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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

神の母聖マリアの祭日



福島県南相馬市から母の住む千葉県我孫子市まで移動して、2日にやっとおせちをいただくことができました。

●神の母聖マリアの祭日・世界平和の日
 聖書箇所:民数記6・22-27/ガラテヤ4・4-7/ルカ2・16-21
              2020.1.1カトリック原町教会
 ミサのはじめに
 あけましておめでとうございます。クリスマスの一週間後に新しい年の元旦を迎え、神の母聖マリアの祭日を祝います。お生まれになった幼子イエスの光の中で新しい年を始めていきます。どうか幼子の光がわたしたちの日々を、そして、すべての人を照らしてくださいますように。
 カトリック教会では、1月1日は「世界平和の日」でもあります。今年の教皇メッセージの題名は「希望の道である平和――対話、和解、エコロジカルな回心」。訪日のときと同じく、核兵器や軍事力によらない平和への道を呼びかけています。教皇とともに平和への決意を新たにして祈りましょう。

 ホミリア
 クリスマスから一週間、神のひとり子が人類の一員となり、わたしたちとともにいてくださる方となった、その喜びのうちに新しい年を迎えました。クリスマスは12月25日で終わり、26日からまた神もイエスもいない世界に戻っていくのではありません。イエスがともにいてくださる、そこから出発して、本当に人と人とが結ばれ、神と人とが結ばれるという喜びの世界をわたしたちは生きていくのです。

 人と人との結びつき。南相馬にいると人がいてくれることがうれしい。カリタスのホールでコンサートをしたら満員でした。クリスマスの聖堂に幼稚園の子供が全員来たときも満員でたいへんでした。でも人がいてくれるのは、無条件にうれしい。大都会では違いますね。先日、久しぶりに東京のJR中央線のラッシュアワーを経験しました。人が多すぎてまいってしまう。人を人と思わなければ耐えきれない。人はできればいてほしくない。そんな感じがしてしまいました。
 スマホやゲームに没頭していれば、他人なんかいなくてもいい。コンビニやスーパーに行けば、一人分のおかずを売っているから、人と一緒に生活し、人と一緒にごはん食べなくてもいい。もしかしたら、人との繋がりなんかなくても生きていける、わたしたちはそんな錯覚に陥る世界をどんどん作ってきたのではないでしょうか。
 でもフランシスコ教皇が日本にきて言われたように、それは本当の幸せではありません。
 「世界には、物質的には豊かでありながらも、孤独に支配されて生きている人のなんと多いことでしょう。わたしは、繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも、多くの人が味わっている孤独のことを思います。貧しい人々の中でも、もっとも貧しい人々の中で働いていたマザー・テレサは、かつて預言的で、示唆に富んだことをいっています。『孤独と、愛されていないという思いこそが、もっとも恐ろしい貧困です』。心に聞いてみたらいいと思います。『自分にとって、最悪と思う貧しさは何だろう。自分にとっていちばんの貧しさは何だろうか』。正直に気づくでしょう。抱えている最大の貧しさは、孤独であり、愛されていないと感じることです。」

 国というものもそうです。今日の1月1日は「世界平和の日」ですが、11月の教皇訪日の際、長崎で語られた言葉を思い出します。
 「今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点でもあるのです。」
 国と国との対話と相互信頼を深める動きではなく、自国中心主義が強まっているのは、平和に対する非常に大きな危機だというのです。…人と人、国と国の関係の大切さを無視して、自分だけがよければいい、自分の国さえよければいい、その現代の誘惑に打ち勝ち、豊かな関係を作っていくことは、わたしたちの課題です。

 と同時に神との関係の大切さも新年にあたって、確認し合いたいと思います。
 「天地の創造主、唯一の神、イエス・キリストの父である神」という言い方をすると他の人々の宗教・信仰を否定するような響きがあるかもしれません。もっと広く「人間の力を超えた、目に見えない大きな力」というような意味での神とのつながりの大切さはだれにとっても大切だと思います。
 日本人の多くは初詣に行きます。神社でしょうか、お寺でしょうか、あるいは教会でしょうか。どこかで「人間の力を超えた、目に見えない大きな力」の存在を感じているから、そうするのだと思います。それは素晴らしいことかもしれませんが、でもそれが正月だけじゃしょうがないのです。本当に日々、わたしたちは神の愛に支えられ、生かされ、導かれている。そのことの大切さを日々確認してくことはやはり大切です。
 そうでなければ、いつの間にか人間の力がすべてになってしまいます。自己責任ですべてをしなければならない。うまく行かないのは、人間としての努力が足りないからだ。そうやって人を裁いたり、自分を裁いたり。しかし、わたしたちはもっと大きな恵みの世界に立つよう招かれているのです。
 日々の祈り(感謝と賛美と願い)。聖書を読むこと。共に信仰の道を歩む仲間・共同体。一年の初めに当たって、信仰生活の原点をしっかりと思い出し、本当に日々、神と共に歩むことができるよう、決意を新たにしたいと思います。そしてそこから、わたしたちが互いに兄弟姉妹として生き、国や民族を超えてすべての人が兄弟姉妹として大切にし合う生き方につながっていきますように。


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