毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第21主日のミサ



8月26日(土)、カリタス南相馬の夏祭りが行われました。
この場所に移ってはじめての夏祭りです。
眞こころサロンやボランティアの皆さん、さゆり幼稚園や教会の全面協力のもと、各地のサロン活動で出会った方々やご近所の方々も来てくださり、楽しいひと時を過ごしました。
最後は生演奏の相馬盆歌で盆踊りでした!

●年間第21主日
 聖書箇所:イザヤ22・19-23/ローマ11・33-36/マタイ16・13-20
              2017.8.27カトリック原町教会
 ホミリア
 今日の福音はペトロがイエスへの信仰を言葉で表し、その信仰告白したペトロに対してイエスが特別な使命を与えられる場面です。今日の福音の中で、イエスはペトロに向かって、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」と言われました。今日は特にこの言葉についてご一緒に味わいたい。
 マタイ福音書で「天の国」というのは、「神の国」の単なる言い換えです。マタイは「神」という言葉を軽々しく使わないというユダヤ人の習慣に基づいて、「神」を他の言葉で置き換えているのです。「国」のほうもちょっと説明が必要でしょうか。ギリシア語の「国=バシレイア」は「王=バシレウス」という言葉から来ています。神の国とはむしろ「神の王国」で、「神が王となる、神が王として治めてくださる」という状態を表す言葉です。

 この「天の国」のイメージ、どうでしょうか? 新約聖書では二つの言い方がよく出てきます。「神の国が来る・天の国は近づいた」というのと、「天の国に入る」。
 「天の国は近づいた」というのは、神がわたしたちのところに近づいて来て、わたしたちを救ってくださる、という感じ、この世界に神の救いが実現するという感じですね。この世界が「神の国が来ますように」というふうにわたしたちも祈り願います。これは今のことでもあり、同時に世の終わりのことでもあります。一方、「天の国に入る」というと、わたしたちが神のもとに近づき、神に受け入れられるというイメージでしょう。わたしたちが本当に神のみこころにかなうものとなり、神に受け入れられますように。これもわたしたちの祈りです。そしてそれは今のことでもあり、また最終的に、たぶん死を迎えるときのことでもあります。全部が同じことを言っているのだとも言えますが、微妙なニュアンスの違いもあります。
 マタイ福音書11章12節には不思議な言葉があります。
 「彼(洗礼者ヨハネ)が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は激しく襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」
 これは「天の国に入る」というほうのイメージなのでしょう。当時、神の救いから遠いと思われていた人々、徴税人や娼婦というような、職業的に罪びとのレッテルを貼られていた人々が、洗礼者ヨハネの言葉によって、心に変化が生まれ、神に希望を置き、神に近づくようになったということを表しているようです。

 さて、「天の国」「神に近づき、神に受け入れられる」そのための鍵があるというのです。そしてそれがペトロに委ねられるというのですね。
 この鍵ですが、日本語では分かりにくいですが、実は複数形です。鍵束のイメージです。ある人はこんな空想をしました。天の国に入る入り口はたくさんあって、あっちのドアから入る人、こっちの門から入る人がいる。ペトロはそのために、あっちこっちと走り回っている。まあ空想ですが、楽しい雰囲気です。
 たった一つの入り口しかなければ、そこからしか入れない。当時で言えば、律法にかなった生活をしている人でなければ、天の国に入れないということになります。そこからは職業的に罪びとというレッテルを貼られた人は排除されますし、律法を学び、律法にかなう生活をする余裕のないような貧しい人も排除されます。さらに、病人や障害者、異邦人も皆、排除されてしまうのです。でもそうじゃなく、いろんな入り口がある。この天の国のイメージは大切にしたい。

 鍵束をもって走り回っているペトロの姿を思い浮かべると、今のフランシスコ教皇の姿に重なっているように感じました。
 離婚したり再婚したりした人をもっと寛大に受け入れようとしています。不幸にして妊娠中絶をして苦しんでいる女性たちをもっと寛大に受け入れようとしています。同性愛の人や性的マイノリティーと言われる人を受け入れようとしています。
 少しずつかもしれませんが、「ここからも天の国に入れますよ、ここからでも大丈夫」と教皇はおっしゃっているように感じます。

 よく「教会は敷居が高い」と言われます。確かに今だにそういうところがあるかもしれませんが、イエスのこころはそうではない、とわたしたちは知っています。「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」これがイエスのこころです。昨日はカリタス南相馬の夏祭りで、おおぜいの人が来てくださいました。幼稚園から入って来てもいいし、カリタスから入って来てもいい。お祭りや縁日から入ってもいい、相馬盆唄から入ってもいい。本当に神様は、大きな手を広げて、みんなを天の国に招き入れようと、待っていてくださる。そのためのたくさんの入り口を閉ざす教会ではなく、ペトロにならって、たくさんの戸の鍵を開く教会になることができますように、今日、このミサの中でご一緒に祈りたいと思います。


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