毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

大浦天主堂献堂150年

 幕末の安政五カ国条約によって長崎が開港したのは1859年のことでした。長崎には外国人居留区が設けられ、そこに大浦天主堂が献堂されたのは、1865年2月19日。この教会は居留地のフランス人のための教会であり、決して日本人に対するキリスト教禁教令が廃止されたわけではありませんでした。献堂間もない3月17日、十数名の日本人男女が大浦天主堂を訪れ、プティジャン神父に「わたしたちは皆、あなたと同じ心です」と、キリスト教の信仰をもっていることを告げました。この日は「信徒発見」と呼ばれていますが、200年以上、厳しい禁教の下、1人の司祭もいない中で信仰を受け継いできた潜伏キリシタン信徒にとってみれば、「神父発見」の日だったと言えるでしょう。
 この記念日は四旬節中にあたり、これまで任意の記念日として祝われてきましたが、今年2015年から「日本の信徒発見の聖母」という日本固有の祝日として、日本の教会全体で祝われることになりました。教会の祈りの「読書」第二朗読には、この信徒発見を伝えるプティジャン司教の手紙が採用されています。


教会の祈り 読書

第二朗読
ジラール神父にあてたプティジャン神父の手紙
わたしたちの心はみな、あなた様の心と同じでございます

敬愛申し上げる神父様
 心からお喜びください。わたしたちのすぐ近くに、昔のキリシタンの子孫がたくさんいるのです。彼らは、わたしたちの聖なる信仰についての記憶を大切に心に留めているようです。まずわたしに、この感動的な出会い、自ら目の当たりにし、こうした判断を下すに いたったこの出会いを簡単に物語らせてください。
 昨日の十二時半ごろ、子どもを交えた十二名から十五名ほどの男女の一団が天主堂の扉 の前に立っていました。単なる好奇心で来た人たちとは振る舞いが違っている様子でした。 天主堂の扉は閉まっていましたので、わたしは急いで扉を開き、内陣の方に進んで行くと、 この人たちも後からついてきました。一か月前にはじめてあなたがわたしたちにお与えくださり、いつの日にか現れるかもしれないキリシタンのために、わたしたちが聖体の形態のもとに聖櫃の中に大切に安置しておいた神なる主の祝福を、わたしは彼らの上に心から 祈り求めました。
 わたしは救い主のみ前にひざまずいて礼拝し、周囲にいるこの人々の心の琴線に触れ、 この中から主を礼拝する者を主のみもとに引き寄せることのできる適切なことばをわたし の唇にお与えください、と懇願しました。ほんの一瞬祈った後でしょうか、四十歳か五十歳ほどの一人の婦人がわたしのそばに来ると、胸に手を当てて申しました。「ここにおりますわたしたちの心はみな、あなた様の心と同じでございます」と。「ほんとうですか」とわたしは答えました。「あなたがたはどちらの方ですか」。「わたしたちはみな、浦上の者でございます。浦上ではほとんどみな、わたしたちと同じ心をもっております」。そして、すぐにその同じ人がわたしに、「サンタ・マリアのご像はどこ」と尋ねました。「サンタ・マリア」、このめでたいみ名を耳にして、わたしにはもう疑う余地がありません。わたしの目の前にいるのは、まぎれもなく日本の昔のキリスト信者の子孫なのです。わたしはこの慰めを神に感謝いたします。
 わたしは、このいとしい人々に取り囲まれ、促されて、彼らを聖母の祭壇へ、あなたがフランスからお持ちくださったあのご像が安置してある祭壇へと案内しました。彼らはみ な、わたしにならってひざまずき、祈りを唱えようとしていましたが、あふれる喜びに耐えきれず、聖母のご像を仰ぎ見ながら、口をそろえて、「ほんとうにサンタ・マリア様だ。 見てごらん。御腕に御子ゼスス様を抱いていらっしゃる」と感嘆の声を挙げました。そして、すぐにその中の一人が申しました。「わたしたちは、霜月の二十五日に、御主ゼスス様のご誕生のお祝いをいたします。御主は、この日の真夜中ごろに家畜小屋の中でお生まれになり、貧しさと忍耐のうちに成長され、御年三十三歳の時、わたしたちの魂の救いのために十字架にかかってお亡くなりになりました、と聞いております。今は悲しみの季節(悲しみ節)です。あなた様方にもこのような祝祭日がおありでしょうか」と尋ねるので、「そうです。今日は悲しみ節の第十七日に当たります」と答えました。わたしは、この「悲しみ節」という言葉をもって、四旬節のことを言いたいのだとわかりました。
 この善良な参観者たちが、聖母マリアのご像を見つめて感動したり、わたしに質問をしたりしている間に、ほかの日本人たちが天主堂に入ってまいりました。わたしの周囲にいた人たちは、たちまち四方八方に散りましたが、すぐにまた戻ってきて、「まったく心配する必要はございません。彼らはわたしたちの仲間で、わたしたちと同じ心の者でございます」と申しました。
 わたしは、天主堂を参観するいろいろな人が絶え間なく往来するのに妨げられて、この 参観者たちと思うように話をすることができませんでした。けれども、浦上のわたしたち のキリスト信者――今日からわたしは彼らをこのように呼びたいのです――との間で、彼らが出直してわたしたちに会いに来るという申し合わせをしました。彼らが何を保ってきたのか、少しずつ確かめることにいたしましょう。彼らは十字架を崇め、聖なるおとめマリアを大切にし、祈りを唱えています。しかし、それがどのような祈りなのか、わたしにはわかりません。そのほかの詳しいことは、近日中にお知らせ申し上げます。
一八六五年三月一八日 長崎にて
         日本の使徒座宣教師 ベルナール・プティジャン



PageTop