毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

待降節第4主日のミサ



原町教会での主日のミサの説教原稿です。
教会の敷地内に建てていたカリタス南相馬(旧カリタス原町ベース)の建物が完成し、
前日の土曜日に、落成式がありました。
というわけで、それに関連した話になっています。

なお、原町教会の主日ミサは毎週10:00からです。
12月24日(土)には、夜6:30から主の降誕・夜半のミサも行われます。
どなたでもどうぞ(って遠方の方は無理でしょうが・・・)

●待降節第4主日
 聖書箇所:イザヤ7・10-14/ローマ1・1-7/マタイ1・18-24
                2016.12.18原町教会
 ホミリア
 昨日、カリタス南相馬の落成式がありました。
 わたしはこの時に、ある意味偶然なのですが、カリタス南相馬の責任者でもあり、原町教会の担当司祭でもありますので、とても不思議なご縁を感じています。
 今から5年半前の七月、カトリック東京ボランティアセンターのスタッフと一緒に震災後初めてこの原町教会を訪れしました。そのとき出迎えてくださったのは、亡くなられた梅津明生神父さんでした。二人の信徒の方ともお会いしました。教会の建物は地震であちこちが崩れていました。さゆり幼稚園は震災以来、休園でした。20-30キロ圏ははじめ屋内退避と言われ、物資が何も入ってこなくてたいへんだったこと、わたしたちが訪ねたあの時点では緊急時時避難準備区域の指定だということ。多くの信徒が避難していって信徒数が減ってしまっていること。それでも少数の信徒でミサをしていること。そんな話を聞かせていただきました。梅津神父は原発から20キロの地点にあった国道6号線の警戒区域のゲートから、松川浦、相馬港のほうまでわたしたちを案内してくださいました。国道の脇に流された漁船がいくつもありました。
 「東京や横浜のわたしたちにできることがあるでしょうか」と梅津神父さんに聞きました。梅津神父さんの言葉はこうでした。「来て、一緒に祈ってください」
 それがわたしたちの南相馬での活動の原点だったと思います。

 今もそうです。わたし含め、外から来た人間にできることは「来て一緒に祈る」ということ。原町ベースができて4年半、わたしたちはそのことを続けて来たと思います。「来て一緒に祈る」ということは、原町教会の信徒の方と一緒にという意味がもちろんありますが、それだけでなく、この地域の人々すべてと一緒にという意味でもあります。それはもちろん、カトリックの祈りを押し付けるということではありません。少しでも近くにいさせていただいて、悲しみやさびしさを分かち合いたい、そして信頼と希望も分かち合いたいという思いです。今日、カリタス南相馬が教会の隣にできて、そのことがもっとはっきりした形をとることになったと思います。おおげさではなく、日本全国から、いや世界中のいろいろな国からこの地をおとずれる人が、原町教会に「来て一緒に祈る」。すごいことだと思います。イエスは言われました。「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18・19-20)。この約束が実現している!

 今日の聖書朗読、第一朗読にも福音朗読にも出て来た言葉は、「インマヌエル」でした。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」ヘブライ語のその名の意味は「神はわたしたちとともにいる」あるいは「わたしたちとともにいる神」です。「ともにいる」。この神秘をわたしたちは毎年毎年、クリスマスに祝おうとしています。
 神様は救い主を世に送るとき、栄光を帯びた力強い救い主を天の雲に乗せて地上に送ることもできたはずです。そうしたら世界中の人がいっぺんに信じるようになったのではないでしょうか。でも神様のやり方はそうではなかった。2000年前、地中海沿岸一帯にひろがったローマ帝国の広大な支配地域の片隅で、旅を強いられた貧しい夫婦の子どもとして、泊まる部屋もなかったので家畜小屋のようなところで生まれ、布にくるまって飼い葉桶に寝かされた赤ん坊。そんな姿で神は救い主を世に送られた。
 これが毎年毎年、わたしたちが繰り返し、見て、聞いて、味わう降誕の物語です。

 なぜ神はこんなやり方をなさったのか。それは「インマヌエル」「わたしはあなたとともにいる」ということを伝えるためでした。貧しい人、苦しむ人、差別されている人、いじめられている人、今日食べ物がなかったり、今日泊まるところがなかったり、今日孤独を感じている、そういう人ひとりひとりに向かって、あなたは一人じゃない、わたしがあなたと一緒にいる、そう伝えるために、神はベトレヘムの飼い葉桶の中の幼子の姿で世に来られたのです。
 幼子イエスは成人して活動を始め、それこそ貧しい人、病気の人、障がいを持った人、罪びとのレッテルを貼られていた人、差別されていた人々に近づいていって、「わたしがあなたと一緒にいる」と語りかけて生きました。最後の最後、二人の犯罪人と一緒に十字架にかけられるまで、そしてその犯罪人に「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」と約束されるまで、すべての人とともに歩まれたのです。いやそれだけではありません。マタイ福音書の結びにあるように、復活して、「見よ、わたしは世の終わりまであなたがたとともにいる」と約束されたイエスは、今もわたしたちとともにいてくださる。わたしたちはそのイエスに支えられ、励まされ、力づけられて、今日も歩んでいきます。

 このインマヌエルである神をほんとうに今年もお迎えしましょう。そしてこのインマヌエルである神を知った喜びをともに味わい、わたしたち一人一人が、出かけていって出会う人々にこのインマヌエルである神を伝えることができますように。クリスマスを前にして特に心を合わせて祈りたいと思います。



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