毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の降誕・夜半のミサ@関口カテドラル

20151224

⚫︎主の降誕・夜半のミサ
 (イザヤ9・1-3, 5-6/テトス2・11-14/ルカ2・1-14)
                     東京カテドラル関口教会
ホミリア 「小さなお兄さんイエス」
 イエス・キリストは2000年前、ユダヤのベツレヘムという町でお生まれになりました。その辺りは当時、ローマ帝国の支配下にあり、ローマの重い税金が課せられていた時代です。マイナンバーじゃないですけど、その税金を課すための住民登録が行われることになって、ヨセフは身重のマリアを連れてガリラヤのナザレからベツレヘムまでの旅を強いられ、その旅先でマリアは出産することになりました。宿屋に泊めてもらえず、家畜小屋のようなところでその子は生まれ、布にくるまれ、飼い葉桶に寝かされました。世界の片隅で起こった一つの貧しい家族の物語です。
 訪ねてきたのは、羊飼いたちでした。当時、羊飼いという職業はさげすまれた職業でした。草のあるところを求めて羊の群れを追って旅をし、夜は野宿をするという生活の人でした。町の人から見れば流れ者、あるいは野宿者。この羊飼いたちだけが、天使のお告げを受けて、幼子を探し当てたというのです(東方の博士たちはもっと後から来ました)。家畜小屋の飼い葉桶に生まれたばかりの幼子が寝ています。まわりにいるのはヨセフとマリア、牛とろば、羊飼いたち。本当に貧しい光景ですが、でもそこには愛といのちの喜びが輝いています。

 その光景を思い浮かべながら、ふと思い出した箇所があります。マルコ3・31-35。
 「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』」
 もちろん生まれたばかりの幼子イエスは、そんな言葉を言うことができません。でも幼子イエスはそう言っているように感じられないでしょうか。「見なさい、ここにわたしの兄弟姉妹がいる」イエスは成人して、神をすべての人の父と呼び、出会った人すべてを兄弟姉妹として大切にしました。イエスのまわりに集まってきた人は、貧しい人、病人、障害者でした。そのすべてをイエスは兄弟姉妹として受け入れました。

 新約聖書の中にヘブライ人への手紙という書がありますが、そこに「イエスは人々を兄弟と呼ぶことを恥としない」(2・11)とか「すべての点で兄弟と同じようにならなければならなかった」(2・17)というような表現が出てきます。
 今日、思い起こすイエスの誕生の物語はそのことを語っているのです。本当の意味でわたしたちの兄弟となってくださった。わたしたちの弱さも、貧しさも、苦難もすべてを共に担う方として来てくださったのだ、と。

 兄弟と言って、ピンとくるでしょうか? 皆さんには兄弟がいらっしゃいますか? 一人っ子で兄弟はいないという人もいるでしょう。兄弟はいるけれど仲が悪いとか、いるけど全然関係ないとかそういう人もいるかもしれません。いっぱいいすぎて迷惑だという人はあまりいないでしょうね。とにかく「兄弟」という言葉を聞いて思い浮かべるイメージは人によってずいぶん違うのかもしれません。
 わたしは兄が一人いました。3年前にすいぞう癌で世を去りました。59歳でした。合わない点もありましたが、子どものころから結構仲の良い兄弟でしたので、兄弟がいるということは素晴らしいことだと感じてきましたし、その兄弟を失うという寂しさも感じてきました。もちろん、兄弟喧嘩をしなかったわけではありません。喧嘩しない兄弟なんていないと思いますが、死んでしまうと思い出の中の兄弟というはただただなつかしい存在です。
 永遠の神のひとり子であるイエス・キリストはわたしたちの兄弟となってくださった。イエスが兄弟になってくださったということは本当に素敵なことだと感じます。

 旧約聖書の詩編はこう歌っています。
  「見よ、兄弟がともに座っている。
  なんという恵み、なんという喜び」(詩編133)
 わたしたちはみな神の子どもであり、兄弟姉妹なのです。どんな民族であろうと、どんな宗教であろうと、金持ちであろうと貧乏であろうと、社会的に強い立場であろうと弱者であろうと、高齢者であろうと若者であろうと、健康であろうと病人であろうと、あらゆる人が兄弟姉妹である。そのことをイエスは生涯をとおしてわたしたちに教えてくださいました。

 家族と一緒に暮らしている人は、今日はぜひ家族と仲良くしてください。イエス様の目から見れば、お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんもみんな兄弟姉妹です。そして今日は是非、世界中のすべての人と兄弟姉妹なんだということを思い起こしたいと願います。不幸な対立や憎しみを乗り越えて、すべての人が兄弟姉妹として生きることのできる世界を祈り求めましょう。
 小さな小さなお兄さんであるイエスに結ばれて。




PageTop