毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第11主日・神田教会堅信式

20160612

カトリック神田教会での堅信式ミサ
写真は今日、堅信を受けた子どもたち(入っていない人もいますが)。
ここに写っている子どもたちにはブログ掲載の了解をいただきました。

●年間第11主日・堅信式のミサ
 サムエル下12・7-10, 13/ガラテヤ2・16, 19-21/ルカ7・36~8・3
                     20160612神田教会
 ホミリア
 今日の福音の箇所は、10代の少年少女が堅信の秘跡を受ける堅信式のミサの福音としてふさわしいかどうか、少し不安です。でも本当に大切な箇所ですので、この福音の箇所を一緒に味わいたいと思います。
 その町に一人の女性がいました。「その町に一人の罪深い女がいた」と紹介されています。どんな罪かはわかりません。でもとにかく「罪深い女」であると町中の人が知っている評判の悪い女性でした。イエスを食事に招いたのはファリサイ派の人で、こちらは宗教熱心で立派な人でした。その食事の席にこの女性は入っていきます。普通なら考えられないことでしょう。みんなから後ろ指さされ、非難されるのが当然ですし、追い出されるかもしれません。でも彼女は必死の思いでイエスのもとに近寄ります。そして「泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」自分にできる精一杯の仕方でイエスに対する尊敬と愛を示したのです。

 イエスは何もしません。ただ彼女のするままにさせています。このことがファリサイ派の人には理解できませんでした。一方、彼女はこのイエスの態度の中に大きなゆるしを感じ取っていたはずです。
 この女性が感じ取った「ゆるし」とは何でしょうか。「自分は拒否されていない。ありのまま受け入れてもらっている。ここにいても大丈夫」。これが彼女の受け取ったゆるしだと言えるでしょう。今までしてきたことがいいか悪いかは別問題です。自分の罪深さはいやというほど自分で分かっている。その罪は一生引きずっていかなければならないかもしれない。でも、この方はそういう自分を拒否されない。ゆるしとは根本的にそういうことです。
 そういう意味で「ゆるされた」という体験がありますか。

 実はわたしたちは皆、そういう意味でゆるされる体験から出発しているのではないでしょうか。赤ちゃんのとき、小さな子どものとき、いいも悪いも分からず、いろんなことをしていたでしょう。自分にも人にも危ないこととか。叱られたかもしれない。でもどんなに叱られたとしても、お前なんかいないほうがいい、というのではなく、お前はいてもいい。お前にいてほしい。これがゆるしのメッセージなのです。
 北海道で山の中に置き去りにされた子どもが一週間近く経ってから無事に見つかりました。奇跡的に助かったのは、田野岡大和君という7歳の男の子。本当によかったと思います。この事件についてはいろいろな見方ができると思います。ただ一つの問題は、しつけと言って、置き去りにすることが本当によかったかどうか、これは大きな問題です。「置き去り」にしたら、もしかしたら死んじゃうかもしれませんし、もし自分が置き去りにされたと思ったとしたら、自分なんか受け入れてもらえないし、どうなっても知らないと思われている。と、子どもはそう感じてしまうかもしれません(今回の大和君はどうだったのかわかりません。そうでなければよいのですが)。本当にそう感じてしまったらそれはすごく辛いことです。心の傷になります。

 イエスは今日の箇所で何もしていないように見えます。でもファリサイ派の人の心を見抜いて、彼女を弁護します。イエスは決して彼女を「置き去り」にしないのです。
 イエス様は、今ここにいるわたしたち一人一人を決して置き去りにはしません。復活して今も生きておられるイエス様は、わたしたちとともにいて、いつもわたしたちをいつくしみ深く、見ていてくださいます。
 今日、堅信の秘跡を受けるみなさん、そのイエス様のわたしたちへのまなざしを感じてください。イエス様の大きなゆるしといつくしみを感じてください。そしてそのイエスのいつしみを受け取りながら、周りの人に対していつくしみを示せる人になってください。これが今日の福音のイエス様が示された願いです。これが「いつくしみの特別聖年」を呼びかけているフランシスコ教皇の呼びかけです。これが堅信の秘跡を通して、みなさんに与えられるイエスの弟子としての使命です。

 現実のわたしたちの世界はゆるしといつくしみだけで成り立っているのではありません。力と力の対立や厳しい競争がいっぱいあります。テロや犯罪が絶えないし、金持ちと貧しい人の格差も広がり、絶望して自暴自棄になってしまう人もいます。そんな中で人が人を殺したり、傷つけたりしているたくさんの現実があります。だから悪いことは厳しく取り締まって、厳しく罰しなければならない。それが当たり前のようになっています。

 でもね。でも、わたしたちはイエスの弟子です。イエスはゆるすことを忘れないように、わたしたちに呼びかけます。
 十字架にかけられるとき、自分を十字架につける人のために神に祈りました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているか知らないのです。」
 復活して弟子たちに現れて聖霊を与えたとき、こうおっしゃいました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でもあなたがたがゆるせば、その罪はゆるされる」
 堅信の秘跡は聖霊を与える秘跡です。聖霊はイエスの弟子として生きる力です。ですからどんなときもゆるしといつくしみの大切さを忘れない人になってください。


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