毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

府中教会堅信式ミサ説教

20140713

カトリック府中教会の主日のミサで23人の方が堅信の秘跡を受けました。
写真の右側は堅信を受けた兄妹、左は二人のお母さんです(ブログ掲載了解済み)。

●年間第15主日・府中教会堅信式
 I. イザヤ55・10-11 II. ローマ8・18-23 福. マタイ13・1-23

 先月末の6月30日、行方不明になっていたユダヤ人の少年3人がイスラエルの占領地ヨルダン川西岸ガザ地区で遺体となって発見されました。その直後、7月2日に東エルサレムで16歳のパレスチナ人の少年ムハンマド・アブ・クデールさんが誘拐され、殺害される事件が起こりました。それをきっかけにパレスチナとイスラエルの間で報復攻撃が激化しています。イスラエルはガザ地区を空爆し、死者は100人以上と言われています。ガザ地区からはイスラエルに向けてロケット弾が打ち込まれています。ユダヤ人とパレスチナ人が対立しているのでしょうか? イスラエル国家とイスラム原理主義者のハマスが対立しているのでしょうか? でも殺されているのは市民です。テロリストではない女性や男性、子どもたちです。怒りや憎しみにかられて戦争をしたい人たちと、民族意識を利用して権力を維持している政治家たちと、戦争によって儲けている金持ちたちが、市民を殺しているのです。それが現実です。本当にひどい現実です。

 殺されたユダヤ人少年の家族、フレンケルさん一家は、パレスチナ人少年ムハンマドさんの殺害についてこういうコメントを出しました。
 「流れる血に、イスラエルもパレスチナもありません。人殺しは人殺し。そこに正義はありません。殺人に対に対しては赦しと和解(atonement)があるのみです」
 このコメントに感動しました。ほんとうにそのとおりだと思います。
 今日の福音を読んで、このことを思わずにいられませんでした。みことばの種が世界に蒔かれているはずです。それは「愛といのちとゆるしと平和」のみことばです。すべての人を限りなく愛し、すべての人が互いに愛し合うことを願う神のみことばです。ユダヤ教徒も、イスラム教徒も、キリスト教徒も皆、そのみことばを聞いています。それなのになぜわたしたちはみことばに従って生きることができないのでしょう。

 今日の福音の言葉。「だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。」
 誘惑があるというのです。やられたらやり返せ、報復するのは当然だ、その誘惑はどれほど強いことでしょうか。
 「石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。」
 「艱難や迫害が起こると」本当はそのときにこそ、みことばが大切なのに、それを忘れてしまうということがあるのですね。
 「茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。」
 「世の思い煩いや富の誘惑」まさに今の世界を動かしているものはこれです。自分たちの安全を自分たちの力で守らなければならない、自分たちの経済的な利益をいかに確保するか、そんなことばかりで、みことばに心を向けない。そうして人を殺すのです。実際、人を殺しているのです。これが世界で起こっていることです。

 こんな世界の中で、イエスはみことばの種を蒔き続けました。神が人を愛しておられること、神が人に互いに愛し合うことを望んでおられること、人と人とがゆるし合い、平和のうちに生きなければならないということ、イエスはいのちがけでそのみことばの種を蒔きました。イエスはわたしたちに、このみことばを受け入れ、このみことばに従い、このみことばを実らせるように呼びかけます。
 このみことばは決してむなしくなならない、という確信が聖書にはあります。第一朗読では、みことばは、雨のように大地をうるおし、植物の芽を出させ、豊かな実りをもたらす。それが神のなさることであり、神のことばは必ず、実現すると歌います。イエスも言います。「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」必ず豊かに実を結ぶ、そう信頼してイエスは十字架の死のときまで、みことばの種を蒔き続けました。

 わたしたちはこの神のみことばに信頼します。このみことばの実現に信頼しながら、神とともにイエスとともに働きたいと願っています.今日、堅信を受ける皆さんは、そういうキリスト信者になるように招かれ、その招きに答えようとしているのです。本当に、みことばをしっかりと自分のうちに保ってください。そのことを今日の福音では「みことばを聞いて悟る」と言います。ただ聞くだけじゃなく、聞いて自分のものにすると言ったらいいでしょうか。
 第二朗読には「霊の初穂」という言葉が出てきます。わたしたちは聖霊の初穂をいただいている、というのです。どういう意味でしょうか.初穂とは最初の実りです。それは小さな小さな実りです。でもその後に多くの実りが、豊かな実りが続くことを保証している実りなのです。今日、堅信の秘跡によって、この聖霊のたまものが皆さんに与えられます。それは初穂のように、小さなものに思えるかもしれません。でもそれを大切にしてください。それはいつか「愛と平和」という大きな聖霊のたまものに育って行くのです。
 本当にわたしたちが聖霊に支えられ、神のみことばをしっかりと受け入れ、それによって生きるようになること、それがわたしたちの課題です。堅信を受けた人は今日、その大きな課題をいただいたのです。あわてなくてもいいです、どれだけかかってもいいのです。この道を一人一人がそれぞれにしっかりと歩んで行くことができますように、心から祈りながら、堅信式を行います。

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| | 2014-07-18(Fri)22:24 [編集]