毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

ベタニア修道女会 初誓願式ミサの説教

20141016

●ベタニア修道女会 シスターテレサ川鍋真澄 初誓願式
              2014年10月16日カトリック徳田教会にて

 (I) エフェソ1・3-14 (福) ヨハネ15・9-17

ホミリア
 今から半世紀前に開かれた第二バチカン公会議は、カトリック教会を現代世界との対話に向けて開きました。その最後の年1965年、公会議は「修道生活の刷新・適応に関する教令」を発布しました。現代における修道生活について「キリスト信者のあらゆる生活形態の源泉ならびに会の原初の精神にたえず立ち返ることと同時に、会を変化した時代の状況に適応させる」ことが求められました。そこではっきりと言われていることがあります。
 「キリストに従うことが修道生活の究極の規則であり、すべての会はこれを最高の規範と考えなければならない」(教令2)
 「キリストに従う」ということがすべてです。そのために、いろいろなものを放棄して、そこから自由になって、自分のすべてを神にささげる、これが、修道生活(奉献生活)というものの本質なのです。

 さて、第二バチカン公会議から半世紀たって、今、わたしたちはどこにいるでしょうか。先進国では共通して、どの修道会も会員の高齢化と召命の減少という厳しい現実に直面しています。昨年の11月に出されたフランシスコ教皇の使徒的勧告『福音の喜び』は、現代のキリスト者の直面している困難について率直に語っています。第2章に「司牧活動にかかわる者が受ける誘惑」という節があります。
 そこで言われている問題は主に2つにまとめられると思います。

 1つにはあまりにも世俗化され、キリスト教的でなくなっている社会。その中で自信を失い、自分たちのキリスト者としてのアイデンティティを見失ってしまう、という問題です。伝統的なキリスト教国での問題意識かもしれませんが、日本ではもっとその問題は大きいかもしれません。「修道者」であるということはこの社会ではおよそ理解されない生き方でしょう。きちんと評価されません。それは結構しんどいことですね。社会的に評価されないのです。
 もう1つの問題は、教皇が「実践的相対主義」と呼ぶものです。神に向かう姿勢、つまり信仰の価値と、それ以外のものの価値が結局のところ相対的なものになってしまうのです。結果として、本当の神への献身が弱くなってしまうこと。これも大きな問題です。さらにそこで起こることは、「地道な努力を避ける、地上の成功を求める、人間よりも組織に関心を持つ、目先の結果を求めて、矛盾や失敗、批判、十字架を受け入れられなくなる」。フランシスコ教皇はこれを「教会の日常生活における灰色の実用主義」とも言っています。いつの間にか、神とキリストの栄光ではなく、自分の生活の安定や人間的な成功のほうが大切になってしまうのです。
 わたしたちはこういうことと戦わなければなりません。たいへんなことです。

 そのためにフランシスコ教皇が強調しているのは、神・キリストとの親しい交わり、そして人との深い交わりです。その意味で今日のミサのために選ばれた福音の箇所は意味深いと思います。
 有名な「互いに愛し合いなさい」という掟の箇所ですが、ここにあるのは、ただ愛しなさいという命令ではありません。
 「9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」
 「12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
 まず先に父がイエスを愛し、イエスがわたしたちを愛した、その愛があります。「わたしがあなたがたを愛したように」という、そのイエスの愛。その大きな深い愛に深く深く結ばれていなければ、奉献生活を生きることはできません。みことばをとおして、祈りをとおして、生涯かけてわたしたちは、この神との親しさ、イエスとの親しさを深めていくことが必要なのです。

 もう一つ、大切なことは「互いに愛し合う」の「互いに」です。わたしたちは神との交わりと同時に人との交わりに招かれています。修道者は共同生活をとおして、日々の姉妹たちとの交わりを経験します。あるいは使徒職の中でいろいろな人に出会います。それは決して簡単な人間関係ばかりではないでしょう。そこで「互いに愛し合え」と言われます。それは相手の中にキリストを見なければ無理なことです。人はすごく傷ついているかもしれない、歪んでいるかもしれない。それでも出会うすべての人の中にキリストの姿を見るのです。見えないのを相手のせいにしないように。見えないのは、わたしの目が曇っているからです。すべての人の中におられるキリストに信頼して、目の前の人と関わっていってください。
 奉献生活をとおして、神がシスター川鍋をキリストとの一致という最高の喜びに導いてくださいますように。



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