毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

年間第15主日・関町教会堅信式ミサ

20160710

今日はよい天気になりました。
関町教会での堅信式。小学4年生以上の12人の方が堅信の秘跡を受けられました。
写真は関町教会の方からいただきましたが、皆さん、ネット掲載OKとのことです。

ではいつものように説教メモを。

●年間第15主日・堅信式ミサ
 (申命記30・10-14/コロサイ1・15-20/ルカ10・25-37)
                 2016.7.10カトリック関町教会
 今日の福音は有名な「良いサマリア人」のたとえ話です。ただ有名だというだけでなく、イエスの教えの中で一番大切なことが示されています。それは人を大切にするのに、どこまでという範囲がないということです。
 旧約聖書の中にも、隣人愛の掟がありました。この隣人愛の掟がもっとも大切な掟であることをイエスの時代の宗教の先生たちは分かっていました。しかし、彼らはその隣人愛の掟は限られた範囲の人だけのことを指していると考えていました。そもそも「隣人」という言葉は「隣の人」「近くにいる人」の意味ですから、どこまでが隣人か、もちろんすべての人ではないと考えていました。だから今日のイエスの話の相手である律法学者は「わたしの隣人とは誰ですか」と尋ねたのです。

 それに対して、イエスはこのたとえ話で答えました。そして「隣人とはこういう人だ」と言わずに、「誰がこの人の隣人になったと思うか」とお尋ねになりました。つまり、わたしたちは困っている人に手を差し伸べることをとおしてすべての人の隣人となることができる、これが隣人愛の意味だというのです。
 なぜイエスはそうおっしゃったのでしょうか。それはイエスの信じていた神様、イエスがアッバ(おとうさん)と呼んだ方がまさにそういう方だったからです。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」だれをも分け隔てることなく、すべての人を大切にしてくださる方。だからわたしたちが人を大切にするときも、そこには範囲の限界がないのです。すべての人が兄弟姉妹であり、だれをも隣人として大切にしなければいけない。これがイエス様の教えです。

 さて、皆さんはいろいろなものに所属していると思います。「属している」とも言います。皆さんは自分の家族に属していますね。学校にも属しています。クラスにも属しています。大人なら会社やいろいろな組織に属しています。この「属している」ということは実はとても大切なことです。人間は一人では生きられませんから、どこかに属していることを感じていなければ生きることができません。確かに家族や学校に属していてもうまくいかないこともあっていろいろ悩みもあるかもしれません。でも自分はどこにも属していないと思ったら、本当に絶望的です。自分はこの世界に所属する場がないと感じたら、本当に投げやりな人生になってしまいます。自分の属するものがあるって大切なんですね。

 堅信を受ける皆さんはキリストに属する者になります。赤ちゃんの時に洗礼を受けてずっと教会に来ていたかもしれません。でも大きくなってイエス様のことを学んで、堅信を受けるのですから、これから特別にキリストに属する者になります。
 皆さんはこの関町教会に所属しています。もっと大きな単位でカトリック東京大司教区に所属しているとも言います。さらに言えばフランシスコ教皇を一致の中心とする全世界のカトリック教会に属している。でもキリストに属している、というのは、それよりもっともっと大きなことです。神がすべての人のお父さんであり、すべての人は神の子ですから、本当にキリストに属する者となるということは、例外なくすべての人と兄弟姉妹として生きるということなのです。これは大切なことです。

 バングラデシュのダッカという町でテロが起きました。今この時代には毎週のように世界中のどこかでテロ事件が起こっています。自分たちと宗教が違う人、考えが違う人はどうなっても構わない、と考えてテロが起こります。日本でもひどい殺人事件も毎週のように起こっています。自分が生きているのが面白くない、自分はもう生きていたくない、そういう自暴自棄に陥って、人の痛みを考えずにひどい事件を起こしてしまう人も次々と出てきます。
 そういう中でわたしたちは「キリストに属する者」として生きようとします。キリストの心をもって、すべての人と隣人になることができると信じ、すべての人と兄弟姉妹として生きていきたいと願うのです。

 大げさなことを言っているように聞こえるかもしれません。でも身近なことでもできることがあると思います。
 今年、全世界のカトリック教会はフランシスコ教皇の呼びかけに応えて、「いつくしみの特別聖年」という年を過ごしています。天の御父である神様のいつくしみを深く味わい、わたしたちも御父のようにいつくしみ深くなるように。これがテーマです。その中で教皇が繰り返し語っていることがあります。「困っている人、苦しんでいる人に無関心にならないように」「誰も仲間外れにしないように(排除しないように)」。わたしたちの周りに辛い思いをしている人がいないか、仲間外れにされている人がいないか、考えてみてください。そして、キリストに属する者として、わたしたちに何かできることがないか、考えられる人になっていってください。



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