毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の復活おめでとうございます♪



本郷教会の復活徹夜祭でも洗礼式がありました。
本当におめでとうございます。
これからの歩みに神さまの守りと導きがありますように。
(受洗者のお写真はプライバシー保護のため、やめておきます。
代わりにタマゴですが・・・)

●復活徹夜祭(ルカ24・1-12)の説教
 2013.3.30本郷教会にて

 一年で最も大切なこの夜のミサ。「光、聖書、水、パンとぶどう酒」。この4つをもって、イエス・キリストが復活して今もわたしたちとともにいてくださることを祝います。
 まず「光」。闇の中に輝く光を見ました。闇は十字架で主を失った闇です。絶望と恐れの闇。憎しみや無関心の闇。疑いや怒りの闇。二千年前にイエスの弟子たちを覆っていた闇は、今もわたしたちを覆っているように感じられます。でも光は確かに輝いている。これが復活のメッセージです。どんな闇もこの光を消すことはできません。復活のいのちの光。愛と希望と信仰の光。この光をわたしたち一人一人もいただきました。この光を掲げて歩んでいきましょう。
 「聖書」。長い聖書の朗読がありました。聖書は神からのラブレターだと言った人がいます。きょうの聖書の朗読は、神がどれほど人類を愛してくださったかを語っています。神は人間を良いものとしてお造りなり、ご自分と人間、人間と人間の関係が良いものであるよう、望まれました。しかし、人間はこの神との良い関係を傷つけ、人間同士の良い関係も傷つけてしまいました。しかし、神は人間をお見捨てになりませんでした。アブラハムを選び、その子孫であるイスラエルの民を選び、神と人、人と人との関係を取り戻す壮大な計画を始められました。神の民であるはずのイスラエルは何度も何度も神を忘れ、神の御心に背いて人間同士が互いに争い、強い者が弱い者を圧迫するようになってしまいます。そんな時、神は預言者をとおして回心を呼びかけ、救いへの希望を持ち続けるよう、励ましてくださいました。そして、最後に神はご自分のひとり子を世にお遣わしになりました。
 ひとり子であるイエスは、神の国の福音を告げ、病気の人、貧しい人、罪人のレッテルを貼られて差別されていた人に限りないいつくしみを示しました。そのすべては、失われた神と人、人と人との関係を取り戻すための活動でした。イエスは最後の最後まで、十字架の死に至るまで、この道を歩みました。そして、神と人との関係回復、人と人との関係回復というイエスの歩みは、死で終わることなく、死を超えて完成された。そう信じるのが復活の信仰です。イエスは神のいのちに入り、神と完全に一つに結ばれました。そして、今もわたしたちと、すべての苦しむ人とともにいてくださり、わたしたちに希望と励ましを与え続けてくださるのです。
 「水」。どこにでもある、ありふれた物質です。これなしには生きていけない物質です。そういう意味で水はいのちのシンボルになります。でも同時に人間は水の中で長時間生きていくことはできません。悲しいことですが、水は死のシンボルにもなります。キリスト教は最初の時代から、この水を用いて、人がキリスト者になる式を行なってきました。いったん水の中に沈み、そして水の中から立ち上がる。それは第二朗読でパウロが言うように、キリストとともに古い自分に死んで、キリストとともに新たないのちに生きることを意味しています。今日、二人の方が洗礼をお受けになります。生涯キリストとともに歩んでいかれますように、心からお祈りします。
 「パンとぶどう酒」。キリストと結ばれるしるしは洗礼だけではありません。洗礼を受けた方は今日、この式の中で最初の聖体拝領をします。そして、これからずっとこの聖体の恵みにあずかることになります。これはわたしたちがいつもキリストに結ばれて生きることのしるしです。
 昨日ある方から、「なぜ、聖金曜日にも聖体拝領があるのですか?」と聞かれました。とっさに何と言ってよいか分かりませんでした。でもその後、わたしの心には、昔学んだラテン語の言葉が浮かんできました。それは“Sine Dominico esse non possumus”という言葉です。このDominicoというのは「主の」という意味の形容詞ですが、ここでは「主の日」のことを指しています。日本語に訳せば、「主の日なしにわたしたちは存在することができない」となります。主の日、つまり日曜日にキリスト信者が集まって主の晩さんを祝い、その中で主のからだをいただく。これなしにわたしたちは生きることができない。古代の北アフリカの殉教者の言葉だと言われています。
 2000年のキリスト教の歴史の中で、殉教者を始め数知れないキリスト者を支えてきたのは、この聖体における主キリストとの一致でした。どんな困難の中にあっても、どんな苦しみの中にあっても、キリストと一つに結ばれている、キリストが共にいてくださる。聖体はその最高のしるしです。
 洗礼を受ける皆さん、どうかこのキリストとの一致のうちに歩み続けてください。それはまた、共に主のからだにあずかるわたしたち教会共同体の一致でもあります。教会共同体も人間の集まりですから、弱さや罪が見えてきて、失望することがあるかもしれません。でもわたしたちはいつも主に立ち返ります。聖体の秘跡をとおして、復活の主に出会い、主に結ばれる、そこからいつも再出発する共同体なのです。一緒に信仰と希望と愛の道を歩んでいきましょう。


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