毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

アヴェ・マリア♪

徳田教会で行なった無原罪の聖マリア(ルカ1・26-38)のミサの説教です。

1854年、ピオ9世によって「おとめ聖マリアの無原罪の御宿り」の教義宣言が出されました。しかし、この無原罪のことは古代から信じられてきたようです。この教えの聖書的根拠として考えられてきたのは、今日の福音、受胎告知の場面で天使がマリアに向かって言う言葉です。新共同訳では「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます」となっています。ちょうど今日、新しい「アヴェ・マリアの祈り」の試用版が発表されることになっていますが、その冒頭の「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方」というのはここからとられています。ですからこれについてお話ししたいと思います。
 
 これまで使われてきた「恵みあふれる聖マリア・・・」はラテン語の「アヴェ・マリア」の「アヴェ」にあたる言葉がありませんでした。聖書のギリシア語原文では「カイレ」という言葉です。あいさつの言葉ですが、元の意味は「喜べ」です。古代ギリシア語訳の旧約聖書では、次のような箇所に出てきます。

 「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。」(ゼファニヤ3・14-15)
 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。」(ゼカリヤ9・9)

 ここで「娘シオン、娘エルサレム」というのは、エルサレムの町とその住民を一人の女性にたとえた言い方です。救いを待ち望む人々に決定的な救いがもたらされる時が来るという預言です。その「喜べ」がガリラヤの少女マリアに告げられます。マリアは旧約の人々を代表してこの救いの言葉を受け取っています。救いを待ち望む人々の代表としてキリストの救いをまっさきに受け取った方なのです。これが「カイレ」であり「アヴェ」の意味です。確かに日本語にするのは難しいので、日本人が誰でも聞いたことのある「アヴェ・マリア」をそのまま使うことが今回提案されています。

 次の「恵まれた方」と訳された部分は、ギリシア語では「ケカリトメネー」です。「カリスcharis=恵み」からできた動詞の完了分詞受動態女性単数形です。完了というのは、過去に恵まれていて、今も恵まれている状態が続いている、という意味に取れます。また、この完了形には強い意味があって、ラテン語は伝統的にただ「恵まれている」というのではなく、「gratia plena=恵みに満たされている」と解釈しています。
「キリストの救いに真っ先に預かり、ずっと前から神の恵みに完全に満たされている」そう受け取れば、これは自然に無原罪ということとつながっていきます。そういう伝統も受け継ぎながら、改訂訳では「恵みに満ちた方」と訳しています。今回の改定訳の意図は、できるだけ正確に原文を訳そうとしたことなのです。正確な訳はカテケージス(教理教育)のために必要なことだと司教団は考えました。

 次の「あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています」というところは、ルカ1章の少し後で、洗礼者ヨハネを身ごもっていたエリサベトが、イエスを身ごもっているマリアに向かって言う言葉です。これもできるだけ原文に近い訳になっています。「女のうちで祝福され」は「最も祝福された女性」という意味です。セム系の言語には最上級の形がないので、こういう言い方で最上級の意味を表します。マリアだけが祝福されているのではなく、すべての女性は祝福されているのです。これも当然ですが大切なことです。ところで、なぜマリアが最も祝福されているのでしょうか?それはもちろん神に最高に祝福された神の子イエスをお腹に宿しているからです。日本語訳ではうまく表すことができませんが、マリアが祝福されているから、イエスも祝福されているというのではないのです。イエスが最も祝福された方だからこそ、その母は最も祝福された女性・・・これもイエスによる救いを真っ先に受けたマリアの無原罪というイメージとつながりますね。
 
 さてもう1つお話ししたいことがあります。それはこの「おとめ聖マリアの無原罪の御宿り」は19世紀に教義宣言が出ましたけれど、この教義の19世紀的な受け取り方と20世紀的な受け取り方は少し違うということについてです。19世紀、マリアは金ピカの王冠をかぶった女王様か女神のように描かれました。この教義宣言のときに強調されたことは、マリアが神の子イエスを産んだ方なので、まったく特別な存在であり、普通の人とはまったく違う、例外的にその人生の最初の瞬間から罪の汚れを完全にまぬかれていた。そのマリアを称え、マリアの取り次ぎによってわたしたちに救いがもたらされるように。そんなニュアンスでした。
 ところで今のミサの集会祈願の後半には次の言葉があります。「御子の十字架の恵みによって、聖マリアがすべての汚れをまぬかれたように、わたしたちも清いものとなり、あなたのもとに近づくことができますように」。叙唱にはこういう言葉もあります。「あなたはおとめマリアを原罪のすべての汚れから守り、御子の母となるよう恵みで満たし、マリアのうちにしみも汚れもない教会の姿を示してくださいました」。

 ここではマリアの特殊性が強調されるのではなく、マリアとわたしたちの連帯性が示されています。わたしたちみんながキリストの救いに預かっているのだから、マリアと同じように清いものとなれるはずだ。わたしたちも洗礼によってマリアのようにしみも汚れもないものとされているのだ。だから本当にマリアのように清いものになれますように。そういう祈りになっているのです。

 第二バチカン公会議はマリアを教会の「典型typus」だと言いました。マリアは教会の外にいるのではなく、教会の一員であり、すべてのキリスト者の典型として、まず第一にキリストの救いにあずかった方だ。そういう見方をするのです。
 本当にわたしたちと同じ人間として貧しさ、無力さ、苦しみをもって平凡に生きたマリアの姿を見つめ、その姿を身近に感じることができますように。そして、マリアがその生涯を通して神に結ばれ、信仰と愛を貫いて生きたように、わたしたちも信仰と愛をもって生きることができますように、ご一緒に祈りましょう。
                                    (おわり)


 なお、「アヴェ・マリアの祈り」(試用版)は以下のとおりです。
 ご意見は来年3月25日までに、直接、中央協議会へお送りください。

   アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、
   主はあなたとともにおられます。
   あなたは女のうちで祝福され、
   ご胎内の御子イエスも祝福されています。
   神の母聖マリア、
   罪深いわたしたちのために、
   今も、死を迎える時も祈ってください。
   アーメン。


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| | 2010-12-19(Sun)11:31 [編集]


Re: 徳田教会のミサ

dabocatさま、下記のコメントありがとうございました。
コメント本文にメールアドレスがついていたので、本文は載せないことにしました。

最近、徳田教会の毎朝のミサによく行きますが、わたしはほとんど説教していないんですよ。
二人の神父様の説教を聞くのを楽しみにして行っています♪

> 昨夜、聖歌隊の練習の帰りに知人が今毎朝、徳田教会で、司教様のごミサでお説教を聴いていると言っておりました。知人は今、中野に住んでいるので、毎朝徳田に行っているそうです。まだ、小学校の教頭先生をしているのかな、ちっちゃなかわいいご婦人です。

こうだ | URL | 2010-12-20(Mon)09:04 [編集]