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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第13主日



原町のミサからとんぼ返りで東京都内の修道院へ。都内とは思えないような森の中です。

●年間第13主日
 聖書箇所:列王記上19・16b, 19-21/ガラテヤ5・1, 13-18/ルカ9・51-62
        2019.6.30カトリック原町教会
 ホミリア
 今から20年も前になりますが、紀元2000年の大聖年を迎えるにあたり、教皇ヨハネパウロ2世は大陸別のシノドスを開催しました。4つの大陸というのですが、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニアの4大陸です。アジア特別シノドスは1998年4月から5月、約1ヶ月にわたって開かれ、バチカンにアジアの司教の代表者が集まって、アジアの教会のさまざまな課題について討議しました。テーマは「JESUS CHRIST THE SAVIOUR AND HIS MISSION OF LOVE AND SERVICE IN ASIA 救い主イエス・キリストと、アジアにおけるその愛と奉仕のミッション」でした。一言で「アジア」と言っても東の日本や韓国から西は中東の国々まであるので、始まる前は、そこに何らかの共通の問題・課題を見いだせるかという懸念の声もありました。しかし、集まってみて、二つの共通点がはっきりと見えました。一つはフィリピンをのぞいて、アジアではどこの国でもキリスト者は少数派(マイノリティー)であり、キリスト教以外の伝統的な宗教の力が強く、今も人々の生活に大きな影響力を持っているということです。イスラム教、ヒンドゥー教、仏教など。そしてもう一つの共通点は「貧しさ」ということが一部の国をのぞいてほとんどの国で広く、深刻な問題だということでした。その状況を踏まえて、さまざまな課題について話し合われました。
 2つの面がはっきりと表れてきました。1つは他の宗教の人々と共に生き、互いに尊敬し合いながら、協力していかなければならないということ。もう1つは、教会がもっと徹底的にイエスに従う生き方をしていかなければならない、ということでした。
 司教たちがそのように語った背景に、マザーテレサの存在があるとわたしは感じました。マザーテレサは前年1997年9月5日に亡くなっていて、彼女の生涯と活動の記憶は司教たちがアジアの状況の中でミッションということを考えるときに大きな影響を与えたのだと思います。

 マザーテレサの活動でもっとも有名なのは「死を待つ人々の家」だと思います。カルカッタ(コルコタ)の町の道端で、飢えや病気のために倒れたままになり、放っておいたらそのまま死を迎える人、その人を引き取り、最後まで手厚く介抱する。いわばホスピスですが、その人がヒンドゥー教徒ならヒンドゥー教のやり方で、ガンジス川の水を飲ませるというような看取り方をする。ムスリムならムスリムのやり方で、枕元でクルアーン(コーラン)を読んであげる。そうやって最後の最後にあなたは大切な存在だというメッセージを伝えようとしたのです。
 マザーテレサの活動は相手の宗教を問いませんでしたし、相手の宗教を変えることを目的にしたものでもありませんでした。とことん、目の前の貧しい人を大切にする、そのマザーテレサとミッショナリーズ・オブ・チャリティー(神の愛の宣教者会)のシスターたち、ブラザーたちの愛の活動、そして貧しく単純な生き方は現代の多くの人々の心に響きました。

 昨日、日本宣教学会という学会の全国研究会というのがあって、わたしはその基調講演を頼まれました。その集まりのテーマが、「今、問われている『希望』:災害の問題を宣教学的に考える」だったので、被災地にいるわたしが呼ばれたようでした。大きな学会ではないのですが、エキュメニカルな集まりで、カトリック、プロテスタントの牧師や大学の先生たちがいました。そこで、わたしはやっぱり最後にマザーテレサの話をさせていただきました。東北の津波被災地でも、福島の原発被災地でも、そこで被災された方々のほとんどはキリスト教と縁のない人々です。その人々の宗教・伝統を尊重すること、その中でわたしたちが徹底してイエス・キリストの愛を生きること、そこにわたしたちのミッションがある、ということを話しました。

 今日の福音はガリラヤからエルサレムに向かうイエスの旅が始まるところです。ルカ福音書ではこの旅は今日の9章から始まって19章まで続く大きな部分になっています。エルサレムへの旅は、十字架に向かう旅、いや、十字架を経て天に向かう旅です。その中でイエスの生き方とはどういうものか、イエスの告げた神の国とはどういうものかがはっきりと示されていきます。その旅の初めの今日のイエスの言葉からもそのイエスの生き方がはっきりと示されています。
 エルサレムに向かうイエスを受け入れなかったサマリアの人々。弟子たちはその人々を滅ぼしてしまいましょうというのですが、イエスはそんな考えをやめさせます。エルサレムへの旅はすべての人、自分と立場が違う、考えが違う、神に背いているように自分達には見える人、そういう人を滅ぼす道ではなく、その人々すべてに神のいつくしみを告げる旅なのです。と同時に、弟子たちにはイエスに従う覚悟が求められます。今すぐに、まっすぐにイエスに従って歩んでいくように、と呼びかけられるのです。

 地震、津波、原発事故のあったこの地域で、若い世代が減り、高齢化の目立つこの地域で、伝統的な仏教や神社の力の強いこの地域で、わたしたちの教会のミッション(神から与えられた使命)は何か。それを考えていくとき、いつも今日の福音のイエスの姿に、そしてもっと身近なところではマザーテレサの姿に立ち戻る必要があると思います。
 わたしたちにすべての人を受け入れ、すべての人と共に歩む恵みが与えられますように、そして、キリストの弟子として、キリストのこころにもっと忠実に生きることができますように、心を合わせて祈りましょう。


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