足りない自分であるけれど、それでも神がこのわたしを大切に見ていてくださる。そこから来る自己肯定感。これを持つことができるようになります。
 神との垂直の関係を感じた時に、本当に他の人を大切にできる心も与えられます。わたしたちみんな、神の前に貧しく弱い者なのです。だから互いにいたわり合い、尊重し合わなければ・・・。この思いも本当に大切です。
 そしてもう一つ、そこから生まれるのが、流されない生き方です。みんながするから自分も。って、深く考えないで、人に合わせていってしまう。それはいじめなんかでよくあることですね。でもこの垂直の関係、神様との関係を忘れなければ、人に流されないでいることができます。本当に何が正しく、人間として何をしなければならないかが、そこから考えて行動することができる人になれます。

 堅信の秘跡を受ける皆さん、心の中に、どこかでしっかりと神の前にへりくだる心をもった人として成長して行ってください。その願いを、祈りを込めながら今日の堅信式を行いたいと思います。


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