毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

神の母聖マリア ミサの説教

20150101

●神の母聖マリア
 (民数記6・22-27 ガラテヤ4・4-7 ルカ2・16-21)
 2015.1.1 0:00 関口カテドラルにて

・ミサのはじめに
 あけましておめでとうございます。元日ですが、同時に主の降誕八日目、神の母聖マリアの祭日。お生まれになった幼子イエスの光の中で、聖マリアとともに新年を迎える。また、パウロ6世教皇の呼びかけで始まったカトリックの「世界平和の日」。すべての人に平和が実現しますように祈りましょう。

・ホミリア
 この深夜のミサに集まったわたしたちは、新しい年を祈ることから始めようとしています。今日の3つの朗読から祈りのヒントをいただきたい。
 まず、第二朗読。使徒パウロのガラテヤへの手紙。パウロはここで神のひとり子が世に来られたことの意味を語っています。それはひとり子が与えられて良かったね、というだけでなく、ひとり子がわたしたち人類の一員となることによって、わたしたち皆が神の子とされたのだ、と語るのです。
 この幼子イエスをおとして神のほうがわたしたちに近づき、わたしたちの現実の中に入って来られ、わたしたちと共に歩んでくださる方になった。イエスは本当にわたしたちの兄弟となってくださった。そのことを深く受け取るとき、わたしたちはイエスの父である神を、わたしたち自身の「父、お父さん、アッバ」と呼ぶことができるのです。わたしたちはそういう神の子としていただいた。それはイエスが世に誕生したから言えることなのです。
 ひとり子を与えてくださった神への信頼を込めた「アッバ、父よ」という呼びかけ。これがわたしたちの祈りの基本にある姿勢です。それはどんなときも決してわたしたちを見放さず、どんなときもともにいてくださる神への信頼です。その信頼をもって祈りたい。

 次に福音書のマリアの姿を思い浮かべましょう。
 わたしたちには思い通りにならないことがたぶんたくさんあります。予想もしていなかったこと、理解に苦しむようなこと。でもそれはマリアも同じだったのです。マリアは救い主の母となる、と天使から告げられていました。でも、それがまさか旅先での出産になるとは。しかもベツレヘムの町の人々から拒絶され、その救い主を家畜小屋のようなところで生むとは、およそ想像できなかったでしょう。幼子の誕生を祝うために駆けつけたのが、貧しい羊飼いだけだったということも理解に苦しむことだったでしょう。そのときマリアは「心に納めて、思い巡らしていた」とあります。出来事を、神とのつながりの中でどう受け取ったらよいのか。マリアにとっても分からないことだらけだったかもしれません。でも、心に納めて、思い巡らすのです。マリアはきっとその中で、神の働きに気づいていったはずです。そして感謝し、賛美することができるようになっていったのでしょう。わたしたちもマリアと同じように、あらゆる出来事を心に納め、思いめぐらすことに招かれています。辛い体験の中で、その中で働いておられる神に出会い、賛美と感謝することができるように。

 第一朗読は、民数記に伝えられる旧約の祭司の祝福の言葉です。
 ここでは、神が祝福してくださるように、神が平和を与えてくださるように、と祭司が語っています。
 これは今日のわたしたちの祈りでもあります。旧約の民も、新約の民も祭司の民と言われます。わたしたち皆が祭司として、すべての人の上に神の祝福と神から来る平和を願う役割をいただいています。もちろん、わたしたちそれぞれにさまざまな願い事があるでしょう。でも共通の願いとして、やはりこのことを今日、特に祈りたいと思います。
 この世界の現実は? フランシスコ教皇が世界平和の日のメッセージで述べられているように、人を人として扱わず、まるでモノのように扱う、奴隷として扱う、とんでもない人権侵害が世界各地で起こっています。祝福とは本当に一人一人が神の子として尊重されること。そのことを祈りたいと思います。そして平和を祈りたいのです。格差と排除と暴力の世界ではなく、神から来る平和がすべての人の上に実現しますように、年の始めにあたり、心を合わせて祈りましょう。

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