毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

復活節第5主日 足立教会堅信式

2014adachi

今日、足立教会の堅信式で、12人の小中学生が堅信の秘跡を受けました。
みんな、すごくいい子たちでした!

●復活節第5主日 足立教会堅信式ミサ

 第一朗読:使徒言行録6・1-7
 第二朗読:一ペトロ2・4-9
 福音朗読:ヨハネ12・1-12

ホミリア
 今日の聖書朗読から三つのイメージを取り出してお話ししたいと思います。
 第一朗読には、「手を置くこと」が出てきます。使徒言行録の箇所は最初の助祭叙階式ともいえる箇所ですが、今日の堅信式の中心にもこの「手を置くこと=按手」があります。手を置くとはどういうことでしょう? 小さい頃、お腹が痛いと訴えると、お母さんがお腹をなでてくれた、そうしたらなんとなく痛みが和らいだという記憶があるかもしれません。手を置くということには、大昔からそうやって、人をいやしたり、力づけたりする意味があります。聖書の中では、「聖霊」という神からの力が与えられるしるしでした。その人に特別な使命を与え、そのためにその人を強める、きょう堅信を受ける人も按手と塗油のしるしをとおして、「聖霊」という神からの力によって強められます。
 第二朗読には「石」が出てきます。「家造りの捨てた石が隅の親石となった」という有名な詩編があります。この詩編118編は復活祭によく歌われます。「隅の親石」とは建物の土台となる大切な石のことです。人間に捨てられ十字架につけられたイエスは、神によって選ばれ、永遠に生きる救い主として立てられた。そして今日の第二朗読で使徒ペトロは、「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい」と言います。キリストが土台になって、その上に多くの人が「生きた石」として積み重なり、大きくてすばらしい神の家ができていくというイメージですね。教会のイメージ、いや神の国のイメージと言っていいでしょう。堅信を受ける皆さんは、今日、その生きた石になります。
 今日のもう一つのイメージは、ヨハネ福音書の「道」です。イエスは「わたしは道である」と言われました。イエスは「あそこに道があるから、ここに道があるから、その道を行きなさい」とは言いません。「わたしが道だ」とおっしゃいます。「わたしが道だ」というその道は、イエスが歩んだことによってできた道です。人々を愛し、十字架で友のためにいのちを投げ出したイエスの道、しかし、それは死で終わる道ではなく、神のもとに行く道でした。この道をあなたがたも歩んで行きなさい。これがわたしたちへの呼びかけです。ヘブライ人への手紙は、イエスが十字架によって、神に至る「新しい生きた道を開いてくださった」と言います(ヘブライ10・20)。また、同じヘブライ書の12・13にはこういうことも言われています(今の日本語訳では分かりにくいですが)。「あなたがたの足で、まっすぐな足跡を残しなさい。まっすぐな道を作りなさい。そうすれば後から来た足の弱い人も、その道を歩むことができます。」教会のイメージとして、これが大切だと思います。わたしたちはみな、弱い人間です。でも、イエスが歩まれた道を皆で歩んで行くなら、神さまに至る道は確かなものになっていきます。
 キリストの愛に結ばれて、みんなで神のもとに向かって歩んでいきます。信仰と愛を生きる「生きた石」が積み重なり、大きな神の家を造っていきます。それは、すべての人を尊重して、お互いに平和に生きるという神の国の完成に向かう歩みです。今日、堅信の秘跡を受ける人は、その道をイエスと一緒に歩ませていただけるように、按手と塗油のしるしをとおして、聖霊を注がれるのです。


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| | 2014-05-20(Tue)02:28 [編集]