毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活の聖なる徹夜祭

hongo 2014

主の復活おめでとうございます。
写真は東京・本郷教会の聖堂正面のステンドグラスです。
昨日もまた、この本郷教会で復活徹夜祭のミサを司式しました。
この徹夜祭の中で2人の方が洗礼を受けられました。心からお祝い申し上げます。

●復活徹夜祭(マタイ28・1-10)
                 2014.4.19本郷教会

ホミリア
 キリスト教のもっとも根本的なメッセージは何か。教会の信仰の中心にあることは何か。新約聖書の中でもっとも早い時代、紀元50年代に書かれたコリントへの第一の手紙の中で使徒パウロはこう述べています。
 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」(一コリント15・3-5)
 このメッセージは今もわたしたちの信仰の基本にあります。ミサの信仰宣言でも同じ内容を唱えています。ただ、これだけで現代の人々に通じるかというとそうでもないと言わざるをえないでしょう。昨年、信仰年の終わりにあたって、フランシスコ教皇が発表した使徒的勧告『福音の喜び』の中で、この基本的なメッセージはこう表現されています。
 「イエス・キリストはあなたを愛し、あなたの救いのためにいのちをささげられました。キリストは今も生きておられ、日々あなたのそばであなたを照らし、力づけ、解放してくださいます」
 内容は同じですが、心に響く表現だと思います。イエスの死と復活をただ過去に起こった出来事としてではなく、それがわたしたちとどう関係しているかを表現しているからでしょう。

 「イエス・キリストはあなたを愛し、あなたの救いのためにいのちをささげられました。」それは昨日、聖金曜日にわたしたちが記念したことです。
 「キリストは今も生きておられ、日々あなたのそばであなたを照らし、力づけ、解放してくださいます。」これが今日、復活徹夜祭で祝っていることです。復活とは、十字架刑で死んだイエスが、生き返って墓から出て来たということを祝うのではありません。そのイエスが死に打ち勝ち、今も生きておられることを祝うのです。今もわたしたちとともにおられることを祝うのです。
 そうでなければ、わたしたちがキリスト者として生きていることに意味がありません。今日洗礼を受ける方々の洗礼には意味がありません。

 今日の福音でイエスは、女性の弟子たちの前に姿を現し、「おはよう」と言います。普通に使われたあいさつの言葉で、しかも朝ですから「おはよう」と訳されていますが、元の言葉の意味は「喜びなさい」です。
 毎朝、わたしたちはこのイエスに出会います。眠い時も、会社や学校に行きたくない時もあるでしょう。でも、イエスはそこにいて、「おはよう、喜びなさい」と声をかけてくださいます。だから会社に行かなくちゃ、とは限りません。休んだほうがいいときもあるでしょう。ただ、どんな時もイエスはともにいて、「わたしが一緒にいるから、喜びなさい」と言ってくださるのです。その励ましを日々受け取ってきたいと思います。
 福音書に伝えられた復活のイエスとのさまざまな出会いの物語は、2000年前の出来事ではなく、今のわたしたちとイエスとの出会いの物語でもあります。なぜならイエスは復活して、永遠に生きておられるからです。疲れ、失望し、恐れに捕らえられ、信頼を見失いかけ、愛を忘れかけたときに、イエスはそのわたしたちに近づいて来てくださって、語りかけてくださいます。
 「なぜ泣いているのか。」(ヨハネ20・13)
 「あなたがたに平和があるように。」(ルカ24・36、ヨハネ20・19ほか)
 「わたしはいつもあなたがたとともにいる。」(マタイ28・20)
 「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20・27)
 「あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21・22)
 「父がわたしをお遣わしになったようにわたしもあなたがたを遣わす」(ヨハネ20・21)
 本当にそのイエスの言葉を今日のわたしへの励ましとして受け取ることができるのです。

 もっと言えば、復活のイエスとの出会いの物語だけでなく、福音書のあらゆる場面が、実は今のわたしたちのイエスとの出会いの場面にもなります。
 「わたしについて来なさい」「あなたの罪はゆるされる」「わたしが来たのは、罪人を招くためである」「見なさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟姉妹がいる」「あなたの信仰があなたを救った」「わたしもあなたを罪に定めない」「安心して行きなさい。元気に暮らしなさい」「今日は、是非あなたの家に泊まりたい」「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」「子どもたちをわたしのところに来させなさい」「貧しい人々、あなたがたは幸いだ」「泣いている人々、あなたがたは幸いだ」「飢えている人、あなたがたは幸いだ」「神の国はあなたがたのものである」「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」「わたしは、決してあなたがたをみなしごにはしておかない」「あなたは今日、わたしと共に楽園にいる」

 わたしたちはいつもこのイエスの言葉を聞き、イエスの言葉に励まされて歩んでいきます。そのためにどうしたらいいのでしょうか。一昨日のミサで言ったことを繰り返します。一つは「祈りの心で聖書を読む」ことです。一人で読む時も、誰かと一緒に読む時もこのことが大切です。もう一つは、「心を込めてミサにあずかり、聖体のイエスと結ばれる」ことです。ミサと聖体は、今生きておられるイエスとの特別な出会いのチャンスです。そして三番目は、「聖霊と今生きておられるイエスに心を開く」ことです。今、この現実の中で神さまが何をなさろうとしておられるか、このわたしに何を望んでおられるかということに、いつも心を開いていること。
 今日洗礼を受ける方々がこの道をずっと歩んでいくことができますように、主イエスがいつも共にいて、支え導いてくださいますよう、心から願いながら、洗礼式を行ないます。





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| | 2014-04-21(Mon)12:49 [編集]


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| | 2014-05-06(Tue)10:08 [編集]