毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

麹町教会堅信式

今日は東京で一番信徒数の多い教会、麹町教会(聖イグナチオ教会)の堅信式でした。
中学生から大人まで193人の方が堅信の秘跡を受けました。おめでとうございます。

というわけで、このブログの第一号の記事は、この堅信式ミサの説教ということになります。
(残念ながら、司式司教という立場上、写真は撮れませんでした!)

三位一体の主日(ヨハネ16・12-15)
2010.05.30麹町教会堅信式

 ルイス・フロイスというキリシタン時代の宣教師がいます。この人は『日本史』という本を書いたので有名です。『日本史』と言いますが、実際にはキリシタン時代初期の日本の教会の歩みを記録したものです。このフロイスが最後に書いたものは日本26聖人の殉教記録でした。豊臣秀吉の命令によって、キリシタンの神父・修道者・信徒が京都・大阪で捕らえられ、長崎まで連れて行かれました。西坂の丘で26人が処刑されたのは1597年2月5日。すぐにフロイスは多くの人の証言を集め、この記録を書きました。そしてその年の7月には、世を去っています。最後の力を振り絞って書いたと言えるでしょう。

 フロイスは「迫害前の教会の状態と迫害の始まりとその原因について」から書き始めています。迫害の主な理由は3つでした。フロイスはイエズス会士でしたから、もちろんイエズス会びいき(?)の見方をします。1587年に秀吉がバテレン追放令を出した後、自分たちイエズス会はおおっぴらな布教活動を控え、表面的には太閤秀吉の命令に服しているように振舞ってきた。ところが後から来たフランシスコ会はそんなことおかまいなしに、都に目立つ教会を建てたりした。それで秀吉も見過ごすことができなくなった。これが1つの理由。次に、1596年にスペイン船サン・フェリペ号が土佐沖で難破し、漂着した。そこにフランシスコ会やドミニコ会の修道者が乗っていたが、これがキリシタンの密偵と疑われた。第3は施薬院全宋(ぜんそう)と言う医者。この人は秀吉の側近だったが、もともと比叡山の僧侶で、キリシタンを敵視し、秀吉を動かした。迫害が起こるまでにはそういう人間のいろいろな動きがあった、とフロイスは言います。そして、その中で神は何をしてくださったか、ということもフロイスは書くのです。神は奇跡を起こして迫害を止めさせたりはしませんでした。そうではなく、司教を都に遣わし、堅信の秘跡を授けさせて、その教会を慰め強めた、とフロイスは言います。
 「この秘跡によって明らかに信者たちには新しい力と信仰の情熱が表れ、それを受けようとする信者の信心が大きかったので、昼夜を問わず様々な遠方からも信者が駆けつけて、司教には休む暇もなかった」

 当時、堅信の秘跡は司教しか授けられませんでした。このときの司教は、ペトロ・マルティンス司教です。日本の初代司教はモライス司教ですが、この人は日本に赴任する前に亡くなってしまいました。次に日本の司教に任命されたのがマルティンス司教です。1592年に任命されたとき、彼はインドのゴアにいました。それから4年半かけて、1596年にようやく長崎に来ました。日本の土を踏んだ最初の司教ということになります。そして、彼は日本のキリシタン信徒に最初に堅信の秘跡を授けた司教でもあります。マルティンス司教は秀吉と謁見するために伏見に行きました。そのとき京都の信者たちに堅信の秘跡を授けました。だから、迫害が起こっても、京都の信者たちの信仰はゆるがなかったのだ。フロイスはそう書き残しています。

 なぜこんなことを話しているかというと、わたしはこのフロイスの本を読みながら、堅信の秘跡とは、もしかしたら、特別な困難の時のための秘跡、本当にイザという時のための秘跡なのではないか、と感じたからです。
『どちりな・きりしたん』(1591年、長崎で出版)には「堅信の秘跡」についてこう書かれています。
「洗礼を受けた信者に、司教から授けられる秘跡である。この秘跡によって、神より新しい恩寵が与えられ、洗礼のとき受けた信仰をさらに強くされ、必要な時に、万民の前にその信仰を示すために、お力を添えていただく秘跡である。」
 「必要な時に、力を添えていただく秘跡」
 この「必要な時」というのは、迫害や殉教という時だけではないでしょう。今の時代にもたくさんの困難があります。わたしたちの信仰をおびやかすものもたくさんあります。

 病気の苦しみや死に対する恐怖に襲われるかもしれない。人間関係で深く傷つくかもしれない。経済的に行き詰ることがあるかもしれない。逆にお金を持ちすぎて神様を忘れる危険もあるかもしれない。便利なもの・きれいなもの・おいしいものに目を奪われて、目に見えない大切なものを見失うかもしれない。人間がどんどん孤立して、人と人との間に働く神の愛に気づかなくなるかもしれない。「やられたらやり返せ」という暴力的な周囲の雰囲気に自分も巻き込まれてしまいそうになるかもしれない。年配の人も、若者も、そういう力(神への信仰と人への愛からわたしたちを引き離そうとする力)にさらされているのが現代ではないでしょうか。その力は、秀吉や家康の迫害よりももっと大きな力で信仰からわたしたちを引き剥がそうとしています。
 その中で、ほんとうに信仰と愛を見失わないように、そのために今日これから、堅信の秘跡をお授けします。

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