毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第30主日 赤堤教会でのミサ

20141026

久しぶりに普通の小教区の主日のミサ、いいですね。
以下、説教のメモです。

●年間第30主日 カトリック赤堤教会にて

 朗読箇所:出エジプト22・20-26、一テサロニケ1・5c-10、マタイ22・34-40

 ホミリア
 この10月に2週間かけて、バチカンでは臨時シノドス(世界代表司教会議)が開かれました。来年行われる本格的なシノドスのための議題を準備する集まりで、各国の司教協議会会長が参加することになっていたので、日本からは東京教区の岡田大司教が参加し、一昨日帰国しました。
 今年と来年のシノドスのテーマは「家庭」です。今回のシノドスの最終メッセージの内容は、大きく言って、伝統的な家庭を励ます内容だそうです。それは大切なことでしょう。イエスは結婚によって成立する新しい家庭の出発を祝福されました。カナの婚礼で、水をぶどう酒に変えた出来事の中にそのイエスの思いを感じることができます。結婚と家庭は祝福されるべきものです。特に今、さまざまな理由で家庭は困難な状況にありますので、家庭を大切にしようとして苦労している人々を励ますのは、司牧者として当然のことです。

 しかし、今回のシノドスでは議論のまとまらなかった問題もありました。主な問題点は次の3つだったそうです。
 1つは離婚者・再婚者の聖体拝領を認めるかどうか。
 もう1つは同性婚を認めるかどうか。
 さらにもう1つは同性愛の人を教会が歓迎するかどうか。
 同性婚、同性愛の人のことは日本の教会ではあまり問題になってきませんでしたが、離婚者・再婚者の聖体拝領の問題は、わたしたちにとっても身近で大切な問題だと思います。

 この問題について、カトリック教会はこう説明してきました。イエスは結婚について、「神が結び合わせたものを人は離してはならない」とはっきりと教え、離婚を禁じてきた。この聖書の言葉に解釈や議論の余地はない。結婚の絆は生涯解くことのできない絆であり、離婚したり、再婚したりすることは、神の掟に反する。別居の許可や、その上で民法上の離婚がゆるされることもありうるが、再婚者は罪の状態にあるのだから、原則的に聖体拝領はできない。この罪の状態から離れなければ、ゆるしの秘跡でもゆるしを与えることはできない。これにははっきりした教義上の根拠があり、どうにもならない。

 でもほんとうにそれでいいか。シノドス参加の司教たちは議論しました。議論の余地があると考えたのです。なぜか?それは今日の、福音の二つの掟から考えてみたらいいのではないかと思います。
 「全力を尽くして神を愛する」だけでなく、「隣人を自分のように愛する」これが一番の掟なのです。マタイ福音書の表現が、マルコ福音書以上にはっきりさせていることが2つあります。一つは、この2つの掟同士の関係です。直訳すれば、2つの掟は「似ている」と言われています。つまり、神への愛と隣人への愛は似ていて、切り離すことができないのです。神を愛することは隣人を愛することだと言ってもいいぐらい2つの掟は結ばれています。もう1つは、この2つの掟と他のすべての掟との関係。「律法と預言者」、つまり聖書のすべての教えは、この2つの掟に基づいているというのです。

 もし「神への愛」だけなら、神の掟を守ることが絶対に重要で、そこで人がどんなに苦しんでいても、かまわないことになる。これを原理主義といいます。イスラム原理主義というものが今、世界で問題になっています。神の名のもとに、テロや暴力を繰り返しています。原理主義者たちは、自分たちのことを、何よりも神を大切にし、神の教えに忠実に行っているのだと言うでしょう。もちろんそれはとんでもないことです。問題は、イスラム原理主義だけではありません。もしもキリスト教でも「神を愛しなさい」ということだけ強調していたら、これだけなら、原理主義におちいる危険があります。「神を愛しなさい」と同時に「隣人を愛しなさい」ということがセットになっている、これが大切なのです。

 そこから見たときに、「離婚、再婚した人は神の掟、教会の掟に反したのだから聖体拝領できません」これだけが教会の態度であっていいのか? という問いかけが生まれるのです。その人々を罪の状態だから聖体拝領できないと突っぱねるのではなく、その人たちこそ、神のいつくしみとゆるし、助けを必要と見て関わるべきではないか。だとしたらやはり議論の余地があります。来年のシノドスに向けての議論を見守りましょう。

 今日の第一朗読は、旧約聖書の中でも、もっとも古く成立した律法と言われる箇所です。そこでは貧しい人、弱い人を大切にすべきことが求められています。その根拠は、神がその人々の「叫びを聞く」からです。神はエジプトで奴隷状態にあったイスラエルの人々の叫びを聞いて、救い出してくださった。これが旧約聖書の根本にある救いの体験、神との出会いの体験です。「だから、あなたがたも苦しむ人の叫びに耳を閉ざしてはならない」これが旧約の律法の核心です。その前提にあるのは神の愛なのです。今日の福音の2つの掟の前提にも、ひとり子を与えるほど世を愛された神の愛があります。

 第二朗読には、「生けるまことの神」という言葉があります。「偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになった」(9節)。「生ける神」とは、人間を生かし、人間を愛し、人間とともに歩んでくださる神です。正義と公平をもって人間を導き、人間に正義と公平を求める神です。そのために、罪を犯したとしても見捨てることなく、ゆるしの恵みを限りなく注ぎ、罪から立ち上がらせてくださる神です。
 この神のいつくしみと愛にいつも立ち帰り、いつもそこから歩み始めることができますように。アーメン。


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| | 2014-10-29(Wed)11:17 [編集]