毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第25主日のミサ



ミサ後、飯舘村の「ゑびす庵」といううどん屋さんに行きました。
村の人たちでにぎわっていました。
飯舘村は南相馬市の隣ですが、全村避難が6年間続き、今年の春にようやくほとんどの地区で避難指示が解除になりました。
再開した飲食店は道の駅以外では、ここだけのようです。
手打ちうどん、とてもおいしかったです。

●年間第25主日、世界難民移住移動者の日
 聖書箇所:イザヤ55・6-9/フィリピ1・20c-24, 27a/マタイ20・1-16
 2017.9.24カトリック原町教会

 ホミリア
 先日、あるところで、「わたしは資本主義的な生き方をしているんです」という人に出会いました。30歳ぐらいの女性からそういう言葉を聞くとは思わなかったので驚きました。なんとなく言いたいことは分かるような気がしたので、特にどういう意味で言っているかは聞きませんでした。ただそれ以来、「資本主義的な生き方」とはどういうことだろうと考えています。「収入は少しでも多い方がいい。もっといいものを手に入れたい。もっといい生活がしたい。競争には負けたくない」という考えをもって生きること、たぶんこういうことかなと感じています。

 しかし、こういう考えは今に始まったことではありません。昔から人間は、そう考えていたのではないでしょうか。今日の福音を読んでいるうちにそんな気がしてきました。ぶどう園で一日中働いた人は、夕方1時間しか働かなかった人より自分たちのほうがたくさんの賃金をもらって当然だと考えたのです。もっとたくさんの賃金をもらえば、もっといいものが食べられるし、もっといい生活ができる。そうやって競争する心は誰の中にもあります。資本主義社会というのはそういう人間の欲望を肯定とし、ほしいものを得るために競争するのが当然という社会なのだと言ってもいいでしょう。わたしたちはいつの間にかそんな社会が当たり前だと感じるようになっています。

 問題は何でしょうか。それは今日の福音にはっきりとあらわされています。
 それはこの最後の1時間しか働かなかった人は、1時間しか働かなかったからどうなってもかまわない、というのではなく、この人も神から見て大切な一人の人間であり、生きる権利があり、だから今日生きるための最低限のお金をもらってよいのだ、ということ。競争の原理だけでは、生きられない人間が出てくる。それがまさに問題なのです。
 だから、この世界は資本主義の競争原理だけで動いているように見えますが、実はそこには歯止めがあります。累進課税があったり、最低賃金が決められていたり、生活保護やさまざまな社会保障があったりするのは当然のことなのです。競争原理だけでは社会は成り立たない。一人一人の人間のいのちが保証された上での競争でなければならないのです。現実の「新自由主義経済」「グローバル経済」はそれをおびやかしていますが・・・
 資本主義経済には歯止めが必要なのです。法律的、政治的な歯止めも必要ですが、わたしたちの心の歯止め、生き方としての歯止めも必要ではないでしょうか。

 それはさっき言った資本主義的な生き方にわたしが疑問を持って生きるということです。
 「収入は少しでも多い方がいい。もっといいものを手に入れたい。もっといい生活がしたい。競争には負けたくない」
 この社会で普通に生活しているとそれに流されます。コマーシャルは毎日わたしたちの欲望や競争心をあおってきます。それに抵抗するのは簡単ではありません。でも、それがすべてじゃないということをわたしたちは見失わないようにしたい。
 どうやって?

 一つは、本当に厳しい状態にある人たちに目を向けることです。今日は世界難民移住移動者の日です。聖書の中でも弱い立場の人の代表として「寄留者」のことがよく出てきます。現代でもそう。実際に多くの場合、低賃金労働者になる。政府が入国管理を厳しくして、違法入国者をたくさん作れば、その人たちはさらに過酷な労働現場で働かざるをえなくなる。歪んでいます。今年の教皇メッセージは特に弱い立場の子どもの移住者に目を注ぐよう、求めています。子どもの移住者は特に暴力や犯罪の危険にさらされているからです。移住者だけじゃない、競争原理では切り捨てられてしまうような人々のことを思い、その人々と共にどう生きるかを考えること。今日の福音では「わたしはこの最後の者にも同じように支払ってやりたいのだ」といいます。この最後の者に心を向け、この最後の者に心をかける主人(神)の心を自分のものにするように、それが今日の呼びかけです。

 もう一つは、この資本主義的な生き方が本当に自分を幸福にしているか、と問いかけることです。「収入は少しでも多い方がいい。もっといいものを手に入れたい。もっといい生活がしたい。競争には負けたくない」それが本当に幸せな生き方か。
 そうではなく、もっと大切なことがあるはず。「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と神は言います。このぶどう園は競争原理のぶどう園ではありません。神の国をつくるためのぶどう園。本当に神を大切にし、すべての人を大切にするための働き。そこにわたしたちが招かれていると感じたら、それはなんという喜びでしょう。
 神のぶどう園で働くこと。たとえば、結婚して家庭を作り、子どもを育てるというのは、経済原理・競争原理だけで成り立つことではない。神を大切にし、人を大切にし、特に弱い立場の人と共に生きる、これもそうです。あるいは今与えられたものを感謝して受け取り、それで十分だと思って生きる生き方もある。本当にどういう生き方が幸せなのか、そのことを考えたら、「資本主義的な生き方」とは別のものが見えてくるはず。

 わたしは資本主義や競争原理がいけないと言っているのではありません。ただし、それだけでは本当に人間はほんとうの豊かさをもって生きることができないということを、今日ご一緒に感じたいのです。今日の福音を、本当に幸いな生き方への招きとして、受け取りたいと思います。


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