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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖家族の祝日



皆さま、今年も本当にお世話になりました。
どうぞ、よいお年をお迎えください。

●聖家族の祝日
 聖書箇所:シラ3・2-6, 12-14/コロサイ3・12-21/マタイ2・13-15, 19-23
                 カトリック畳屋丁教会・一本杉教会
 ホミリア
 聖家族の祝日を迎えて、半年前に出会った一つの聖家族像を思い出しています。その聖家族像は、福島県白河市にあるアウシュビッツ平和博物館に展示されていました。
 作者はミエチスラフ・コシチェルニアクという画家です。彼はポーランド人でしたが、対ドイツのレジスタンス運動に関わって、ナチスに捕らえられ、アウシュビッツ収容所でコルベ神父と同じ囚人棟に入れられました。その後、彼は他の強制収容所に移され、1945年にアメリカ軍によって生きて解放されました。
 アウシュビッツでは祈ることも宗教的な絵を書くことも禁じられていましたが、密かにブリキの板に釘でこの聖家族の絵を書きました。幼子イエスは床に寝かされているように見えます。その貧しさと悲惨さが強調されているように感じます。そして、でも、マリアとヨセフは必死に幼子を守ろうとしているようです。この絵は囚人たちの手から手へと手渡され、多くの人を励ましたと言われています。
 今日、聖家族を祝うにあたって、この絵を思い出しています。生まれて、飼い葉桶に寝かされたイエスの姿、そして、ヘロデ王に幼子のいのちを狙われ、エジプトに逃げていった聖家族の姿とアウシュビッツの囚人たちの姿はどこかで重なるからです。イエス、マリア、ヨセフの家族はほんとうに厳しい現実を生きていました。でもその中で支え合い、愛し合い、祈り合っていたとわたしたちは信じています。

 今日の福音はエジプトに難民として避難した聖家族の話です。ですから特別に今の日本にいる難民のことを思わずにはいられません。フランシスコ教皇は東京カテドラルで青年たちとの集いを行いましたが、そこに何人かの難民の青年がいました。そして教皇はこう語られました。
 「とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民のかたが、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです。」
 この教皇の呼びかけを受けて、難民支援協会、カトリック東京国際センター、カリタスジャパン、日本カトリック難民移住移動者委員会は合同で、次のような声明を発表しました。日本における難民の状況がよくまとめられていると思います。

 「日本は、インドシナ難民を1万人以上受け入れてきたことに加え、第三国定住、官民によるシリア難民の留学生としての受け入れにも取り組んでいます。しかし、自力で日本へたどり着いた難民申請者へは一貫して厳しい姿勢を貫き、昨年難民認定された人数は42人にとどまります。厳しい審査基準に加え、審査期間は平均で約2年半、長い人は10年間におよび、その間最低限の生活保障もなくホームレスとなる人もいます。空港で難民申請し、収容される人もいます。
 また、難民申請者を含む、在留資格がない外国人の収容に大きな課題があります。出入国在留管理庁の内部の手続きのみで収容の可否が決められ、退去強制令書発付後の収容は期限の定めもありません。今年の6月30日現在収容されている人の総数1,253人のうち2年以上収容が続いている人は180人に上ります 。収容施設内での医師の診察には平均2週間以上を要するなど医療アクセスにも課題があり、こういった環境の中で、2007年以降15人が死亡、今年は餓死者も出るといった痛ましい事件が起こりました。」
 こういう現実に、この人々の苦しみにわたしたちはもっと敏感でなければならないと思います。難民申請している人、牛久や大村のセンターに収容されている人の痛みを本当にもっと感じたいと思います。そこから祈りと行動を始めたいと思います。

 もう一つ、青年との集いでフランシスコ教皇が語られた言葉を思い出します。
 それは若者たちに向かって、「何のために生きているのではなく、だれのために生きているのか。だれと、人生を共有しているのか」と問いかけなさい、と語られた言葉です。
 わたしたちはだれのために生きていますか?
 だれのためでもない、としたら、ものすごく孤独で味気ない人生だと思います。家族のために生きている、と感じられたら大変なこともいっぱいあるけれど、根本的なところでうれしいですね。聖家族の祝日を祝い、クリスマスやお正月を祝う中で、「家族のために生きている」ということの喜びをもう一度、しっかりと感じたいと思います。

 でも教皇はもっと広いつながりを若者たちに期待していました。身近な人だけでなく、もっとほかの人と出会い、ほかの人と人生を共有することです。その文脈の中で、先ほどの難民のことが出てきます。自分の家族はもちろん大切ですけれど、すべての人、特に困難な状況に置かれている人のために生き、その人々と人生を共有する。すべての人と兄弟姉妹として生きる。そのことはキリスト者にとってはいつも大きな課題です。「聖家族」は聖家族だけで完結していません。父である神のもとですべての人が兄弟姉妹である、その人類全体という大きな家族に向かって開かれている家庭。わたしたちの家庭も少しでもそうありたいと願います。

 わたしたち一人ひとりに、わたしたちそれぞれの家庭に、そして教会と世界の上にそそがれたこの一年の恵みといつくしみに感謝しながら、一年のしめくくりのミサを心を込めてささげましょう。



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