毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

荻窪教会堅信式ミサ

2015年10月18日 荻窪教会堅信式ミサ
13人の方が堅信の秘跡をお受けになられました。(写真撮るの忘れました!)

年間第29主日(マルコ10・35-45)
ホミリア
 この教会では今日、堅信式が行なわれますが、全世界のカトリック教会では「世界宣教の日」にあたっています。今日は教会の宣教活動について考え、宣教活動のために献金をささげる日です。特に今年は第二バチカン公会議が終わって50年という年で、その最後の年に『教会の宣教活動に関する教令』が発表されてちょうど50周年にあたっていますので、そのことを記念するようバチカンから全世界の教会に呼びかけられています。

 宣教って何でしょうか? 英語では今日の日曜日をWorld Mission Sundayと言います。宣教と訳しますが、元はmissionという言葉。普通は「任務」とか「使命」と訳します。元々の意味は「派遣、神に遣わされること」を表す言葉でした。イエスさまは弟子たちを派遣して、福音を告げ知らせるように命じましたから、教会ではmissionは「福音を告げ知らせること」というのが当たり前のことになりました。だからmissionを「宣教」と訳してしまうのです。でもそれは決して「教えを宣べる」ことだけではありません。
 『教会の宣教活動に関する教令』の中では、言葉で福音を告げるよりも前に「あかし」ということが語られています。言葉ではなくまず生き方なのですね。わたしたちの生き方がキリストの生き方を現しているかどうか?そこが本当に問われるわけです。当然のことですね。
 ではイエスさまの生き方とはどういうものだったのか?

 今日の福音にはイエスさまの生き方が、イエスさまご自身の言葉ではっきりと表現されています。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」これがイエスさまの生き方でした。本当にすべての人を大切にしてくださった、自分のすべてをささげ尽くすほど人を愛した、それがイエスさまの生き方でした。十字架の死はそういうイエスさまの生き方の頂点だと言えます。イエスさまはなぜそのように生きられたのでしょうか?
 イエスさまが福音を告げ知らせる活動を始めるとき、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。そのとき、天から声がしました。
 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
 イエスさまが受難の道・十字架の道を歩み始めたとき、高い山の上でイエスさまの姿が変わり、光り輝いたという話があります。そのときも天からの同じ声がありました。
 「これはわたしの愛する子、これに聞け」
 イエスさまにとって、本当に父である神に愛されているということがあったから、だから神の計画に自分を委ねることができた。だからすべての人を愛することができた。きっとそうに違いありません。
 わたしたちも同じ道に招かれています。本当に神さまの愛を受けて、人を愛することのできる者になる。このイエスさまの生き方に近づくようにわたしたちは呼ばれているのです。

 大丈夫? できますか?
 そのために今日の堅信式があります。堅信は聖霊を与える秘跡です。聖霊は神さまから与えられる力です。何のための力、わたしたちが愛するための力です。わたしたちがイエスさまの生き方をあかしするための力です。
 今日、堅信を受ける小学生、中学生、高校生の6人の方からの手紙が届きました。皆さん、堅信の準備で神さま・イエスさまのことを学んで、それぞれに真剣に堅信の秘跡を受けようとしていることが分かりました。それを読んでわたしもすごく励まされました。
 どうかこれからもずっとイエスさまと一緒に歩んでいってください。

 そのために3つのことをお願いします。(大人の方も同じです)
 まず第一に聖書を読むこと。特に福音書を繰り返し読んでください。『聖書と典礼』の裏には毎日のミサで読まれる聖書の箇所が載っています。せめて福音書だけでもいいですから、読んでください。イエスさまがどのように生きられたのか、そのことをいつも思い出していってください。
 第二に祈ること。ただ2000年前のイエスさまのことを知るだけじゃなくて、今日、わたしたちが神さまとつながっていること、イエスさまとつながっていることを深めるために、どうしても祈らなければなりません。毎日です。毎日ちょっとの時間をとって神さまに感謝し、祈ってください。わたしたちの生活が神さまとのつながりの中にあるということを忘れないために、祈ることはどうしても必要です。祈らないキリスト信者というのはありえません。祈りを忘れないでください。
 そして第三に、信仰の仲間を大切にすること。わたしたちは皆、ほとんどイエスさまのこと・神さまのことを知らない人たちに囲まれて生活しています。学校でも職場でも近所でも、神さまなんかいないのが当たり前、という世界に生きています。だからこそ、教会の仲間、信仰の仲間が大切です。「それでもやっぱり神さまいるよね!」「信じて、愛して生きることは決して無意味じゃないよね!」そう言い合える誰かが絶対に必要です。ですから今日一緒に堅信の秘跡を受けた仲間、それだけでなく、教会の仲間・信仰の仲間を大切にしてください。

 「聖書と祈りと信仰の仲間」。皆さんも忙しさにまぎれて忘れるかもしれない。でも神は放蕩息子のお父さんのようにいつも待っていてくださいます。何度でも何度でも思い出して帰ってきてください。では堅信式を行ないましょう。



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