毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

瀬田教会での合同堅信式ミサ

20140921

昨日は瀬田教会に行ってきました。
三軒茶屋、渋谷、瀬田3教会合同堅信式で17名の方が堅信の秘跡をお受けになりました。
(写真は瀬田教会聖堂内の聖母子像です)

2014.9.21年間第25主日(瀬田教会にて)
聖書箇所 I. イザヤ55・6-9
     II. フィリピ1・20c-24、27a
     福. マタイ20・1-16

ホミリア
 朝早くから一日中働いた人も夕方来てたった一時間しか働かなかった人も、同じ賃金をもらう。皆さんは今日の福音をどう思いますか。夕方まで仕事がなくて五時頃になってやっと仕事にありつけた、しかも一日分の給料ももらえた。「夕方組」にとって、ものすごくありがたい話ですね。でも朝からずっと苦労して働いた「早朝組」にとってたった一時間しか働かなかった人と同じ賃金しかもらえないというのは、どうしても納得できない話だろうと思います。
 イエスさまはなぜこんな話をしたのでしょうか。
 福音書の前後関係を見ると、イエスがこの話をした相手は、ご自分の弟子たちということになっています。でも本来は必ずしもそうではなかったらしいのです。本来の相手が、実は、ファリサイ派や律法学者のような人だったと考えてみると、今日のたとえ話は理解しやすくなると思います。

 ファリサイ派、律法学者と呼ばれる人たちは福音書によく登場しますが、真面目で宗教的に熱心な人たちでした。その人たちは「自分たちは律法という神の命令に従って生きている、正しく生きようと努力している、ふつうの人たちとはぜんぜん違うのだ」というエリート意識を持っていました。そして、「一般の民衆はダメだ。あんな連中に救いはない」そういう態度でした。その人たちが大きな影響力を持っていたので、多くの人々、無学で貧しい人々は、神様の救いから置き去りにされていました。
 そこにイエスが登場しました。イエスはすべての人に向かって、「神の国は近づいた」と語りかけました。神様はすべての人を例外なく愛しておられる方、どんな人も決して見捨てることはない。だから、その神に信頼して、希望をおいて、神の望みに従って生きようとするなら神の国の喜びにあずかれる。それは難しいことではなく、神に信頼して人間同士互いに大切に合うこと、そのように生きるならすべての人は救われる。そう宣言したのです。見捨てられていた多くの人がこのイエスのメッセージを喜んで受け入れました。特に病人や障害者、貧しい人、職業的に差別されていた人。その人々がイエスの呼びかけに応えて集まってきました。そういう現実を見て、ファリサイ派の人や律法学者は眉をひそめていたのです。律法を知らず、律法を守らない、こんな連中に救いを約束するとは何事か、こうしてイエスは敵視され、迫害を受け、最後には殺されていくことになったのです。

 そういう背景の中にこのたとえ話を置いてみると、よく分かります。朝早くから働いた人はファリサイ派や律法学者と言われるエリートたちでした。イエスは彼らの働きが悪いと言っているのではありません。
 「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」
 「友よ」という呼びかけは相手に対する愛情と尊重を含んだ言い方です。これは決して早朝組を全否定するような語りかけではありません。ただ、すべての人を救いにあずからせたい、という主人の思いを知ってほしいと言っているのです。神様は、この最後の人にも神の国の喜びを与えたいと思っているのだ、それを分かってほしい、というのですね。

 わたしたちの生きている現実はどうでしょうか。
 「一生懸命やっているのに正当に評価されない」という早朝組のような悩みもあります。ブラック企業と言われるようなところで残業代もつかない長時間労働を強いられている人がいますね。同時に、夕方組のように、「だれも雇ってくれないのです」という悩みも多いのです。それはなかなか口にできない悩みです。今の若い人たちにとって就職はたいへんです。非正規のような仕事しかない、という話をよく聞きます。どうしたら普通に生活できるような仕事に就けるのか。自分は本当にどうしたら社会の中で意味のある仕事ができるのか。どうしたら人の役に立つことができるのか、だれか本当にわたしを必要としてくれているのか。それは本当に切実な悩みです。
 フランシスコ教皇は、すべての人に仕事が与えられ、ふさわしい賃金が支払われることの大切さを強調しています。人間らしい仕事によってこそ、人は尊厳を持つことができ、社会に参加することができる。逆に言えば、世界中で多くの人にそのような仕事が与えられていないという現実があるのです。わたしたちのまわりでもそうかもしれません。

 神様はわたしをやとってくれる。「あなたたちもぶどう園に行きなさい」あなたも神の国で働くことができる。神様から見たら、どんな人もぶどう園のかけがえのない働き手なのだ。これがきょうの福音です。「あなたたちもぶどう園に行きなさい」堅信の秘跡の秘跡を受ける皆さんに対する神様の呼びかけでもあります。わたしたちも神の国のために働くことができる。それはほんとうに素晴らしいことです。
 神様のぶどう畑とはどこでしょうか。それはわたしたちの生活の場です。職場であり、学校であり、家庭であり、教会であり、地域であり、さまざまな人間関係の場です。そこで神様のために働くということは、神様の愛を伝える人になるということです。「無理です、わたしにはそんな力はない」って思うかもしれません。そんなことはありません。神が招いてくださっているのだから。イエスさまが一緒に働いていてくださるのだから。聖霊という神様の力がそそがれるのだから。だからあなたも主のぶどう畑の働き手になれる! これが堅信の秘跡の意味です。
 神様の愛を伝えるのは、言葉で伝えるだけじゃありません。むしろ小さな行動や態度によって伝わるのです。つらい思いや淋しい思いをしている人のそばにいてあげること。悩んでいる人の話をよく聞いてあげること。孤独な人の友達になること。病気の人を見舞うこと。だれかにおはようって声をかけること。わたしたちにできることはたくさんあります。
 「あなたたちもぶどう園に行きなさい」わたしたち一人一人がその呼びかけに精一杯応える心をもって、今日の堅信式を祝いましょう。

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| | 2014-09-22(Mon)22:29 [編集]