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カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖心侍女修道会 終生誓願式ミサ

10月2日(土)にシスター・セシリア大河内妙さんの終生誓願式がありました。
昔から知っていたシスターなので、わたしが司式を頼まれました。

シスター大河内のための祈りを込めて、説教原稿を掲載させていただきます。

第一朗読:出エジプト16章抜粋(荒れ野でのマナ)
第二朗読:1コリント11:23-26(主の晩餐の制定)
福音朗読:ヨハネ6:1-13(5000人にパンを分け与える)

 聖心侍女修道会には目に見える特徴として、教育活動や貧しい人のための社会的な活動があります。その活動の根本にあるのは、聖体礼拝です。聖体のイエスを見つめ、その愛を深く味わい、その愛を伝えること。イエスの愛に応え、イエスの愛を生きること。これがこの会の特別な霊性です。
 その聖心侍女修道会のシスターとして生涯をささげる終生誓願式で、シスター大河内は、聖体に関連した箇所を選びました。たぶんこの3つの箇所を一緒に味わうことが、彼女に対しての一番のプレゼントになると思います。

 第一朗読は、旧約時代、イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放され、約束の地を目指して荒れ野の旅をしていたときのことです。荒れ野は必要最低限の食べ物にも事欠く厳しい場所ですが、神は天から「マナ」という不思議な食べ物を降らせて民を養ったと伝えられています。このマナには不思議な特徴がありました。「翌日まで取っておくとダメになって食べられなくなる」というのが一つの特徴。もう一つは、「多く集めた人も余ることなく、少なく集めた人も足りないことがなかった」ということ。神がすべての人に、日々、必要なものを与えてくださる、ということですね。荒れ野は厳しいところですが、その中でこそ、神とのつながりが実感され、同時に人と人とが分かち合って生きる世界が実現していたと言えます。その後、イスラエルの民は約束の地に入り、定住生活を始め、農耕をして作物を蓄えるようになります。そうすると、今日、神に頼らなくても自分たちの蓄えがあると考えて神を忘れ、多く蓄えた人と持ち物の少ない人の格差がどんどん広がっていきます。そして、そこから荒れ野の生活を振り返って、あれが原点だったと思い出すのです。神の助けなしには1日も生きていけなかった。厳しかったけれど、皆が助け合って生きていた。それがわたしたちの原点ではないか。それは、今のわたしたちの生き方への問いかけでもあると思います。

 第二朗読は、新約聖書で、イエスが聖体の秘跡を制定したことについての最も古い記録です。パウロがコリントの教会にあてた手紙の11章が読まれました。パウロはここで、パンについても杯についても、「わたしの記念としてこれを行いなさい」というイエスの言葉を繰り返しています。聖体が「キリストの記念、ご自分のすべてを人々に与えつくしたキリストの十字架の愛の記念」であることを強調するのです。当時コリント教会に、他の人が食べるものがなくてもそれに無関心という現実がありました。分裂や仲間争いという現実もありました。それだから、パウロは、彼らがいつも行っていた集会「主の晩さん」と呼ばれた集いを思い出させて、それは「あのキリストの十字架の愛の記念だ」というのです。キリストの愛を記念し、その愛に結ばれて生きる。これもわたしたちにとっての永遠のテーマです。

 福音は、イエスが5つのパンを5000人の人に分け与え、皆が満腹したという話です。イエスは、「パンを取り、感謝の祈りを唱え」ます。このパンを、ただ偶然目の前にあるパンではなく、神からいただいたものとして受け取るのです。そしてパンを裂いて、「そこに座っている人々に分け与え」ました。それは神からの恵みを独り占めしないで、みなで分かち合って生きるということを表しています。マナの意味に通じますが、聖体にはこの意味もあります。
 シスター大河内が注目したのは、このヨハネ福音書でイエスご自身がパンを分け与えたというところだそうです。そのように、自分もイエスの愛を人々に手渡したい、と感じたそうです。
 「手渡す」というのはいい言葉、温かい言葉だと思いました。

 創立者の聖ラファエラ・マリアの姿を思いだします。彼女は修道会を作る前に、姉と一緒に病人を訪ね、病人に触れ、その手を握っていた、また、貧しい人に必要なものを手渡していたそうですね。そこには本当に心のぬくもりが感じられます。シスター大河内、どうかその温もりを、神の愛の温かさを「手渡しで」伝えるシスターとして、生涯歩んでください。手渡しのイメージでもう1つ思い出したことがあります。聖ラファエラ・マリアは、共同体を5本の指にたとえ、それが一致して、ものをしっかりとつかむことができるということを書いていますね。このイメージも大切でしょう。「手渡す」ことは一人ですることではなく、この共同体の一致の中で「手渡して」いくのだ。そのこともずっと大切にしてください。

 ラテン語に「traditio」という言葉があります。「伝統」と訳される言葉ですが、もとは「trado/tradere=手渡す」という言葉から来ています。伝統というのは古臭い、過去のもの、硬直したものではなく、人から人へと手渡されてきたものなんです。わたしたちは2000年のキリスト教の伝統(traditio)の中に生きています。シスター大河内が、キリスト教の中でずっと手渡されてきたもの、聖心侍女会の歴史の中で手渡されてきた良いものを、本当に多くの人に、次の世代へ手渡していくことができますように。神の守りと導きがシスター大河内の上にありますように。心を合わせて祈りながら誓願式を進めましょう。


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