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毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第18主日



福島県も今日、梅雨明けしました!
写真は、南相馬市原町区にある東ヶ丘公園の散歩道で見かけた山百合です。
「わたしたちもほしい 白いやまゆり🎶」(典礼聖歌407番)

●年間第18主日
 聖書箇所:イザヤ55・1-3/ローマ8・35, 37-39/マタイ14・13-21
            2020.8.2カトリック原町教会
 ホミリア
 今日の福音の結びによれば、5つのパンと2匹の魚を分かち合った人の人数は、「女性と子どもを別にして、男が5000人」でした。
 これは今の日本では禁止される集会ですね。新型コロナウイルス感染予防のための大規模イベントの人数制限は、8月1日から緩和される予定でしたが、このところの感染拡大により、それが先送りされることになりました。7月10から最大5,000人ということになっていましたが、今もその5,000人という基準が続いています。
 感染の危険が大きい状況がいろいろ指摘されていますが、その一つは会食の場です。会食するときはマスクを外すし、どうしても声を出して話すから感染が起こりやすい。家庭内感染が多いというのも、家族だとどうしても一緒に食事をするからでしょう。
 イエスのまわりに5000人以上の人が集まってきて、一緒に食事をした。これは今ならどう考えても感染リスク大です。

 しかし、今日の福音は、ここにこそ豊かないのちがあるというのです。
 5,000人以上の人がいて、パンは5つしかない。魚が2匹。「群衆を解散させてください」この弟子たちの判断は当然のことです。しかし、イエスは平然とそのパンを祝福し、分け始める。「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。」非常に特徴的な動作です。「取る」「賛美の祈りを唱える」「裂く」「与える」という4つの動詞で表されていますが、パンを取るのは賛美の祈りを唱えるためですし、パンを裂くのは人々に与えるためですから、2つのことをしているわけです。
 「パンを取り、賛美の祈りをささげる」このパンは神が与えてくださったもの。食べ物を与え、わたしたちを養ってくださる神とのつながりを意識し、感謝していただくのです。そして、「パンを裂いて、人々に与える」このパンは神からいただいたものだから一人で食べずに、皆で分かち合う。ここに人と人とのつながりが強く意識されます。この神とのつながり、人と人とのつながりこそが人を生かす。これが福音の世界です。わたしたちはこのいのちのイメージを大切にしたいと思います。

 感染拡大防止と社会経済活動が最優先、と言われています。それはそうなのでしょうが、それだけで人間は本当に生きられるのか? むしろ今日の福音の出来事が示しているのは、神とのつながり、人と人とのつながりこそが人を生かすということ。その大切さをわたしたちは忘れてはならないと思います。
 先週の2つのニュースに心が痛みました。
 一つのニュース。1週間前の7月26日、東京の阿佐ヶ谷駅で、ある視覚障害者の方がホームから転落して亡くなるという事故がありました。それに関連して、視覚障害者の安全を守るために必要な声かけが、新型コロナの流行以降、減っているのではないか、と言われていました。確かに人出も少なくなっているのでしょうが、それだけでなく、人と人との距離を取る、ということで声をかけなくなっているのではないか、というのです。
 もう一つのニュース。7月29日に岩手県で新型コロナウイルス感染症の初の感染者が確認されました。岩手県は日本の都道府県で最後まで感染者がゼロでしたが、とうとう感染者が出ました。それから後、ネット上でその感染者に対してものすごい誹謗中傷や差別発言が行われていると報じられていました。
 何もかもコロナなんだから仕方ない、という風潮があるとしたら、それは恐ろしいように感じます。人がみんなバラバラになって、自分の身の安全だけを考える、それでいいのでしょうか。たとえコロナであっても、いやこの大きな危機だからこそ、本当に神とつながり、人との愛と共感のつながりを大切にしていきたい。

 神とのつながり、人と人とのつながりの中にあるいのちをどう感じたらいいのか、それはやはり祈りをとおしてだと思います。祈りの中で、いのちを神からのものとして受け止めるのです。それは難しい祈りではありません。ちょうど、今日の福音で5つのパンを前にしたイエスの賛美・感謝と同じような祈りをすればいいのです。
 「神さま、すべてのいのちはあなたによって生かされています。今日、わたしのいのちを生かしてくださっていることを感謝します。今日もわたしたちを生かすための必要な糧を与えてくださっていることを心から感謝します」
 本当に祈りの中でそう受け取り、感じ取り、味わい取ったときに、どのようにわたしのいのちを大切にし、周りの人のいのちを大切にすることができるかが見えてくるのだと思います。
 
 そしてもう一つ確かなことは、この地上のいのちは限りあるものだということ。わたしたちのいのちは神から来て、神に帰っていくものです。この世の、有限のいのちは、永遠の神とのつながりの中で、意味を持っています。この世のいのちは終わったとしても、神とのつながりは決してなくならない。第2朗読でパウロは言います。「死も、命も、・・・わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない。」
 そこに立って、本当に神とのつながりの中にあるいのち、人と人とのつながりの中にあるいのちを生きることができますように。


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