毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の降誕・夜半のミサ説教

2041225

Merry Christmas !
(写真は関口カテドラルのプレセピオです)

●主の降誕・夜半のミサ(イザヤ9・1-3, 5-6 テトス2・11-14 ルカ2・1-14) 
 2014.12.24 22:00 東京カテドラル関口教会での説教

 クリスマスはイエス・キリストの誕生の祝いです。一人の男の子が生まれたということをお祝いするのは、誰にとっても分かりやすいことでしょう。特に大人になって偉大な人になったイエスという方の誕生をお祝いするのであれば、クリスチャンであろうとなかろうと何となく分かりやすいお祭りだろうと思います。
 しかし、キリスト教は、クリスマスをただ単に偉大な一人の人間の誕生日として祝うのではありません。神のひとり子が人類の一員となったということを祝うのです。ただ「誕生」ではなく「降誕」と言いますし、「神が人間になった」とか、「みことばが受肉した」とか、この方こそ、「わたしたちと共にいる神=インマヌエル」だとかと表現してきました。分かりにくいですね。

 今日わたしたちが見つめているのは、飼い葉桶に寝かされた赤ん坊のイエスです。神がこんなに小さく無力で、こんなに貧しい姿になるなんて信じられるでしょうか。幼子イエスに特別な力はありません。寝返りを打つこともできず、ミルクが欲しくても、お尻が汚れて気持ち悪くても泣くことしかできない、本当に無力な赤ん坊でした。他の子と同じように、ほうっておいたら一日も生きていくことのできない、そんな幼子としてイエスも人生を歩み始めたのです。

 ある動物学者は「人間はすべて未熟児として生まれてくる」と言いました。他のほ乳類は生まれて何時間も経たないうちに歩き始めるのが普通なのに、人間は生まれてから半年以上経ってようやく四つん這いで歩き始める。他の哺乳類並みになってから生まれてくるとしたらあとまだ半年は母親の胎内にいなければならないことになる。だからある意味ですべての人間は未熟児として生まれてくる、ということになるのだそうです。どんな人も例外なく、手厚く世話されなければ一日も生きていけないものとして人生をスタートさせました。先日読んだある文章では、人間は人生最初の2年間は24時間365日の介護を受けなければ死んでしまう、とありました。わたしたちが生きているということはとんでもない介護のおかげなのです。イエスもまったく同じでした。

 愛されて愛されてわたしたちは生きてきました。それは何のため?
 いつか成長して人に頼らず生きていくため? 誰の世話にもならずに生きていくことが人生の目標でしょうか? 後は自分にとって役に立つかどうかで人を見ればいい? 役に立たない人間はどうなってもかまわない?

 そうではない。人が人生の最初から愛されて愛されて生きてきたのは、人を愛するようになるためです。イエスの人間として生き方がそのことをはっきりとわたしたちに教えてくれました。イエスはすべての人を愛し、特に貧しい人、苦しむ人、弱い立場の人とともに歩み、その人々の重荷をともに荷ない、最後はすべての人のためにご自分のいのちを差し出しました。そこに本当のいのちが輝いている。これこそが神の子としての生き方であり、人間として本当の生き方なのだ。神はそのようなものとして人間をお造りになり、そのように生きるよう、すべての人を招いておられる。神が愛そのものであるように、わたしたちも神の子として愛するものになること、これが神の人間に対する思いなのです。そして神は人間に向かってその思いをただ言葉で伝えたのではないのです。この神の思いが、具体的な一人の人間の姿となって現れた、これこそがイエス・キリストという方だとキリスト者は信じているのです。

 わたしたち人間は不完全です。不十分にしか愛することができません。自分の愛の足りなさを思えば、泣きたくなります。でも、イエスはそのわたしたちと同じ人間になってくださいました。わたしたちは皆、ベトレヘムの飼い葉桶の中のイエスと同じように人生の旅を始めました。そしてイエスと同じように愛することに向かって成長していきます。不完全でも、生涯そこに向かって成長して行くことができるのです。

 クリスマスはわたしの存在がどれほどかけがえのないものであるかを確認する日です。そして、わたしにとって「あなた」の存在がどれほどかけがえのないものであるか、あなたがいてくれることがどれほど素晴らしいことであるかを確認する日です。さらに地球上のすべての人が、だれ1人例外なくかけがえのない存在であることを確認する日です。テロの標的にされた子どもたち、人身売買の対象になっている子どもや女性、虐待されたり、暴力を受けたりしている人たち、いじめをうけている人たち、誰からも相手にされず、孤独のうちに見捨てられている人たち。神のひとり子が、人類の一員となったことを祝うのですから、その人々がどれほど大切な存在かを思わずにいられません。

 そこからクリスマスのもう一つの大切なテーマが出てきます。それは「平和」です。第一朗読では生まれる子どもが「平和の君」と呼ばれました。福音では天使たちが「天に栄光、地に平和」と歌いました。本当にわたしの存在、あなたの存在、そしてすべての人の存在の素晴らしさを感じたときに平和が訪れます。現実は? 平和からほど遠い世界。いやどんどん平和から遠ざかって行く世界と感じられるかもしれません。それでも今日、わたしたちはイエスが誕生したあの夜から、確かな平和への道が始まったのだと信じます。闇が光に勝つことはできない。憎しみが愛に勝つことはできない。そう信じて、平和への道をイエスとともに歩むことができますように、心を合わせて祈りましょう。



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