毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

深大寺のカルメル会修道院起工式

昨日、深大寺のカルメル会女子修道院の建て替え工事の起工式がありました。
真夏の午後3時ということで、どうなるかと思いましたが、式中はそよ風が吹いていました。
やっぱり聖霊の風でしょうね♪

というわけで説教原稿がありますので、載せておきます。
(もちろんシスターのためじゃなく、工事関係者のための話です)

●ヨハネ2・13-16,18-22

 今読まれた聖書の箇所は、2000年前のイエスの活動の一場面ですが、商売している人たちを無理やり追い払った、というずいぶん過激な行動が伝えられている箇所です。場所はエルサレムの神殿の境内でした。
 神殿とは何でしょうか?「神の住まい」といわれることもありますが、神は神殿の中に住むのでしょうか?そういう考えは、もともと旧約聖書の信仰の中で否定されていました。天地万物を造られた神は、人間の手で造った建物の中にはお住まいにならない、というのが聖書の基本的な考え方です。ただ神殿は「神がご自分の名をそこに置く」とされた場所であり、神がわたしたちの中にいて、わたしたちと共にいてくださることを人間が思い起こし、そして人が神に祈りをささげる場所だと考えられていました。
 しかし、次第に神殿を重んじる風潮は肥大化していきます。やはり目に見えるものに人間は心を奪われるのです。神殿には富が集まり、その富を受け取る祭司階級が勢力をひろげ、それに関連するさまざまな商売も生まれました。そこでは目に見えない神様ではなく、目に見えるものばかりが人間を振り回していくのです。そしていつの間にか、この神殿の中にだけ神がいるというような錯覚に陥ってしまいます。イエスはそのすべてをある意味で否定します。
 大切なのは、本当に神と出会うこと、目に見えないが本当に人間を生かし、人間を導いてくださる神に出会うこと、それは神殿の中で行われることではないのだ。日々の生活の中で、自分たちの生き方の中にこそ神が共にいてくださるのだ、それがイエスの確信でした。この式のはじめに「愛といつくしみのあるところに神はおられる」という歌を歌いました。愛をもって生きようとするわたしたちの生き方の中に、目に見えない神がいてくださるのです。ヨハネ福音書はイエスの死後70~80年たってこれを書いていますが、そこでは「壊れて三日で建て直される神殿」つまり「死んで三日目に復活したイエスご自身」こそが、目に見えない神との本当の出会いの場なのだと語られるようになっています。

 こんな話をしていますが、それは今日、このカルメル会修道院の起工式にあたり、やはり目に見えないものを感じていただきたいと思うからです。これから造られる建物自体はもちろん目に見えるものです。でもこの建物を建てる意味は、目に見えないものを大切にしたいと願っているからなのです。
現代世界のいろいろな都市の中にカルメル会の修道院が存在します。この東京という町の中にもこのカルメル会女子修道院が存在します。ある意味で奇跡のようなことだと思います。わたしたちの生きている社会は消費社会と言われています。それは人間の欲望を肯定し、それを前提にして成り立っている社会です。コマーシャルによってその欲望があおられ、みんなが少しでもよいもの、美しいもの、便利なものを手に入れるために競争に駆り立てられている、そういう社会だといってもいいと思います。その中にあって「神を信じること、愛すること、祈ること」だけを求めて生きようとする人々がここに存在するのです。それは奇跡みたいなことです。この修道者たちの生き方には、「目に見えるものがすべてではない」ということを証しして生きるという大切な意味があるのです。

 およそ宗教というものは、目に見える世界がすべてではなく、人間の力を超えた「目に見えないもの」を大切にすることを教えています。カトリック教会ももちろんそうです。目に見えない神様、目に見えない人の心、その心と心が愛によってつながっていること、そういうことこそが本当に大切なことだと信じています。しかし同時に、カトリック教会の伝統は、目に見えないものに出会うための「目に見えるしるし」も大切にしてきました。秘跡と呼ばれる儀式も、聖堂と呼ばれる場所も、祈りの家と呼ばれる修道院の建物も、それは目に見えるものですが、目に見えない本物と出会うためのしるしだからこそ、意味があると考えています。
 目に見えない神に出会うためにこそ、目に見えるこの修道院を造っていただきたいというのがわたしたちの願いです。工事にかかわる皆さんが、そのことを少しでも感じ続けていただければありがたいと思います。そしてその目に見えない神が皆さんの仕事を支え、導き、守っていてくださることを感じていただければと思います。そんな思いを込めて、きょうの起工式を進めさせていただきます。


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コメント


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いやぁ、私のように教会にも通わぬ黒い羊と比べたら、建物を尊ぶ人の方が遥かにマシですよ。

アズマ | URL | 2010-08-03(Tue)16:07 [編集]


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| | 2010-08-04(Wed)13:07 [編集]


アズマさん、コメントありがとうございました

人それぞれ事情がありますから、教会に通えなくても神は共にいてくださいます♪

> いやぁ、私のように教会にも通わぬ黒い羊と比べたら、建物を尊ぶ人の方が遥かにマシですよ。

こうだ | URL | 2010-08-10(Tue)08:47 [編集]


>人それぞれ事情がありますから、教会に通えなくても神は共にいてくださいます♪

とは思っていない、神と富の両方に仕えようとしている敬虔なキリスト教徒が何気に多かったりするのですよ。
私ども精神疾患者や生活保護者より犬や猫の方が遥かに愛されてます。

アズマ | URL | 2010-08-10(Tue)17:33 [編集]