毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第30主日のミサ@国府津教会



お知らせの訂正があります。
前に、来週10/30(日)は習志野教会に行くとお知らせしましたが、わたしの誤りでした。
その予定はありません。失礼いたしました。

さて、空と海とマリアさま。
国府津教会での説教メモです。

●年間第30主日・世界宣教の日
 聖書箇所:シラ35・15b-17、20-22a/二テモテ4・6-8、16-18/ルカ18・9-14
              2016.10.23 国府津教会
 この何ヶ月か国府津教会に滞在させていただいて、本当にありがたい休養のときを過ごすことができています。この場所を提供してくださり、そっとしておいてくださる皆さまに感謝いたします。とはいえ、東京と国府津を行ったり来たりしていた面もあり、決まった日にゴミを出すのが一番たいへんだったりしていますが・・・
 車で東京に行くと、首都高で目立つのが巨大な六本木ヒルズです。電車だと東京駅周辺のビル群でしょうか。これでもかこれでもかというぐらい巨大な建造物があります。今もどんどん建設されています。「ああ東京に帰ってきちゃったな」という感じです。国府津に来るとそこにあるのは広い海と空。そして車でちょっと行けば箱根の山々や富士山の絶景ポイント。一方は人間の造ったもの。こちらは神様の造ったもの。
 その神様の造ったものの大きさを感じるとき、同時に自分の小ささを感じます。そんなとき、よく典礼聖歌48「神の名は」が浮かんできます。
 「あなたの指のわざである天を仰ぎ、あなたが造られた月と星とを眺めて思う。
 なぜ人に心を留め、人の子を顧みられるのか。
 あなたは人を神に近いものとして造り、栄えと誉れの冠を授け、
 あなたが造られたものを治めさせ、すべてをその知恵にゆだねられた」(詩編8・4-7)
 神様の造られた世界の大きさ。その中で自分は本当に小さな存在。でも神様はこのわたしをしっかりと見ていてくださる。わたしの存在に意味を与えてくださる。わたしの日々の働きを祝福してくださる。

 なぜこんな話をしているかというと、今日の福音に登場するファリサイ派と徴税人の姿に重なると感じられたからです。ファリサイ派は人間的にたいへんな努力をして律法を守ろうとしていた人たちでした。そして、他の人たちを見下していました。うちのビルはあっちより大きい。そうやって競い合っているのは、まるでファリサイ派のようだと感じるのです。人間同士の競争の世界ですね。この人間同士の「正しさ競争」の中では徴税人は勝ち目がありません。だから「神様、罪人のわたしをあわれんでください」というしかないのです。イエスはしかし、神の前ではわたしたち皆、本当はこの徴税人のような者ではないか、「罪人のわたしをあわれんでください」というほうが神の前での人間の真実のあり方ではないか、そしてそのありのままの姿を神は受け入れてくださるのだ、とおっしゃるのです。

 「神様、罪人のわたしをあわれんでください」わたしたちには実感があるでしょうか。人間はみんな罪人です。神の前に立つにふさわしくない存在です。それでも神様は決してその人間を排除することなく、切り捨てることなく、見捨てることなく、受け入れてくださる。そこに気づいたとき、わたしたちは本当に大きな支えをいただくことができます。

 AAの12ステップを思い出します。AA(アルコホーリック・アノニマス)とはアルコール依存症の人たちの自助グループです。1930年代のアメリカで始まりましたが、日本に紹介したのは、自分自身がアルコール依存症から回復したカトリック司祭でしたのでカトリック教会ではよく知られています。このAAには回復の道しるべともいうべき「12ステップ」があります。わたしは日本語の以前の訳のほうが馴染んでいるので、そちらで紹介します。
 「ステップ1.私達はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
 ステップ2.私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。」
 酒をやめよう、やめよう。そう思ってどんなに頑張ってみてもダメだった。どん底に落ちたとき、そこから光が見えてきた。アルコール依存症の人だけではなく、わたしたちすべての人間にとって本当に神との出会いの出発点がここにはあると思います。
 わたしたちは人間にできることの世界に生きています。ファリサイ的な世界です。それも大切。努力や競争も大切です。でもどうにもならない自分の小ささを、無力さを、罪深さを見つめて、そこから神のいつくしみに出会う。これも本当にたいせつなことです。そしてこれこそがキリスト教の信仰体験の根本にあることだとも言えます。

 今日は世界宣教の日です。宣教は神のいつくしみを伝えることです。今年は「いつくしみの特別聖年」を過ごしていますので、教皇メッセージも「神のいつくしみを伝える」という教会の使命を強調しています。
 自分の小ささ、無力さ、罪深さの中で、絶望的になり行き詰まっている人、もしかしたら自暴自棄になりそうな人がわたしたちの周りにもいます。本当にその人々に、神のはかりしれないいつくしみが届きますように、わたしたちキリスト者をそのための道具としてくださいますように、ご一緒に祈りましょう。

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