毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第14主日@小金井教会

20160705

小金井教会で、ミサと平和についての講話を頼まれました。
準備の段階でわたしに連絡が取れなくてご迷惑をおかけしてしまいましたが、まあなんとか無事に終わりました。
小金井教会で写真を撮るのを忘れたので、ヨハネ23世に登場していただくことにしました。
よろしく。

●年間第14主日
 (イザヤ66・10-14c/ガラテヤ6・14-18/ルカ10・1-12、17-20)
                      20160703小金井教会ミサ
 ホミリア
 今日のミサの三つの朗読すべてに「平和」という言葉が出てきます。
 第一朗読は、神がエルサレムに対して「見よ、わたしは彼女に向けよう/平和を大河のように」とおっしゃいます。
 第二朗読は、「神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。」
 そして福音では、「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」
 「平和」はヘブライ語で「シャローム」。かけたもののない状態をあらわすと言われます。ただ単に人間同士の間に争いがない、戦いがない、ということではない。根本的に神の恵みに満たされたところ、そこにシャロームがある。

 まず第一に、人の心から平和が始まる、ということは大切。人間の心に疑いの心、相互不信、恨み、憎しみ、絶望、自暴自棄、そういうものが満ちていたらそこに平和は生まれない。破壊的なもの、暴力的なものに向かって行ってしまう。根本で神から来る平安に心が満たされ、心に愛が満ちている、ということは大切。今日の聖書朗読が語る「平和」も根本的にそういう平和です。
 わたしたちは「いつくしみの特別聖年」を過ごしています。もう一度神のいつくしみを深く味わい、そこから「御父のようにいつくしみ深く」なろう。あたりまえのことのようですが、フランシスコ教皇のこの呼びかけを深く受け取りましょう。そこから平和への道が始まります。

 第二に、わたしだけでなく、すべての人が神の恵みに満たされるところに、本当の平和が実現する。このことも大切です。フランシスコ教皇は平和について厳しい指摘をしています。「平和な社会とは、融和でも、あるいは単に、他の一部の社会を支配することによって暴力がなくなることでもありません。平和が、貧しい人々を黙らせ鎮める社会組織の正当化の口実となるならば、それは偽りの平和も同然です。」(使徒的勧告『福音の喜び』218)わたしたち日本人と感覚的にちょっと違うかもしれない。わたしたちは70年前に悲惨な戦争を経験しましたから、とにかく戦争がないことが平和であり、それが大切、と考える傾向があると思います。しかし、ラテンアメリカという、軍事独裁政権による人権侵害や、大地主や大企業による貧しい人の抑圧ということを経験してきた教皇にとって、国と国との間の戦争がなければいいというのではない。警察や軍隊が貧しい民衆を力で押さえつけているような平和は本当の平和ではない。正義と公平がなければ本当の平和は来ない、おっしゃるのです。聖書の中でも、「正義」と「平和」はいつも結びついています。

 第三に、だから平和を作るためには正義を実現しなければならないのです。「正義」という表現は、現代世界では通じないでしょう。人間の正義と人間の正義がぶつかって戦争が起きる。どちらも自分たちは「正義の戦争」だと言う。そういう意味での正義は困ったものです。聖書が語るのは「神の正義」のことです。それは具体的には、一人一人の人間が例外なく、神の子として尊重されること。むしろ「人権尊重」と言ったほうが現代では通じるでしょう。
 戦争こそ最大の人権侵害だ、といった人がいます。確かにそうでしょう。20世紀前半から、戦争は、軍隊と軍隊が戦うような昔の戦争とは変わってしまいました。敵国をやっつけるために、都市を、市民を、非戦闘員である女性や子どもを殺していく、そういう戦争になってしまいました。ゲルニカや東京大空襲のような大規模な空爆、広島・長崎の原子爆弾、1945年の沖縄地上戦。この時代の中でカトリック教会は、あらゆる戦争にノーというようになりました。特にヨハネ23世教皇の回勅『地上の平和』(1963)、ヨハネ・パウロ2世教皇の広島平和アピール(1981)をはじめとした戦争反対のメッセージ。現実は厳しいです。テロと戦争が跡を断ちません。しかし地道に、人が、すべての人が例外なく尊重される、そういう世界を築く努力が、平和を作ることになるのです。

 「この家に平和があるように」イエスの弟子たちはそのメッセージを託されて派遣されました。今もそうです。相手に通じるとは限らない、受け入れてもらえないかもしれない。それでもイエスの弟子は「あなたがたに平和があるように」と言い続けます。「神はあなたを大切な存在として認め、尊重してくださっています。わたしもあなたを大切な人として、関わっていきたいと願います。」例外なくどんな人にもそう語り続けること。難しいかもしれません。
 でもほんとうに身近な人から始めましょう。今日出会う人に対して、今週出会う人に対して、「あなたに平和がありますように」という関わりをしていくことができますように、心から祈りましょう。


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