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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖霊降臨の主日



原町教会の司祭館側の玄関。
コンクリートとアスファルトの隙間から生え出て、ずっと咲き続けている花たちがいます。
なんだか励まされますね。

●聖霊降臨の主日(祭)のミサ
 聖書箇所:使徒言行録2・1-11/一コリント12・3b-7, 12-13/ヨハネ20・19-23
                2020.5.31非公開のミサにて
 ホミリア
 聖霊降臨の主日は、教会の創立記念日とも言われます。イエスの受難と復活を経験した使徒たちが聖霊に満たされて、教会の活動を始めた日だからです。第一朗読の使徒言行録では、「炎のような舌」に象徴される言葉の賜物、そして「他の国々の言葉」で「神の偉大なわざを語る」とあるように、言葉での福音告知という面が強調されています。
 教会の第一の使命は「福音告知だ」と言われますが、決してそれだけではありません。教会の本質的な活動は3つあると言われています。「福音のメッセージを伝えること」「共に賛美と感謝をささげること」「愛を生きること」の3つです。それはどれも欠くことのできない教会の働きです。突き詰めて言えば、教会というのは、この3つさえしていればいいし、この3つのうち1つでもなければ教会とは言えません。
 今、わたしたちは新型コロナウイルスの影響で、ミサや祈りの集いを行うことができません。教会にとって本質的な活動である「共に賛美と感謝をささげること」すなわちミサ典礼を3ヶ月も行うことができないことはとても大きな痛手です。やはり教会は集まって、共に祈ることなしに成り立たない。もちろん感染拡大防止のために一時的には止むを得ない措置でしたが、安全を確保した上で、なんとか早く再開できることを願っています。わたしたちカトリック信者は、どうしても、ミサと聖体に憧れ続けるのです。
 
 さて、でもこんな時だからこそ、他の2つの使命・働きに目を向けたいと思います。確かにミサは今ありません。でもそれで教会の働きが止まってしまうのではありません。「福音を告げること」「愛を生きること」は今もできるはずです。
 「愛を生きる」と言いましたが、もっと具体的に言えば、互いに助け合い、周りの人を助けることです。感染拡大防止のために、教会がミサを自粛していること、そしてわたしたち一人一人が外出を自粛していたのも「愛を生きる」活動です。家でマスクを作ったりしているのも大切な愛の活動です。わたしたちの原町教会は特に震災以降、いろいろな形で地域と関わっていますし、隣にはカリタス南相馬もあります。昨年の台風災害では小教区とカリタス南相馬の協力でこの周辺地域でのさまざまな支援活動をしましたし、今もカリタスジャパンの「新型コロナウイルス感染症緊急募金」ともつながって、この地域での支援活動をしようとしています。できることは小さなことでも、できることを見つけてやっていきたいのです。カリタスは教会の隣の建物ではありません。「愛を生きる」という教会の本質的な使命を具体的に生きようとする教会の大切な一部なのです。

 キリスト教会のもう一つの本質的使命は、「福音を告げる」ということです。
 わたしたちはこの状況においてどのような福音を告げることができるでしょうか? キリスト教の永遠不変の真理を伝えるというよりも、今、この世界に生きる人にどんな「よい知らせ」を伝えることでできるのでしょうか?

 今わたしたちは「人間の弱さ、もろさ」ということを改めて感じているのではないでしょうか。人類は長い歴史の中で何度も感染症の大流行に見舞われてきました。その中で多くの人が犠牲となり、たいへんな思いをして、生き延びてきました。今は新型コロナウイルスによって、大きなダメージを与えられています。さまざまな感染予防策、治療薬、さらにワクチン開発などいろいろなことが言われていますが、当分はコロナウイルスに勝つというところまでいきません。結局、人と人との間に距離を取り、人に接触しないようにする、という古典的な感染対策をするしかない。それには本当に大きな犠牲が伴います。経済は大打撃を受けていますし、子どもたちは学校に行けず、高齢者は孤立し、多くの人がストレスを抱えています。それでもウイルスはなくならず、感染し、重症化し、亡くなる人も後を絶ちません。目に見えない、小さなウイルスにこれほど大きな影響を受けている、そういう人間の弱さ・もろさを感じないわけにいかないのです。

 人間は歴史の中で大きな力を持ち、自分たちの力で何でもできるかのように考え、もっと大きな力を獲得するために、これまでずっと働いてきました。その結果、今のような発展した文明社会を作ることができました。でもその人間社会は、一面ではどうしようもなく「弱さ、もろさ」を持っているということ、これも現実なのです。わたしたちは東日本大震災の津波でも、原発事故の放射能汚染でもそのことを感じさせられ、今もまた新種のウイルス感染症によって、「弱さ、もろさ」を突きつけられています。この「弱さ、もろさ」を無理に否定したり、見ないようにするのではなく、むしろそれをしっかりと受け入れることが大切なのではないでしょうか。そして、この弱く、もろい人間が不思議にも生かされているということ、この人間を造り、いのちを与え、生かしてくださっている「大いなる力」があるということに思いを馳せることが今、大切なのではないかと思います。

 詩編8・4-5にこうあります。「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。」
 きょうの答唱詩編にはこうありました。詩編104・29-30「御顔を隠されれば彼らは恐れ、息吹を取り上げられれば彼らは息絶え、元の塵に返る。あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる。」(新共同訳)そして、今日の福音。ヨハネ20・22「彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」
 「弱く、もろい人間だからダメだ」じゃないんです。弱く、もろいわたしたちに目を注ぎ、息吹によって生かしてくださる方がいてくださる。これが福音です。すべてのいのちを生かし、すべてを新たにしてくださる聖霊の力に信頼し、その中で弱く、もろいすべての人に対して共感の心をもって生きることができますように。心から祈りたいと思います。


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