毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第13主日@茅ヶ崎教会

20160626

神奈川県の茅ヶ崎教会に行きました。
初めて行きましたが、
開放的な雰囲気でなんとなく入りやすい教会かな、と感じました。

というわけでまた説教メモです。

●年間第13主日
 朗読箇所:列王記上19・16b,19-21/ガラテヤ5・1,13-18/ルカ9・51-62
                    2016/6/26茅ヶ崎教会
 ホミリア
 長いお休みをいただいて、国府津教会の司祭館に滞在させていただいています。こちらに来て、東京にいるとあまり乗ることのなかった東海道線を利用するようになりました。この電車には子どもの頃の思い出があります。子どものころ我が家は東京の世田谷区に住んでいて、両親の田舎である福井県の小浜まではたいへんな距離。東海道線で米原まで行き、米原から北陸線で敦賀に行き、敦賀から小浜線で小浜までという大旅行をしなければなりませんでした。小学校3年生のとき、2つ年上の兄と一緒に、子ども2人だけで小浜に行くことになりました。東海道新幹線ができる前の年でした。母親が東横線で横浜まで送ってくれて、そこから東海道線に乗りました。緊張しているわたしたち兄弟に、向かい側の席の大人の人が崎陽軒のシュウマイをごちそうしてくれました。忘れられません。といっても本当に緊張していたのは兄だけ。実はわたしは兄についていっただけですが、それがわたしにとっては最初の大きな旅でした。

 ルカ福音書で、今日の箇所からイエスのエルサレムへの旅が始まります。ガリラヤからエルサレムまで、距離としてはたいしたことはありませんが、ルカ福音書では19章まで続く長い旅です。この部分は「旅の段落」と言われることもあります。そしてその最初のエピソードが今日の箇所です。イエス一行を受け入れなかったサマリア人を焼き滅ぼそうという考えを抱いた弟子たちを戒め、敵対するサマリア人をゆるすイエスの姿が示されます。ここには、イエスのエルサレムへの旅が悪を滅ぼす戦いの旅ではなく、天の御父のいつくしみを伝える旅であることがはっきりと示されています。
 冒頭に「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とあります。この旅は十字架に向かう旅でしたが、そこで終わる旅ではなく、十字架を経て天の御父のもとに行く旅でした。

 わたしたち全世界のカトリック信者は、フランシスコ教皇の呼びかけに従って、いつくしみの特別聖年という年を過ごしています。聖年には昔からの伝統で、巡礼が行われてきました。今もそうかもしれません。聖年の扉をくぐるためにローマまで行ったり、司教座聖堂に行ったりする人もいるかもしれません。もちろん多くの人はそんなことできまないと思います。フランシスコ教皇は、刑務所にいる人も、病気で動けない人も、聖年の巡礼の恵みにあずかることができるとはっきり言っておられます。わたしたちは今年、特別に、主日のミサの中でルカ福音書を読んでいますから、今日の箇所を出発点としてイエスさまとともに、エルサレムへ向かう巡礼を、霊的な(spiritualな)旅をしていけたら良いと思います。これなら誰でもできます。
 イエスの旅は神のいつくしみを告げる旅でした。もちろん、言葉だけでなく、生き方をとおして、人との出会いをとおして、神のいつくしみを伝える旅でした。いつくしみの特別聖年にあたって、わたしたちが呼びかけられている霊的な旅もまさにこのイエスとともに歩む旅、イエスに従っていく旅です。

 今日の箇所でイエスはその旅に従っていこうとする人に厳しい要求をしています。
 「人の子には枕する所もない」それは自分の安定を求めないということですね。わたしたちはなんとか自分の生活の安定を確保しようと、いつも大きなエネルギーを費やしています。イエスはわたしに従う道はそうじゃない、と言います。神のいつくしみに信頼するから自分の心配はしなくていい、とも言えますが、やはり厳しいですね。イエスに従う道は楽な道ですよ、と言いたいですが、今日の箇所の厳しさも大切だと思います。
 「父を葬りに行くより、家族にいとまごいするより、神の国を優先させなさい」これも厳しいです。別な言葉で言えば身内意識を超えなさいということですね。自分の家族、自分の仲間、自分の民族、そういうものを乗り超えなければ、神のいつくしみを伝えることはできないのです。神様のいつくしみはすべての人に注がれているのだから、わたしたちにも大きな心が求められているのです。これも確かに厳しい。

 実はフランシスコ教皇も厳しいです。神のいつくしみを強調なさっていますが、教皇の言葉でずっと繰り返されていることは、「誰も排除しない」ということ、そして「無関心を乗り越える」ということです。人を切り捨てることのないように。難民や移住者、貧しい人、病気の人、マイノリティーと言われる人、刑務所にいる人、そういう人を排除せず、そういう人々に心を閉ざさないこと。わたしたちにとって、大切なテーマだと思います。わたしたちはキリスト信者として、神の大きないつくしみを知り、イエスとともにそのいつくしみを伝える旅をしていきたいからです。
 今日もその旅路の糧として、聖体をいただきます。この糧に強められ、今日一日わたしが出会う人に、今週一週間わたしが出会う人に、神のいつくしみを運ぶものとなれますように、心から祈りたいと思います。


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