毎日がクリスマス

カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

1/1 神の母聖マリアの祭日



写真は原町教会聖堂のクリスマスツリーの下の聖家族です。
まだ博士たちは到着していません。

フランシスコ教皇の2017世界平和の日メッセージも合わせてお読みいただければ幸いです。

●神の母聖マリア(祭日)
 聖書箇所:民数記6・22-27/ガラテヤ4・4-7/ルカ2・16-21
                   2017.1.1原町教会
 ホミリア
 降誕の物語をマリアの立場で読んで見ると、それは本当に不思議な出来事だったのではないでしょうか。マリアは天使のお告げによって、自分の産む子どもが「メシア、救い主」であることを知らされていました。その救い主の誕生であるならば、もう少しマシな形での誕生でも良かったのではないでしょうか。でも実際には、旅先の出産で、牛やロバのいるような場所で生まれ、飼い葉桶に寝かされた幼子。訪ねて来たのは当時、町の人からは蔑まれていた貧しい羊飼いたち。おおよそ、救い主の誕生とは思ないような出来事の連続でした。
 マリアには理解できたでしょうか。
 「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」
 マリアにも意味は分からなかったでしょう。でも神の計画が何かしらそこにあるのだという信頼をもって、マリアはこの出来事を受け止めようとしたのではないでしょうか。本当にこのことの意味が分かるのは、イエスの十字架を見た時だったのでしょう。あの無力で、ただ苦しむ人になったイエスが、そこにおいてこそ、神の救いをもたらす方となった。栄光に輝く救い主キリストではなく、苦しみと無力さとしをとおして救いをもたらすキリスト。そのことを知った時に、マリアは初めて、降誕の夜の出来事の意味を理解したのでしょう。

 みなさん、昨年はどんな年でしたか? どこに神の救いの計画があるか分からないという一年だった方もいらっしゃると思います。神様がいてくださるならなんでこんなひどいことになるのか、そういう不満をぶつけたくなるようなこともあったかもしれません。神の計画はわたしたちの目には隠されています。でもマリアとともに、「それでも神は救いを実現に導いてくださっている、起こる出来事はなんであれ、無駄でも無意味でもないのだ」。そう思える信仰を祈り求めたいと思います。いつか必ず、すべてのことの意味は明らかになります。マリアがそうであったように。

 さて、1月1日はカトリック教会では「世界平和の日」でもあります。1968年、ベトナム戦争が激しさを増す中で、パウロ6世教皇はこの日を特別な日として定め、世界の平和のために祈るように呼びかけました。
 その前のヨハネ23世教皇のときから、カトリック教会は戦争に対する反対の姿勢を次第にはっきりさせてきています。かつての教会では、ぎりぎりのところで正しい戦争もありうると教えられていましたが、今はそういう言い方はされなくなりました。教会の教えが変わったというよりも、20世紀以降、戦争のほうが変わってしまったという背景がそこにはあります。19世紀までの戦争は国と国、軍隊と軍隊が戦うものでした。しかし、1937年のゲルニカ空爆以降、戦争とは軍隊と市民との対立になりました。都市に対して無差別な爆撃を行い、多くの市民、とくに無防備な女性や子どものいのちを奪い、相手の戦意を喪失させようとするのが現代の戦争です。東京大空襲、日本各地への空爆、そして広島、長崎への原子爆弾の投下。そうやって無数の市民を犠牲にするのが現代の戦争の特徴です。今もシリアなどで多くの市民が犠牲になる戦争が繰り返されています。こんな戦争に対してははっきりノーと言わなければなりません。また、膨大な軍事費は、軍需産業に莫大な利益をもたらします。人間の生命の犠牲の上に、金儲けしている人たちがいるのです。彼らは戦争をすればするほど儲かるのです。こんな戦争の構造にもはっきりとノーと言わなければなりません。新年にあたり、世界中の人々に本当の平和が訪れるよう心から祈りましょう。

 元旦のミサのもう一つのテーマ、それは祝福です。第一朗読は民数記で、祭司による祝福の場面でした。何よりも新しい年の上に祝福を願います。「祝福」について3つの点をお話ししたいと思いました。
 祝福とは、第一にあなたがいることはいいことだ、という神からの語りかけです。人間をお造りになったとき、神は祝福して言われました。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」あなたがいることはいいこと。あなたの子孫が繁栄するのもいいこと。素朴にこのことを受け取りたいと思います・
 第二に、祝福とは神がともにいてくださることです。神がともにいてくださって、幸いを与えてくださるようにと祈ります。もちろんいいことばかりではなく、悪いこともあるかもしれません。でもそのどんなときにも、神はともにいてくださる。それが祝福です。
 そしてもう一つ、祝福には、ギリシア語でもラテン語でも「良い言葉」という意味があります(eulogia, benedictio)。神からの良い言葉をいただくのが祝福ですが、人間同士、お互いに良い言葉を掛け合うことも大切です。本当に今年、わたしたちが互いに良い言葉を語り合い、互いを祝福し合える年になりますように、このミサの中で心を合わせて祈りましょう。


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