毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

元旦深夜のミサ

20160101

あけましておめでとうございます。
昨年はたいへんお世話になりました。今年もよろしくお願い申しあげます。

さて、母宅でお煮しめと卵焼きだけ作って、カテドラルに舞い戻り、
1月1日深夜0時のミサを司式させていただきました。
この時間に6人の侍者がいたのにはびっくり。さすが関口教会!

⚫︎神の母聖マリア
(民数記6・22-27/ガラテヤ4・4-7/ルカ2・16-21)

 新しい一年が始まりました。わたしたちはこの一年を東京カテドラルで、この関口教会で、祈ることから始めます。それはこの一年を神がともにいてくださる一年として受け取ることだと思います。
 降誕祭の八日間は教会では特別な祝いの期間です。その締めくくりとして今日、神の母聖マリアの祭日を祝います。「インマヌエル(神がわたしたちと共におられる)」、これが降誕祭のメッセージの中心でした。わたしたちは飼い葉桶の幼子の中に、インマヌエルである神の輝きを見ました。今日もその祝いが続いています。マリアとともに幼子イエスを見つめ、マリアとともに日々の出来事を思い巡らし、マリアとともにわたしたちの日々の生活の中で神がともにいてくださることを味わいながら、そこから新しい一年を始めていこうとしているのです。

 1月1日は全世界のカトリック教会では「世界平和の日」でもあります。パウロ6世教皇はベトナム戦争が激化していた1968年に、年の初めの日を「世界平和の日」と定め、平和のために祈ることを呼びかけました。それが毎年続いていて、今年は49回目になるそうです。今年のフランシスコ教皇のこの日のためのメッセージの題名は「無関心に打ち勝ち、平和を獲得するOvercome Indifference and Win Peace」です。
 教皇は貧しい人に対する無関心が当たり前のように広がっている世界について、「無関心のグローバル化」という言葉で反省を促してきました。昨年出された回勑「ラウダト・シ」の中では地球環境の問題についての無関心に対して警告しています。そして、今年の世界平和の日のメッセージではこう述べています。
 「人間社会における第一の無関心は、神に対する無関心です。そこから、隣人や環境への無関心が生じます。」

 神に対する無関心!それはいつの間にか、わたしたちのすぐ近くまで押し寄せてきている風潮ではないでしょうか。今の世界は何でも神様抜きでするのが当たり前になっていて、その世界があまりにも忙しくて、神様のことを考える余裕がないのでしょうか。人間の力関係、人間の計算、人間の競争、そういうものに関心が行き過ぎて神に無関心になってしまったのでしょうか。
 本当の意味で人間に対する関心のため、本当の意味でのこの世界に対する関心のために神に無関心になっているのならまだいいのでしょう。しかし実際には、神に対する無関心と、人間に対する無関心、環境に対する無関心はみんなつながっている、フランシスコ教皇はそう見ているようです。神に対する無関心というのが、結局、自分たちの生活の豊かさ、快適さ、便利さばかりを求める態度とつながっているのではないか。その結果として、貧しい人に対する心遣いや、地球環境に対する心遣いよりも、自分たちの生活が優先されているのではないか。これが教皇の大きな問いかけです。

 この「神に対する無関心」を乗り越えることを、ぜひ今年の目標の一つにしてみてください。そのために大切なのは「祈り、聖書、共同体」だと思います。
 毎日の祈り。朝・晩の祈りとか食事の前後の祈り。完璧にやれとはいいません。最低限これだけとも言いません。でも、今までよりもちょっとでも祈りを大切にしてみたらどうでしょうか。
 聖書に親しむこともそうです。今までよりももうちょっと。福音書のイエス様のことばと生き方に触れるチャンスを増やしてみること。
 そして共同体、あるいは信仰の仲間。わたしたちは普段の生活の中で、学校でも職場でも地域社会でも、ほとんど信者でない人に囲まれています。その人たちと一緒にいろいろな活動をしています。それはとても大切なつながりです。でもわたしたちには信仰の仲間、信仰の共同体も必要です。一緒に集まり、「それでも神様はともにいてくださるよね。だから信仰と希望と愛を持って生きていこうとすることは決してむなしくないよね」そう言い合える仲間がいなければわたしたちは信仰者として生きていくことはできないのです。信仰の仲間。キリスト信者って言っても人間ですから、欠点もあるし、お互い嫌な面もある。それは当然です。でもその信仰の仲間との時間をもう少し大切にしてみる。
 神様に対する無関心を乗り越えるために、そういうちょっとしたことを積み重ねていくことはとても大切なことだと思います。

 今年は「いつくしみの特別聖年」の年です。この特別聖年のテーマは「いつくしみ深い神に立ち返り、神のいつくしみを深く味わい、自分も神のようにいつくしみ深い者となる」ということです。当たり前のことのようにも聞こえます。でも、この特別聖年を、わたしたちが神に対する無関心を乗り越えるチャンスにしたい。この世界を神がともにいてくださる世界として、わたしの人生を神がともにいてくださる人生として受け取り直すチャンスにしていきたいと思います。



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