毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

港 品川宣教協力体合同堅信式

20141005

10月5日(日)は麻布・高輪・目黒、3教会合同の堅信式でした。
大雨で、麻布教会では写真を撮れなかったので、
堅信式で使っている聖香油(CHRISMA)の容器をお見せしちゃいます。

●年間第27主日・港品川宣教協力体合同堅信式
 2014.10.5麻布教会にて

 第一朗読:イザヤ5・1-7 第二朗読:フィリピ4・6-9 
 福音朗読:マタイ21・33-43

 ホミリア
 今日の福音のたとえ話のことから話しましょう。
 「ある家の主人がぶどう園を作り、垣をめぐらし、その中に搾り場を堀り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」
 主人はもちろん神様のこと。ぶどう園は何のことでしょうか。第一朗読はほとんど同じたとえを語りますが、そこには「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑」とあります。農夫たちはそれをゆだねられた民の指導者たちということになるでしょうか。神から貸し与えられ、忠実に管理するようにと委ねられたのに、それを自分のもののように思い込み、神から送られてくる預言者やイエスを受け入れなかった。当時の社会・宗教の指導者たちが批判されています。もしかしたら、神が農夫たちにゆだねたぶどう園とは「神の救い」か「神のことば=律法」の意味かもしれません。ファリサイ派や律法学者たちは生きた神様との関係を忘れて、神の救いの約束も、神のことばである律法も自分勝手に解釈して、まるで自分のもののようにしてしまっていました。これが福音の元の意味でしょう。

 でも、このぶどう園、もっと違う意味にも取れるのではないでしょうか。
 「ある家の主人がぶどう園を作り、垣をめぐらし、その中に搾り場を堀り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」
 神様がここまで手をかけて、いつくしみを込めて配慮に配慮を重ねてくださったものとは?これはわたしたち自身のいのちのことではないでしょうか。それを貸し与えられた農夫とは、わたしたちです。わたしたちは、神様が深い思いをもって生かし、育ててくださったその自分のいのちをどれほど大切にしているでしょうか。自分のいのち、自分のからだは自分のものだから自分がどうしてもかまわない? いつの間にかそう思っているところがないとも言えない。
 でも本当は神様からまかされた大切なもの。今日、堅信を受ける中学生や高校生には特にそのことを知ってほしい。いのちって、たまたまあって、自分のものだからどうなってもいいっていうようなもんじゃない。神様からみんな一人一人に預けられた大切なものなんだ、そう思ってほしい。

 神様はじゃあ、このいのちをどうすることを望んでおられるでしょうか。今日の福音で言えば、「季節ごとに収穫を収める」っていうのはどういうことでしょうか。第二朗読には、「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」とあります。真面目に生活をし、善を行い、悪を避ける。そんなイメージでしょうか、でも、それだけじゃないんです。そのちょっと前にこう言われています。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ2・4)。そして「平和の神があなたがたと共におられます」と約束されます。神から来る「平和と喜び」、これが神さまが本当にわたしたちに与えようとしておられるものです。

 ぶどう園の主人が整えたもの中に「搾り場」っていうのが出てきますね。何だか分かりますか。これはぶどうの実を潰すための場所です。潰してどうするか、もちろん、ぶどう酒を作るのです。聖書の世界では、ぶどうを育てるのは、実はぶどうの実を食べるためじゃない。「ぶどう酒」を作るため。未成年の方が多いので、分かってもらうのは難しいかもしれませんけど、ぶどう酒は喜びのシンボルでした。お祝いのパーティーの雰囲気ですね。分かってください。これが、神様がわたしたちを招いている世界です。神様がわたしたちにいのちを与え、わたしたちを大切に育てているのは、わたしたちを苦しめる為じゃない。もちろん、人生にはいろいろな苦しみもありますが、本当は神様は、ご自分の喜びにわたしたちをあずからせたい。わたしたちと一緒に喜びたい、そう願っておられるのです。農夫たちはもちろん収穫の一部を主人にささげなければならないのですが、その後に待っているのは収穫の喜びの祭りだったはずです。

 堅信を受ける皆さんは教会に通っていて、今日、堅信の秘跡を受けます。それは日本の社会の中では本当に少数派です。わたしたちの周りの多くの人は、神様のことを知りません。自分の力の及ばないことをちょっと助けてください、って神様にお願いすることはあるかもしれませんが、イエスさまが教えてくださった神様のことはよく知らないでしょう。わたしたちのいのちが神様から与えられ、委ねられたもので、神様は、喜びを一緒に分かち合うために一人一人のいのちを造ったのだということを知らない人がおおぜいいます。そして辛いことや苦しいことがあると、行き詰まってしまう人もたくさんいるのです。
 フランシスコ教皇はおっしゃいます。「イエスを知っているのと知らないのでとは人生が違います。」どう違うのでしょうか。
 「どんな時も絶望したり、自暴自棄になったりしないで、希望をもっていられること。」そして、「どんな時も自分のことだけじゃなく、他の人のことを考えられるようになること。」この二つが違いだと思います。大きな違いですよね。

 堅信の秘跡は聖霊を与える秘跡だと言われます。
 聖霊はわたしたちにイエスのことをもっとよく分からせ、イエスを知ったものとして世に派遣します。教皇の言葉を使えば、「イエスを知っているのと知らないのでは人生が違う」ということを示すのが、わたしたちキリスト信者の使命です。聖霊がわたしたちにイエスのことをもっとよく分からせてくださいますように。そしてイエスと共に生きる喜びをわたしたちに与え、その喜びでわたしたちの人生を輝かせてくださいますように。この堅信式をとおしてご一緒に祈りましょう。アーメン。



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| | 2014-10-08(Wed)01:54 [編集]