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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

3.11大震災犠牲者追悼・復興祈願ミサ



説教メモは3月11日の亘理教会ミサのものです。
わたしは説教だけ担当しました。
写真は説教の中に出てくる前日の「命の行進」の一場面です。
(日曜日の説教は次回上げます)

●3.11東日本大震災犠牲者追悼・復興祈願ミサ
 聖書箇所:哀歌3・17-26/ローマ8・18-30/マタイ25・31-46
 2017.3.11宮城県・亘理教会にて

 ホミリア
 東日本大震災から丸六年の3.11を迎えました。
 きょうのミサで読まれた福音書の箇所は、マタイ25章の有名な言葉です。
 「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」・・・「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」
 この福音の言葉は、被災されたすべての人の中にキリストご自身を見るよう、わたしたちに促しています。あの震災で大きな苦しみを受けた人々。津波で亡くなられた人、家族や親しい人を亡くした人、家や仕事の場を奪われた人、今もなお避難生活を続けている人、そしてわたしは今、南相馬にいますので、痛烈に感じますが、原発事故の影響を受け続けている人。故郷を奪われ、親しかった人間関係を奪われた人々。
 わたしたちの周りにいるすべての被災者を、キリストご自身と見るように。ただ単に苦しんでいる人がいるから手を差し伸べましょう、ではなく、その一人一人の中にキリストを見てお仕えするように。そのことをわたしたちは今日、呼びかけられていると思います。

 イエスはなぜ「わたしにしてくれた」とおっしゃったのでしょうか?
 四旬節にこの箇所を読むたびに思うのは、ここに述べられている人々の姿はある意味で受難のイエスご自身の姿だということです。
 受難に向かうイエスは飢え渇いていました。福音書によれば、生涯の最後、エルサレムに入るとき、飢えを感じていちじくの木に近づいたとあります。もっと切実なのは、十字架の上で「渇く」とおっしゃったことです。
 イエスは旅をしていました。「人の子には枕するところもない」とおっしゃったイエスはエルサレムに向かって、十字架に向かって歩み続けました。
 イエスは裸にされました。十字架にかけられるとき、衣服を剥ぎ取られ、裸ではりつけにされました。
 イエスは病気でした。病気というよりも、むち打ちと十字架刑で苦しみ、弱り果て、最後に息を引き取りました。
 イエスは牢にいました。逮捕され、一晩でしたが、大祭司の屋敷の牢屋で、囚人として過ごされました。
 だからイエスは、これはわたしだとおっしゃったのでしょう。この苦しむ人、痛みを抱えて生きている人、そのすべての人はわたし自身なのだ。
 四旬節を過ごすわたしたちはこのイエスのことを見つめています。すべての苦しむ人と一つになったイエスです。そこから逆に、すべての苦しむ人は、イエスの受難にあずかっているのだとも言えます。亡くなられたあの人も被災されたこの人も皆、イエスの受難にあずかっている。だからキリストの復活のいのちにもあずかることができる。そう信じて被災された方、お一人お一人のことを思い続けたい。

 昨日、わたしはカリタス南相馬のスタッフ・ボランティアと一緒に「命の行進」に参加しました。日本山妙法寺という仏教の団体が主催で、南相馬市小高区の曹洞宗同慶寺から海岸までの行って帰ってくる十数キロの道のりを祈りながら歩くのです。東日本大震災で亡くなられたすべての人のことを思い、原発事故のことを思いながら歩き、海岸まで行きました。海岸といっても今はほとんど巨大な防潮堤(海岸堤防)の工事が行われていて、その隙間からようやく二箇所、砂浜に降りることができました。そこで仏教の祈り、アメリカ先住民の祈り、そしてわたしたちカトリックの「被災者のための祈り」をおささげしました。
 わたしが感じたことはやはり宗教者がその違いを超えて、できることがあるということ。それはいのちの大切さを分かち合うこと。巨大な工事が行われています。小高の海沿いに低レベル廃棄物の巨大な焼却場がありました。一基5百億円だそうです。そういう利権が、お金が動いています。そんなことばかりに振り回される中、「でもいのちが一番大切」との思いを抱き続け、分かち合うことが宗教者の役割だと感じました。
 同時にこの世のいのちにはすべて終わりがあるというのも現実です。でも宗教者はこの世のいのちを超えるものを信じる。だからなくなった人のために、この世を超えた世界で安らかに生きることを祈ることができる。それも宗教者として大切なことだと思いました。

 話が飛んで申し訳ないのですが、先日、福者と呼ばれるようになったユスと高山右近は、高槻の領主だったとき、貧しい領民の葬儀を行い、みずから棺桶をかついだと言われています。それは当時の人々を驚かせたことでした。当時のキリシタンは「慈悲の所作」を大切にしていました。肉体に関することと霊魂に関することがありますが、肉体に関することというのは、マタイ25章の今日の箇所にある6つのこと。それともう1つ、「死者を弔うこと」を合わせた7つの行いでした。高山右近はこの慈悲の所作の1つとして死者の埋葬を行ったのでしょう。でもそれだけでないとも思うのです。信仰者として、死を単に忌まわしいものとして遠ざけるのではなく、肉体の死をも超えて神の与えてくださるいのちの恵みに対する信頼を持っていたからこそ、なくなった人を大切にしたのだと思います。
 きょうわたしたちも、亡くなられたすべての人、今も苦しみを抱えているすべての人のためにこのミサの中で心を合わせてお祈りしたいと思います。



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