毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の降誕・夜半のミサ



12月23日、東京山谷の神の愛の宣教者会Missionaries of Charity(男子)で、ボランティアのためのクリスマスミサが行われました。
写真はブラザー・ノアスとのツーショットです。
その時の説教メモ、よろしければお読みください。
(なお、24日夜の原町教会でのミサ説教も同じようなメッセージですが、幼稚園の子どもたちとの対話形式で準備しましたので、山谷のほうを掲載することにしました)

●主の降誕・夜半のミサ
 聖書箇所:イザヤ9・1-6/テトス2・11-14/ルカ2・1-14
                  2016.12.23山谷M.C.
 ホミリア
 福島県南相馬市にカトリック原町教会という小さな教会があります。その教会を担当していた名古屋教区の司祭が健康上の理由で名古屋にお帰りになり、12月の初めからわたしがそこのミサを担当させていただいています。古い木造の教会で、寒くて風邪を引いてしまいました。今回はそこから来ました。

 原町教会は福島第一原発から北へ24.5km。事故を起こした原発に一番近いカトリック教会です。教会のあるところは、毎時0.08μsvとかで、それほど放射線量は高くありません。もう少し原発に近い20km圏内は5年間ぐらい人が住めませんでしたが、少しずつ避難指示が解除されてきています。今年7月には南相馬市小高区。来年には浪江町や飯舘村で避難指示が解除される予定です。帰れるものなら帰りたいという人がいますが、せいぜい1割程度です。帰ってもそこに元のようなコミュニティーはありません。子育てをしている若い世帯など帰れない人がおおぜいいます。帰らない人に対しては徐々に補償が打ち切られていくことになります。原町教会に元からいた信者は少ないのですが、その地域の人々とともに生きようというシスターや信徒の支援者が集まってきています。外国から来たボランティアもいます。帰宅する高齢の方の家の整備や、避難生活をしている人や過疎高齢化の地域でのコミュニティー作り(人と人とのつながり作り)のお手伝い、この地域に住む子どもと母親の支援など、ボランティアが必要とされていることがこれからもまだまだいろいろあります。これまで「カリタス原町ベース」として活動して来ましたが、この度、教会の敷地内に新しい建物を作り、「カリタス南相馬」としてオープンしました。

 教会の敷地内にさゆり幼稚園があって、先週の土曜日、クリスマス会がありました。イエス様の降誕の聖劇が行われました。園長の神父は仙台から週に一度来るだけ、それ以外にカトリック信者の先生はいないので、いったいどんな聖劇になるのか、不安でした。でも素晴らしい聖劇でした。たくさん幼稚園の聖劇を見てきましたが、一二を争うほどの出来だったと思います。聖書に忠実。でも聖書に描かれていない要素もありました。それはロバの話です。
 一匹のロバがいました。他の動物からのろまだとバカにされていました。そこへ、ナザレからベトレヘムまで身重のマリアと一緒に旅をすることになったヨセフがやってきます。ローマ帝国の命令で身重のマリアを連れてペツレヘムに行くには、マリアをロバに乗せて行くしかない。そこでこのロバを買うことにしました。ロバはマリアを乗せて、ヨセフにひかれて、長い旅をすることになりました。そして救い主の誕生に立ち会うことになったのです。こんな大切な役目を与えられたことをこのロバは喜び、なぜかバカにしていた他の動物たちも最後に出てきて、一緒に「よかったね」って言って喜び合うのです。
 もちろん、聖書にはない話で、そもそもヨセフと一緒にロバが旅をしたということも聖書には書いてありません。しかし、この聖劇には「いらない人はいない」という本当に大切なメッセージが込められていたのを感じました。

 マザーテレサの言葉を思い出します。「現代の最大の不幸は、病気でも、食べ物がないことでもない。自分は誰からも必要とされていないと感じること、いらない人間だと感じることだ」
 自分はいらない人間だと感じることはとてもつらいことです。だからこそ「いらない人間なんて本当はいない」、ここに福音の中心メッセージがあります。イエスの時代の社会では「律法」という基準で人が計られていました。その基準からして、この人は正しい人、この人は罪びとと区別されていました。罪びとは神から程遠く、救われない人間。そして貧しい人、病人や障害者、特定の職業の人はそれだけで罪びとだと見なされていたのです。今の社会はどうでしょうか。人を測る基準はどれだけお金が稼げるか、どれだけ仕事ができるか、どれだけ社会に役に立つか。そういう中で多くの人が「いらない人間」扱いされている。これがわたしたちの現実です。

 イエスが語り、身をもって生きたこと。それは、すべての人はアッバである神の子であり、それゆえわたしたちのすべては兄弟姉妹であるということ。これが福音の真髄です。すべての人はある意味で神の家族なのです。だからあなたが病気で弱っていても、赤ちゃんのように何もできなくても、あるいは高齢になっていろいろなことができなくなっても、「いる価値があるかないか」ではなく、無条件にあなたがわたしの家族であること、兄弟姉妹であることはうれしい、素晴らしいと言えること。これが神のもとで兄弟姉妹であるということです。
 そのことを教えるために、イエスは小さな小さな赤ん坊の姿で世に来られました。まったく無力で、しかも家畜小屋の飼い葉桶に寝かされている極端に貧しい状態で世に来られました。それは本当に貧しく、無力な人々の友となり、兄弟となるためでした。わたしたちは今年もクリスマスにそのイエスの誕生を祝います。そして、このイエスをとおしてわたしたち皆が神の子とされていること、わたしたち皆が兄弟姉妹であることを深く味わうのです。
 メリー・クリスマス。



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