毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

聖霊降臨の主日

20160515

今日はペンテコステ=聖霊降臨の主日。
おめでとうございます。
久々の説教メモです。

●聖霊降臨の主日
 使徒言行録2•1-11/ローマ8•8-17/ヨハネ14•15-16, 23b-26
               2016.05.15福島・松木町教会にて
 ホミリア
 復活祭から50日目、聖霊降臨の主日を祝います。この日、使徒たちの上に聖霊が下り、イエスのことを大胆に語り始めました。福音を告げ知らせるという教会の活動が始まった日、いわば教会の創立記念日です。
 創立記念日ですから、やはり原点に立ち返ることが大切。わたしたちの教会の原点は何か、出発点はどういうものだったのか。見つめましょう。
 まず、教会は最初から罪びとの集まりでした。イエスの弟子たちは、イエスが逮捕された時、皆イエスを見捨てて逃げ去りました。ペトロはイエスを知らないと三度言ってしまいました。どうしようもなく罪の意識を抱えていたのが最初の弟子たちでした。そして彼らは復活のイエスと出会い、大きなゆるしを受け取る体験をしました。「それでもあなたたちはわたしの弟子だ。だからもう一度弟子として歩んで行きなさい。」イエスはそうやって弟子たちを受け入れ、派遣しました。この「罪とゆるし」の経験の中で教会は誕生したのです。わたしたちの教会は聖人の集いではありません。完璧な人間が集まって教会を作っているわけではありません。教会はあくまでも罪びとの集まり。しかしイエスによって大きなゆるしを経験した罪びとの集まりなのです。だからあまりに完璧主義におちいって裁き合う教会にならないように。かといって、あまりにルーズでなんでもいいともならないように。人が人を傷つけているような状態を野放しにしていていいのではありません。原点はいつもゆるしの神=いつくしみの神との出会いです。それを見失ったら教会は変な方向に向かいます。
 次に、教会の原点にあるのは、皆が兄弟姉妹であること。カトリック教会は教会組織を発展させましたが、最初の教会はいわゆる「組織」ではありませんでした。使徒言行録によれば、そのとき120人ほどの弟子が集まっていました。約束された聖霊を待ち望みながら、聖母マリアを中心に祈っていた教会。それは組織というよりも、兄弟姉妹の集まりでした。「アッバ、父よ」(第二朗読)と叫ぶ大きな家族と言ってもいいです。それは内向きの閉ざされた家族ではなく、他の人々に向かって語りかけ、福音の喜びを分かち合い、言葉の違う人とも通じ合うことのできる(第一朗読)、そういう開かれた神の家族でした。これも本当に大切な教会の原点の姿です。お互いの間に差別がなく、誰かを排除するのでもなく、皆を受け入れる兄弟姉妹としての教会、わたしたちはその姿も忘れてはならないと思います。
 そして三つ目の特徴。それは主役が聖霊だということ。人間の力ではなく、神の力がほんとうは大切です。人間が組織を作り、計画し、建物を建てたり、議論して多数決で物事を決めたり、そういうことにどうしても目が行きますが、本当に大切なのは、聖霊という神さまご自身の働きです。わたしたちはその聖霊の働きを見失ってはなりません。聖霊はどのように働くのでしょうか。イエスが使徒たちを派遣し、その使徒たちの後継者が司教団であり、司教は自分の協力者として司祭たちを派遣する。その派遣の中で聖霊が働く、カトリック教会ではそういう聖霊の働きを大切にしてきています。それは皆さん、どこかで認めてくださっていますね。司教が赤い帽子を被っているのは、聖霊のしるしのようです(ピンクだという人もいますが…)。でも同時に聖霊はすべての人に分け隔てなく働く、という面もあります。すべての人の心に直接働きかけるのが聖霊です。「風は思いのままに吹く」決して司教や司祭だけではない、聖霊の働きを感じることが大切です。そして教会の中で、お互いの中に聖霊の働きがあることを認め合いながら、いつも神様は何を望んでおられるか、聖霊の導きは何なのか、ということを一緒に祈り求める教会でありたいと思います。
 聖霊、来てください。アーメン。

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