毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

ジュリア祭のミサ説教

 ジュリア

毎年、神津島で行なわれているジュリア祭に初めて参加しました。
写真はおたあジュリア顕彰碑とチマチョゴリに包まれたジュリアの絵です。
この前でミサが行われました。わたしと5人の司祭の共同司式でした。
(翌日の三位一体の主日の説教は近日アップの予定です)

●2013.5.25ジュリア祭のミサ(神津島にて)
 第一朗読:ヘブライ11・32〜12・2
 福音朗読:ヨハネ13・31−35

 おたあジュリアは16世紀後半に朝鮮半島から日本に連れてこられました。豊臣秀吉が韓国朝鮮を侵略したときのことです。捕虜として連れてこられたのでしょうか? それとも戦争で両親を失った孤児として保護されたのでしょうか? だとしたら、彼女の両親はなぜ死んでしまったのでしょうか? 日本の軍隊に殺されたのでしょうか? そのへんのことはよく分かりません。ジュリアについて分からないことはたくさんあります。
 でも分かっていることもあります。彼女がキリシタン大名小西行長に引き取られ、小西行長とその妻に大切に育てられたこと。その影響でキリスト教信仰をいただいたこと。小西行長が関ヶ原の戦いで敗れ、殺された後、敵方であった徳川家康にその才能と魅力を惜しまれて、家康の大奥に入ることになったこと。そして1612年、家康が自分の周囲のキリシタンたちに棄教を迫ったときに、断固としてそれを拒否したこと。家康の側室となるようにとの誘いもきっぱりと拒否したこと。そのために、大島に島流しになり、次にたぶん新島に移され、さらにこの神津島に移されてここで流刑の生活を送ったこと。そして、そのすべての場所で、駿河の地でも、流された島々でも祈りと愛の生活を送り、多くの人々に深い印象を与え続けたこと。それらのことは確かなこととして、わたしたちが知っていることです。人間的に、信仰者としてやはりすばらしい人だったと思います。彼女のことを思い起こすことは大きな意味があります。
 彼女は日本人を恨むことができたかもしれません。あるいは完全に日本に同化して祖国のことを忘れることもできたかもしれません。でも彼女はたぶんそうしませんでした。自分の国に誇りを持ち、同時に日本人の中で生き、周りの人々に常に良いものをもたらそうとしました。その生き方は、自分のボスであり、ある意味、命の恩人でもある徳川家康の命令があっても,揺らぐことはありませんでした。「わたしは韓国人という人間でも、日本人という人間でもない、唯一の神、イエス・キリストの父なる神の娘だ」。彼女はそう確信していたのでしょう。神がすべての人の主であり、人間の中で誰が上で、誰が下ということもない。それが彼女の信念だったと思います。
 日本では今、ナショナリズムの傾向が高まりつつあるように感じます。外国のこと、外国の人々よりも、とにかく、日本と日本人が一番大切だとする考え。そして一人一人の人間の尊厳よりも国家の方が大事だとする考え。外国の人々に対して、女性や弱い立場の人々に対して、尊敬と尊重を欠いた発言が政治家や普通の人の口から発せられています。本当にひどいと思います。
 いや、もちろん、ナショナリズムは日本だけのことではなく、韓国でも、中国でもあるのでしょう。そのナショナリズムが強まっていき、人と人との間を引き裂いて行くことは、本当に悲しいことです。そういう中でおたあジュリアという一人の女性のことを思い出すことは特別な意味があると思います。
 日本にはキリシタン時代の殉教者がたくさんいます。列聖されているのは42人。列福されていのは393人。それは2万人とも言われるキリシタン殉教者たちの中のほんのわずかな代表者です。この393人の福者のうち7人が韓国人だと言われています。他にもたくさんの韓国人キリシタンがいました。殉教者もいました。彼らは皆、おたあジュリアと同じように16世紀の後半、いろいろな事情で日本に来てキリスト教と出会ったのです。
 彼らはたまたま日本に来て、たまたまキリシタン信仰に出会ったというだけでしょうか。彼らにとって民族による差別のないキリシタン教会には大きな魅力があったのではないでしょうか。そして何よりも、どんな苦しい境遇の中にあっても、人を分け隔てなく大切にし、生かし、支え続けている神への信仰は異国に暮らす人々にとってどれほど大きな支えとなったでしょうか。だからこそ命を賭けて、その信仰を守り抜いたのでしょう。
 ジュリアもそうでした。時の最高権力者から信仰を捨てよと命じられても、彼女はその命令に屈しませんでした。飴と鞭を使い分けるようなどんな説得にも惑わされませんでした。まっすぐに信仰の道を歩み続けました。

 第一朗読で、ヘブライ人への手紙が読まれました。この手紙の著者は、自分たちの信仰の先輩たちの例を引きながら、信じて生きることがいかに素晴らしいことか、どんな苦しみにあっても信仰がいかにその人を支え続けるかを語ります。その信仰とは頭の中で「神はいると思っている」というような信仰ではなく、目に見えないものに信頼と希望をおいて生きることでした。そしてヘブライ書は、イエスこそが「信仰の創始者であり完成者」だと言います。イエスもこの信仰を持って、十字架への道を最後まで歩み抜いたのだというのです。おたあジュリアもその信仰の道を、イエスの後を追って歩みました。
 おたあジュリアの信仰は、「祈りと愛」によく現れています。おたあジュリアにとって何よりも大切なことは、祈りと愛でした。大奥から追放されるとき、彼女は、これで祈りに専念できると言ったそうです。時がよくても、悪くても、祈りの中で神につながっている、それが彼女の支えでした。
 そして愛。先ほど読まれた福音の中で、イエスは「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」と言われました。おたあジュリアは、駿河にいた時も、島に来てからも、そのような愛を生き、イエスの弟子としてイエスをあかしし、多くの人に感銘を与えたのです。
 わたしたちもこのような祈りと愛に招かれています。
 特に今日、祈りの大切さを、おたあジュリアから学びたいと思います。

 祈りとは、すべての良いことをしてくださる神を賛美すること、
 祈りとは、すべての良いものを与えてくださる神に感謝をささげること、
 祈りとは、神に心を向け、神の愛を深く受けること、
 祈りとは、自分のほんとうの必要のために、神に願い求めること。
 祈りとは、いくら願いがかなわないように思えても、願い続けること。
 祈りとは、苦しみの中にあって、神の救いの力に信頼し続けること。
 祈りとは、苦しみのうちにある兄弟姉妹と心の中でつながること、
 祈りとは、ただ自分の願いではなく、わたしたちの願いを神にささげること、
 祈りとは、沈黙のうちに神から来る呼びかけに聞き従おうとすること。
 祈りとは、今のわたしに神が何を求めているか、今のわたしに何ができるかを見極めること。
 祈りとは、どんな時も絶望せずに、神に自分のすべてを委ねること。

 おたあジュリアにならい、わたしたちが生活の中心に祈りを置き、そこから湧きいでる愛に生きることができますように。アーメン。

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| | 2013-05-27(Mon)16:12 [編集]


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幸田和生 | URL | 2013-06-01(Sat)17:41 [編集]