毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

自死された方々のためにささげる追悼ミサ

20151114

●自死された方々のためにささげるミサ
 2015/11/14聖イグナチオ教会にて

第一朗読:ヘブライ人への手紙4・14-15, 5・7-10
福音朗読:ルカによる福音書23・32-33, 39-43

ホミリア
 第一朗読としてヘブライ人への手紙の中の言葉を読んでいただきました。
 イエス・キリストを大祭司と呼ぶ、聖書の中でもとっつきにくい文書だと思います。エルサレムの神殿でいけにえをささげていたのが祭司たちですが、その中でもっとも偉いのが大祭司です。キリストが大祭司だと言われても今のわたしたちにはピンと来ませんね。
 今日の共同司式司祭の中におられる澤田和夫神父が昔ある雑誌に書いた文章の中で、「祭司職の本質は橋渡しだ」と言っておられました。神と人との橋渡しをする。これが祭司の本当の、本質的な役割。いけにえをささげるとかよりもこちらが本質。イエス・キリストが大祭司であるとは、本当に神と人との間の橋渡しをしてくださったということ、そう言ったら少しピンと来るでしょうか。ヘブライ書を理解するために、この橋渡しという言葉はたいへん役に立つと思っています。

 ヘブライ書はまず、イエスと天使を比べます。天使は人間よりも神に近い。でも天使は肉体を持っていない。わたしたちの肉体、喜びや苦しみを感じる肉体がない。だから本当の意味で天使は神と人間の橋渡しにはなれない。そしてまた、エルサレムの神殿で仕えていた普通の人間である大祭司とイエスを比べます。大祭司は「自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができる」(ヘブライ5・2)と言います。わたしたちと同じ人間として、人々の苦しみや喜びにつながっている。それは大祭司の素晴らしい点です。しかし、その大祭司は神と完全につながっているとは言えない。どうしようもなく神から離れている面がある。それを聖書は「罪」と言いますが、罪ある人間として、神と完全にはつながっていない。だからエルサレム神殿の大祭司は本当の意味で神と人との橋渡しはできなかった。そしてまさに、その点がイエスの特別な点。イエスは人々と完全に一つにつながり、同時に神と完全につながっている。だから本当の意味で神と人との橋渡しになれた。これがヘブライ書がキリストを大祭司と呼ぶことの意味です。

 そういう中で今日読まれた箇所を味わってみましょう。
 「罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様の試練に遭われた」〜「罪がない」というのは「神との断絶がない」ということです。同時に本当に人間との断絶がない。そのキリストは「肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ…」とも言われます。
 ヘブライ人への手紙の別の箇所には、「イエスは人々を兄弟と呼ぶことを恥とされなかった」(2・11)という言葉があります。本当にわたしたちすべての者の兄弟になってくださった。そしてすべての弱さと苦しみ・試練を荷なわれた。ヘブライ書によれば、そこにイエスの愛と神に対する従順が示されているのです。

 ヘブライ人への手紙の大祭司としてのイエスの姿は、わたしたちの模範でもあります。わたしたちもまた、神とのつながりを精一杯生き、兄弟姉妹とのつながりを精一杯生きることによって、神と人との橋渡しの役割を果たすことができます。いや足りないことはいっぱいあるのです。本当に不十分にしかできないのがわたしたちです。それでもわたしたちが日々、キリストの恵みに励まされ、わたしたちなりに人と人とのつながりを大切にし、悩みや苦しみを少しでも荷ない合い、支え合いながら歩んでいく、兄弟姉妹としての歩みを続けることができれば、わたしたちもキリストの祭司職に少しはあずかることができるのです。そういう励ましも今日いただきたいと思います。

 今日、わたしたちは亡くなられた方のことを思ってここに集まっています。11月は死者の月と言われて、亡くなった方々のことを思う月ですが、今日は特に自死で亡くなられた方、わたしたちの家族でしょうか、友人でしょうか、知り合いでしょうか、その方々を神さまのいつくしみのみ手にゆだね、その方々が神さまのもとで安らかに憩い、神の永遠のいのちの喜びを味わうことができるように、信頼しながら祈ります。
 天におられる神の右に、わたしたちのすべての苦しみを、ともに担ってくださったイエスがおられます。その方はわたしたちの弱さに同情されない方ではなく、わたしたちの苦しみを知っていてくださり、わたしたちとともに涙を流し、わたしたちとともにうめき声を上げてくださる方です。

 十字架の場面で、イエスは自分の隣で同じように十字架にかけられていた人に向かってこう言われました。
 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
 その言葉をわたしたちは人生の最後に聞くことになるでしょう。わたしたち皆です。
特別に死にたいと思うほどの苦しみを感じてきたすべての人に向かってイエスはそうおっしゃってくださっていると信じます。
 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
 この言葉に信頼しながら、わたしたちに先立って逝った方々をいつくしみ深い神のみ手にゆだねて、このミサの中で永遠の安息を祈りましょう。


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