毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

キリストの聖体

20160529

今日ははじめての平塚教会。
10年ほど前に建てられた聖堂だそうで、左が朗読台、右が祭壇です。
みことばの食卓と聖体の食卓、その両方が中心だと表現したいのでしょう。

というわけで、また単なる説教メモですが、、、。

●キリストの聖体(創世記14・18-20/一コリント11・23-26/ルカ9・11b -17)
                             2016.5.29平塚教会
 わたしは東京教区の補佐司教ですが、今、少し長いお休みをいただいていて、国府津教会の空いている司祭館で過ごさせていただいています。東京に出かけなければならない用もいろいろあるので、国府津にいないことも多いのですが、いるときはのんびりさせていただいています。何より海が目の前に見えるという素晴らしい環境にいやされています。自分でスーパーに行って食料を買ってくるのですが、魚売り場、干物売り場、かまぼこ売り場の充実ぶりには本当に驚いています。東京のスーパーとぜんぜん違います!
 一人で食事をすることはあまりよくないのかもしれませんが、意外にも食前食後の祈りの大切さを感じています。食事の前に感謝と賛美の祈りをささげること、今更ながらに大切なことだと感じさせられています。
 今日の第二朗読では、「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげて」とあります。マルコの福音では「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え」となっています。内容としては同じことです。このパンを神からいただいたものとしていただく。食べ物を与えてくださる神に感謝し、わたしたちを食べ物で養ってくださる神を賛美する。イエスの食事はいつもいつもそういうものでした。わたしたちもだから毎食、食前食後に賛美と感謝の祈りをささげます。本当に目の前の食べ物が神から与えられたものであること、わたしたちが神とのつながりの中で生かされていること。どんなに忙しくても忘れないようにしたいことです。そして、本当にその神とのつながりを感じる中で、人とのつながりも感じられてきます。今病気の人や、空腹の人のことを思う。一人で食事するときもそうです。
 主日のミサはこうして神奈川第6地区の教会で奉仕させていただいていますが、平日のミサがどうなるかちょっと不安でした。今まで毎朝、多くの人と一緒にミサをするのが当たり前の環境にいましたが、国府津ではそうはいかない。でも国府津教会で朝のミサをするとき一人二人ですが参加して一緒に祈ってくれる方がいて、それはとてもありがたいことだと思っています。今のところ毎朝、今日は誰かミサに来るかな?と不安を感じながら聖堂の鍵を開けているのですが、ちゃんと来てくれるのでほっとしています。そこにはキリストとの深い交わりがありますし、キリストによって結ばれる人と人との交わりが感じられます。
 イエスはこのミサという食事をわたしたちに残してくれました。どんなときも、神とのつながりを味わい、イエスとのつながりを深く感じ、人とのつながりを忘れないために。いろいろな苦しみや悲しみを抱えているかもしれない。孤独を感じているかもしれない。自分の無力さ、力の限界を感じているかもしれない。本当に心が傷ついているかもしれない。ただただ毎日疲れているかもしれない。
 でもわたしたちはこの聖体によっていやされて、励まされて、キリストと共に歩んでいくのです。

 わたしはたまに福島県南相馬市の原町教会というところにも出かけていきます。CTVCカトリック東京ボランティアセンターが運営するボランティアベースがあるからです。6月1日でカリタス原町ベースは開設4周年になります。福島第一原発から25キロというところにあって、最初は屋内退避、それから緊急時避難準備区域というところに指定されていて、ボランティアベースを開くまでに震災から一年かかりました。20キロ圏内はずっと今に至るまで人が住めないままでした。今ようやく帰還がゆるされようとしているこの地域のそばのベースですので、家の片付けなどのボランティアのニーズがまだまだたくさんあります。
 原町教会はもともと信徒数の少ない教会でしたが、原発事故により、多くの人がこの地域を去ることになり、さらに信徒の数が減ってしまい、日曜日のミサに来る人は10人以下になっていました。司祭は何年も前から住んでいませんでした。でも今、司祭が定住していますし、そこにベースができ、4つぐらいの修道会のシスターもいて、毎朝、ミサが祝われています。朝のミサが教会であって、ベースで一緒に朝ごはんを食べ、その日の活動に出かけて行く。もともと過疎高齢化の進んだ地域でした。原発事故によってそれは更に進んでいます。警戒区域の指定が解除されてもどれだけの人が帰れるか分かりません。そういうお年寄りに、あなたは一人じゃないよ、と何とか伝えるために出かけて行くのです。原町ベースに行くと、わたしはそこに教会の原点の姿を見る思いがしています。
 東京や神奈川に住むわたしたちが置かれている状況はそれとは違うでしょう。皆さんそれぞれの生活があり、毎日仕事や学校が忙しく、日曜日にやっとミサに来ているという方も多いかもしれません。でもやはりこのミサの大切さ、ミサの力を今日感じたいのです。わたしたちはこうして週の初めの日、ミサに集まり、その中で神とのつながり、キリストとのつながりをやはりそこから出かけて行く。「キリストの聖体」の祭日である今日、特にそのことを深く味わいながらミサにあずかりたいと思います。


PageTop