毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

玉川通宣教協力体合同堅信式

今週は特別臨時司教総会ほか、会議だらけの1週間でした!

10月3日(日)に三軒茶屋教会で行われた、渋谷、三軒茶屋、瀬田の3教会合同の堅信式の説教を載せておきます。

年間第27主日 福音:ルカ17・5-10

 先週、この福音の箇所を読んでいて、「畑を耕すか羊を飼うかする僕(しもべ)」という言葉に目がいきました。何度も読んでいたのに、特に注意したことのない言葉でした。「羊を飼う僕」それはわたしのことじゃないか。教会で司祭は羊飼いだと言われます。司教はもっと羊飼いであるはずです。よき羊飼いであるイエスにならって羊の世話をするのが羊飼いです。どんな世話でしょうか。一番大切なのは、弱った羊、迷っている羊を大切にすることです。羊の群れを1つにするというのは、ルールを作って管理して上から押さえつけて1つにするのではなく、本当に一人一人を大切にすることによって1つにするのです。これが聖書の中の羊飼いの意味です。別な言葉で言えば「愛を生きる」ということになります。この羊飼いの仕事は教会全体の使命でもあります。

 「畑を耕す僕」これは何のことでしょうか?福音書の中にそれほど出てこないイメージだと思いました。でも種まきのたとえ話があります。それについて、昔ある本で読んだことがあります。イエスの時代の種まきは今と違う。今は畑を耕してから種を蒔くけれど、イエスの時代のパレスチナでは、種を蒔いて、それから畑を耕すのだ。ミレーの「種まく人」のイメージですね。そして掘り起こすように耕して、種を地中深くに入れる。そうしないと乾燥したパレスチナでは根が干上がってしまうのだそうです。そうだとするとこの「畑を耕す」というのは「種をまく」こととつながっている。もちろん、「み言葉の種をまく」ととったらいいでしょうし、それも司教、司祭。そして教会全体の使命です。

 さてこの僕たちは、これらの仕事を終えて帰って来て何にもしないかというと、夕食の用意をして、食卓の給仕をすることになります。これはミサのイメージにつながりませんか。わたしたちは一週間の生活を終えて、仕事や活動を終えて、家で寝ているんじゃなくて、こうしてミサに来て、神様に賛美と感謝をささげるんです。その感謝の食卓をみなで囲み、仕え合うんです。

 何を言いたいんでしょうか。わたしは、そんなイメージを感じたときに、「わたしたちは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」というこの僕の言葉が実感として分かるようになったんです。
 わたしたちは福音を伝えたいんです。本当に一人一人を大切にする愛を生きたいんです。そして心から神に感謝し、神を賛美したいんです。それは義務だから仕方なくしていることじゃなくて、本当にわたしたちが神様から与えられたすばらしい使命であり、わたしたちの生きている意味はそこにあり、だから、それをすることは当然出し、本当はすごい喜びなんです。
 押し付けてますかね?
 でも皆さんにも少しでもそう感じてほしいんです。
 福音を伝えること、キリストの愛を生きること、共に感謝と賛美の祈りをささげること。これが教会の使命です。きょう堅信の秘跡を受ける人は、この教会の使命に積極的に、自覚を持って参加することになります。
 そのことがどんなに素晴らしいことか、どんなに深い喜びをもたらしてくれることなのか、ぜひ深く感じながらキリスト者として歩んでいってほしいと思います。

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