毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

この先は明るい!

豊多摩北宣教協力体合同堅信式の説教です。
2010.10.17志村教会にて

 先週、全世界と感動と喜びで満たしたのは、チリの鉱山労働者救出のニュースでした。銅鉱山の落盤事故で、地下700メートルに閉じ込められた33人の男たちが全員無事に救出されました。その中のアリエル・ティコナさんという人の赤ちゃんは、お父さんが閉じ込められていた9月14日に生まれ、「エスペランサ」と名づけられました。「エスペランサ」はスペイン語で「希望」の意味です。エスペランサちゃんの名前を聞いて、チリのニュースを見ながら、「希望」ということを考えています。
 チリで地下に閉じ込められた33人の人は希望を持っていました。8月5日に事故が起きてから、17日間はまったく地上との連絡がとれませんでしたが、33人は心を合わせて祈ることができました。17日目に地上と交信することができるようになってからは、世界中が自分たちの救出に力を合わせていることを知りました。家族や友人や世界中の人が自分たちのために祈っていてくれているのを知りました。だから希望を持つことができたのだと思います。この希望の力はすごいことだと感じました。
 
 世界幸福度ランキングをいうのがあるそうです。「あなたは自分が幸福だと感じますか」というアンケートなどをもとにしたランキングのようです。1位はデンマーク、2位はスイス、3位はオーストリア。日本はというと90位でした。どう思いますか。自殺の問題もあります。世界的に見て自殺率が高いのは、ロシアや東ヨーロッパの国で、ワースト5までが全部それらの国です。それに続く世界第6位が日本なんです。日本は経済的には世界の中でよいほうですね。医療も充実しています。福祉だってまあまあです。なぜでしょう?理由の1つは、希望の問題じゃないかと思います。
 「希望」ってなんでしょうか?希望ってなんとなく分かりますよね。でも、説明しろといわれると難しい。今日はルイ神父さんから中学生に向けた話をしてくださいと言われたので、どう説明したらいいか考えちゃいました。わたしは「この先は明るい」と感じることだと言ったらいいかなと思っています。「この先は明るい」って感じられますか、皆さん? なんか日本人の多くは「この先明るい」って感じられていないなんじゃないかと思うのです。
 
 きょう堅信の秘跡を受けられる皆さん、皆さんは堅信の秘跡を受けて、聖霊をいただきます。聖霊は目に見えない神の力です。それはわたしたちにどんなふうに働く力でしょうか。
 きょうの聖書朗読や「聖霊来てください」という歌は、聖霊の豊かな働きを表現しています。罪を清め、新しい心を与え、愛と喜び、平和の実を結ばせる。神様はその聖霊を送ってくださり、聖霊をとおしてわたしたちとともにいてくださる。だからわたしたちは決して孤児ではない。これが聖霊の働きの約束です。別な言葉で言えば、聖霊をいただいて、だからわたしたちは「希望を持つことができる」とも言えるんじゃないでしょうか。
 どんなに辛いことがあっても、「この先は明るい」って思える力は神様から来ます。人間関係がうまくいかないこともあります。お金がなくて困ることもあります。病気になることもありますし、死ということに直面することもあります。そんなとき「この先は真っ暗だ」って思うのが当然かもしれません。でも、わたしたちはいただいた聖霊によって、「それでもこの先は明るい」と思うことができるのです。
 パウロの言葉にこういうのがあります。「希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5・5)
 聖霊によって、わたしたちの心に神の愛がしっかりと注がれ、わたしたちがそれを受け止めたとき、そこから希望が生まれるのです。
 どうか、堅信を受ける皆さんが、希望の人になれますようにと祈ります。そしてその希望を人に伝えることができますように、心から祈ります。難しいですか?

 先週わたしは「きぼうのいえ」というところに行ってきました。台東区の山谷というところにあります。この町は以前、日雇い労働者の町でした。多くの人は年をとって、生活保護を受けて安いアパートに住んでいる人もいます。路上で生活している人もいます。「きぼうのいえ」は山谷のホスピスのようなところです。ガンなどでもう治らない病気になった人が最期を迎えるところです。山谷のおじさんたちは、ほうっておけば最期、路上で、あるいは安アパートで誰からも見取られす、誰にも知られずに死んでいくです。そうではなく最後まで大切にお世話しようというのが「きぼうのいえ」でした。
 まわりのおじさんたちは最初、「そんなところの世話になんかなりたくない」って言っていたそうです。でも、きぼうのいえで人がなくなると、黒い霊柩車が来て、みんなに送られて、そこから出棺します。それを見てまわりの人は変わったそうです。「おれたちでもこんな最期を迎えることができるのか」。そう思って、病気になってから「きぼうのいえ」に入ることを望んだ人がいました。その人は人生の最期を病院ではなく、きぼうのいえで迎えることを望みました。「死んでいくのが楽しみだ」と言って、おだやかに死を迎えたそうです。彼はきっと「この先明るい」という希望をこの世の人生で見つけたんでしょうし、さらに死に臨んでもなお、死を越えてもなお「この先明るい」という希望を見つけたのではないかと思います。希望は伝わったんですね。

 わたしたちの周りには、希望を見失っている人がおおぜいいます。孤独な人、いじめられている人、辛い思いをしている人、病気の人・・・。一声かけるだけでもいい。話を聞いてあげるだけでもいい。その人と一緒にしばらく時を過ごすだけでもいい。そうしたらわたしたちは希望を伝えることができると思います。
 堅信を受ける皆さんが、信仰と希望と愛を豊かに生きる人になりますよう、願いながら堅信式を行いたいと思います。

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コメント


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はじめて知りました

今まで「希望の家」のことを全く知りませんでした。
そんな場所があったのですね。
マザー・テレサの活動とリンクしました。

そういう場所があると知ってなんだかほっとしましたし、そういうところがあるだけでも希望だと思いました。
こんな御時世では自分もどうなるかわかりませんし。

人間の尊厳を持って死に行くことがどうしてこんなにも難しくなっているのだろうかと思います。

えりたん | URL | 2010-10-20(Wed)10:44 [編集]


Re: はじめて知りました

えりたんさん、コメントありがとうございました。
返信、遅くなって申し訳ありません。

そうなんです。施設長の山本雅基さんという人は、コルコタの「死を待つ人の家」のようなものを山谷に作ろうとしたそうです。

ほんとうに今の日本で、人間らしい生活をおびやかされている人の多さを感じています。

幸田和生 | URL | 2010-11-08(Mon)14:22 [編集]


いやぁ、希望や愛など自分には無縁なものだと割り切った方が、僅かなりとも生きるの楽になります。

森信成 | URL | 2010-11-11(Thu)18:49 [編集]